|
|
|
|
|
|
|
|
7月31日(日)「もう一つ向こうを見よう」説教要旨
  聖句
旧約 「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。・・・わが思いはあなたがたの思いとは異なり、わが道はあなたがたの道とは異なっていると、主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」   (イザヤ55:6-9)
新約 「どうか私たちのうちに働く力によって、私たちが求め、また思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方に、教会により、またキリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン」  (エペソ4:20-21)
 「あなたがたは、主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ」 と預言者イザヤは言います。モルトマンはその説教の中でこう言います。イザヤはそれによって二つのことを語っている「たえまなく求めない者は、何も見いだすことがない。多くの者は、あまりに早くあきらめてしまう。強く扉を叩く者でなければ、開かれない」と。
 しかし、預言者はもう一つのことを語っています。何も見いだすべきものがないところでは、私たちは、何も求めることができない。なぜなら、神は隠れ、離れ、そこにいまさなかったから。「神にお会いすることのできるうちに、神を求めよ」。なぜなら神が見いだされず、もはや誰もが答えを与えられないような時があるからです。
 多くの人は「神は永遠だから、つねにそこにいるという一般的宗教的神信心の誤解」をしています。しかし、「イザヤにとって、神はこのような一般的概念のようなものでなく、神は生ける神です。神は私たちを見捨て、また私たちを尋ね求める、神は地獄に赴き、また出てくる。したがって事実、神にお会いできない時、本当に答えを与えられない時が存在する。したがって神にお会いすることのできるうちに、神を尋ね求めよ。神が私たちに近づく時、それが神を求むべき時である。神が近づいて、ご自身の到来を告げる時、それは傾聴して神を求めるべき時であり、打って出て神を迎える時である。その時、硬直していた状況が踊り始める。もはや何も変えることができないと、私たちが決めてしまった一切が可能性と変革の動きの中に入って行く」とその説教で語っています。
 イザヤの言葉は、それに続いて、「わが思いはあなたがたの思いとは異なり、わが道はあなたがたの道とは異なっていると、主は言われる」 とあります。「神は私たちが考えているのと別なお方です」。エペソ書の言葉に、「どうか私たちのうちに働く力によって、私たちが求め、また思うところの一切を、はるかに越えてかなえてくださることができる方に、教会により、またキリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン」(4:20-21) とあります。あなたが五と思っているなら、神は十であります。もしあなたが神は十と思っているなら百かも知れません。「神は別なお方です」。神はあなたの頭の中に入るお方ではなく、あなたが神の御手の中に入っているのです。あなたの「もう一つ向こうを見よう」。
 確かに神さまは永遠に変わらないお方です。
しかし、私たちの「神さま観」は変わります。信仰者になる以前考えていた神さまと信じて後の神さまでは、かなり違っているはずです。また洗礼を受けた当時の神さま観と、二十年もたって信仰生活を振りかえってみた時、その神観は恐らく深められているでしょう。神が大きくなると言うか、スケールが違ってくるのです。昔の神さまで間に合わせていてはいけません。かっては神は上にいると思っていましたが、前にいます神、さらに深みにいます神を知って、私たちの神観は深まり進歩しているのです。
 私自身、神観が変わりました。洗礼を受けた時は、ある体験をして、神は崇高で高く、自分は小さく罪人であることがはっきり分かりました。神は栄光の高みに輝きました。しかし、病気をしてもう一度神経験をします。その神は、十字架のキリストでした。「このままに朽ちぬも今は喜びあり、主イエスの恵み満てる我には」と、まさに恵みにみち病める者をいやし罪人のために十字架にかかる神さまでした。さらに牧師になって、神は父・子・聖霊の三位一体の神で、「対話する神」でした。神自身は決して変わりません愛の自由な神でああります。ところが、そこに到達するまで、何と長い年月がかかったことでしょう。
 私たちの神観は前進します。しかし、それは良いことです。信仰が進歩することですから。そこで、私たちは神さまと言っても、「もう一つ向こうを見ましょう」。神はあなたが考えていたよりもはるかに偉大です。「あなたの神は小さすぎます」。
|
ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。 |
|
|
|
Copyright(c)2010 Setagaya Chitose-Church
All rights Reserved.
|
|