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3月27日(日)「愛と孤独」説教要旨
  聖句
旧約 「主なる神は言われた、『人がひとりでいるのは良くない。彼のためにふさわしい助け手を造ろう』」   (創世記2:18)
新約 「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである」  (Ⅰヨハネ4:12)
  最近「孤独死」と言うことが言われます。そしてそれは何か悪いことのように考えられています。しかし、「孤独」ということは、ただ悪い面だけでしょうか。
 私たちはよく「孤独を愛する」という言葉も使います。また天才は孤独であると言われます。ある一つのことに没頭している人は、まわりにわづらわさられないで、「ひとりでいたい」と思います。それが彼の仕事に打ち込む意気込みとなります。また世の煩いから逃れ、「しばらくひとりでいたい」と思うことは、健全な考えです。
 イエスが一人山に逃れ祈っている姿を、私たちは福音書の中に見ます。イエス・キリストは、「独身」についてこう言います、「それを受け入れることができるのは、すべての人ではなく、ただそれを授けられている人だけである。というのは、母の胎内から独身者に生まれるいている者があり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために自ら進んで独身者となった者もある。この言葉を受け入れられる者は、受け入れるがよい」(マタイ19:11-12) イエスもパウロも、ある意味で天国のために自ら進んで独身者になった人です。
 またそこまでいかなくても、人は、時たま「ひとりになりたい」と思い、「自分のことはほっておいてくれ」と言う場合があります。けれども、それは長い状態ではなく、交わりがあって、その中で短時間、「ひとりになる」ことです。「人がひとりでいるのは良くない」(創世記2:18) 人は本来、対話の形に造られました。ですから「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである」 とあります。愛なる神は、その本来の姿として互いの交わりの中にある三位一体の神です。父・子・聖霊の交わりの神、「愛なる神」です。しかし、それは「ひとりの神」であります。したがって私たちは、「孤独」と「孤立」とを区別しなくてはなりません。「孤立」は、「孤立無援」と言うようによい意味はありません。「孤独を愛する」という場合、ある種の「交わりがあって、その中での孤独」です。
 「ひとりでいることのできない者は、交わりに入ることに用心しなさい。また交わりの中にいない者は、ひとりでいることを用心しなさい」(ボンヘッファー)、「ひとりでいることのできない者」、つまり交際好きで、寂しがりやで、決してひとり静かにしていることのできない人は、その大好きな「交わりに入ることに用心しなさい」という意味です。またその反対に「交わりの中にいない者」、つまり孤独が好きで、交わりは大嫌いという人は、「ひとりでいることを用心しなさい」。あなたは他者、隣人を忘れて、ひとり孤独の中にひたっていませんか。その孤独は「孤立」になる、だから「ひとりでいることに用心」しなくてはなりません。
 三位一体は愛の交わりでありながら、それはひとりの神であることの中に、孤独と愛の深い人間関係が現わされているように思います。本当に愛することのできる人は、孤独に耐えることもできる人です。決して単なる交際屋ではありません。また一人の価値を知る人、つまり自立しアイデンティティのある人は、また他人のアイデンティティを尊重でき、真に愛することもできる人です。「深く自分に沈潜できる人こそ、同時に深く人を愛することもできる人です」。
 今日、若い人まで孤独に悩んでいます。それは、高度に発達した工業社会につきものの孤独です。古い農村社会は、確かに人情が厚いし、互いの結びも良いようですが、しかし、ある種の集団思考が支配し、自己のはっきりしている人には住みづらい社会です。  しかし、工業社会は、こういう農村社会を崩壊させ、人口を都市に集中させ、農村社会とは反対に、個人主義、核家族になり、孤独社会になりました。日本の場合、三位一体の愛なる交わりの神がいません、そこでは孤独は「孤立」になります。おそらく西欧社会よりも、この神さまのいない日本社会の方が、孤立、孤独化はひどいと思います。さてこの社会を救うことは、もう一度聖書に帰らねばなりません。
「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである」 私たちの交わりに、神の愛が入ってこなければ、この問題は解決しません。
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