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9月11日(日)「 生 け る 神 」説教要旨
  聖句
旧約 「わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変わることなく、その国は滅びず、その主権は終わりまで続く。彼は救いを施し、助けをなし、天においても、地においても、しるしと奇跡とをおこない、ダニエルを救って、獅子の力を逃れさせた方である」   (ダニエル6:26-27)
新約 「そしてあなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている」  (Ⅱコリント3:3)
  「生ける神」とはどういう方でしょうか。初め私にとって、神は、いと高き、聖なるお方で、その前に私自身は小さな者、罪深い者でありました。ペテロが不漁の時、イエスが「沖をこぎ出して漁をしてみなさい」 と言われ、そうしたところおびただしい多くの魚が取れたのを見て、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」(ルカ5:8) と言ったように、神の偉大さの前に、自分の小ささ低さを覚え、自分の罪を悔い改めるものでした。クリスマスの時、天使が、「いと高きところには栄光神にあれ」 といった。高きにいます神です。この経験は私に二つのすばらしいことをもたらしました。一つはすべては偉大な神がなしたおうから平安があったこと。もう一つは自分が小さくなった結果、他を見下すのでなく、道行く路傍の人にも、「兄弟姉妹」と呼びかけたくなるような親しさと愛であります。これが第一の神経験です。
  しかし、さらに進んで、戦争と病気の中で経験した神は、深い渕に立つ神、今、苦難のただ中に、ご自身も苦難の中にいる深い底、十字架の神であります。当時、私にとって苦難とは、戦争の惨禍と自分をむしばむ病魔でした。その中で、私は「このままに朽ちぬも今は喜びあり、主イエスの恵み満てるわれには」という歌が口をついて出てきました。私たちの苦難の底で、その深淵でご自身も苦しまれる神であります。第一が高き神とすれば、これはいと深き神でありました。
  次に、モルトマンを学んで、私は、神は前方に昼は雲の柱、夜は火の柱となってイスラエルを導く神であることを知りました。この歴史と世界を導く神であります。その時、神は私の友、道ずれのように共にに歩んでくださる伴侶としての神でありました。そこで私は、現実の歴史に目覚めました。世界歴史を導く摂理の神であります。第一を高き神、第二を深き神とすれば、これは前方の神、終末、神の国へ導く神であります。
  しかし、これら三つは別々な神ではなく、一つの生ける神でした。父・子・聖霊なる三位一体の神でありました。いと高き神を「父」とすれば、深みに来る神は「子」なる神、そして歴史を導く神は「聖霊」なる神とも言えるでしょう。
  そのように三つの形で生ける神は、列王下20:1以下にあるヒゼキヤ王のことを思い出させました。ヒゼキヤが病気の時、預言者イザヤは来て、「あなたは死ぬ、遺言状を書きなさい」 と言いました。ヒゼキヤはひたすら祈りました。神はその祈りを聞き、死の病から生き返らせ、「主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。わたしはあなたのよわいを十五年増す」 イザヤが中庭を出るかでないうちに、神はヒゼキヤの祈りを聞き、病気をいやしたばかりでなく、さらに十五年の命を延ばしたのです。自ら決定したことすらからも自由な神、そうでなければ、私たちは祈ることはできません。いかなる決定論も吹き飛ばす、この生ける自由な神、「祈って、その祈るところが必ずなると信じて疑わないなら、この山に移って海に入れというともそのことはなる」 祈るは聞かれる、神は自由な神、生ける神です。その御名は「ヤハウエ」、それは「わたしはならんとするものになる」という意味であります。神は、自由で生きています。あなたの苦難の姿そのものの中に立たれるのです。ならんとするものになれる、自由な神、私たちのすべての状況に応じたもう神、生けるまことの神であります。
  「わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変わることなく、その国は滅びず、その主権は終わりまで続く。彼は救いを施し、助けをなし、天においても、地においても、しるしと奇跡とをおこない、ダニエルを救って、獅子の力を逃れさせた方である」
「そしてあなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている」 生ける神とはそのような神であります。
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