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6月26日(日)「 生の限界に立つ神 」説教要旨
  聖句
旧約 「あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか」   (イザヤ50:10)
新約 「兄弟たちよ、私たちがアジアで会った艱難を知らずにいてもらいたくない。私たちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせてくださった神を頼みとするに至った。神はこのような死の危険から、私たちを救い出してくださるであろう。私たちは、神が今後も救い出してくださることを望んでいる」  (Ⅱコリント1:8-10)
  今回の大地震は二つの点で、これまでとは違います。
- 1 これは日本一国だけでなく、世界的規模となったことです。
- 2 被災地の人も、被災していないところの人も、出来事の精神的意味を考えるようになっていることです。
しかし、それを考える前に、二十世紀から二十一世紀に移る、ここ二十年に起こった二つの世界的なショッキングな出来事を併せて考えなくてはなりません。第一は、1989年ベルリンの壁が崩壊し、1991年にさしもの大帝国ソビエト連邦が崩壊しました。ゴルバチョフの時代です。第二は2008年9月のアメリカのリーマンショックです。
 共産主義崩壊の理由は二つあります。一党独裁、しかも同じ党の中で権力闘争があって、仲間を次々に殺していました。また官僚主義がはびこり、非能率で、生産も上がらず、資本主義との経済競争で負けてしまったことです。これを信仰的に考えると、共産主義は、唯物弁証法で無神論です、スターリンは初め宗教を弾圧しましたが、後に認めるようになります。それは大戦で多くの人が戦死して、その人びと慰めるため、宗教を利用せざるを得なかったのです。つまり無神論には、人間の死を克服する道がないのです。「共産主義はニヒリズムを克服できない」と言われます。結局スターリンの唯物論よりも、ロシア正教会の民衆の信仰が勝ったのです。
 次にアメリカは、ピューリタンのピルグリムファーザーズが、イギリスの国教会の迫害を受け、「自由と平等と友愛」の天地を求めて造られた信仰の国なはずです。しかし、富み始めると、禁欲、労働の精神を忘れて、ギャンブル資本主義になりました。オバマ大統領は、「メインストリート(実体経済)の繁栄なくして、ウオールストリート(金融経済)の繁栄なし」と言いました。アメリカが建国のピューリタンの信仰の精神を忘れ、世俗化し、ギャンブルに走ったことが、リーマンショックの原点にあります。
 第三の日本はどうでしょうか、ここでは科学技術が問われているのです。日本ほど科学技術の発達し、その恩恵を受けている国はありません。しかし、科学技術というのは、質を数に変えています。コンピューターがそのよい例です。質よりも数ということは、精神よりも物質、というよりか、精神も物質化して考えるのです。しかし、この災害で、科学技術がいかにもろく、自然に敗れるかを知りました。そこで、私たちは原発に頼るのではなく、太陽、風力など自然の再生可能のエネルギーに転換するよう、警告を与えられているのではないでしょうか。
 ここには「生の限界」が見られます。唯物論の限界、金融経済の限界、科学技術の限界など。しかし、すべての生の限界に神は立たれるのです。
 パウロは「私たちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせてくださった神を頼みとするに至った」 と言います。死んでよみがえる、新しく信仰から学び直す以外にないのではないでしょうか。死とは生の限界です。しかし、よみがえりの信仰とは、その限界に立つ神を信じて始めることです。ドイツの都市で、戦争でがれきと化した町に人びとは、がっかりして意気阻喪していましていました。その時、一人の人が、「イエス・キリストはよみがえられたのだ。私たちも、この残骸を前にして、よみがえりの主を信じて、立ち上がろうではないか」と言って、人びとを励ましました。こうして不思議と町は復興しました。
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ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。 |
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