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2月26日(日)「怒るとも罪を犯すな」説教要旨
  聖句
旧約 「あなたがたは怒っても罪を犯すしてはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。義のいけにえを主にささげて主により頼みなさい」   (詩編4:4-5)
新約 「こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互いに肢体なのであるから。怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れることがあってはならない。また悪魔に機会を与えてはならない」  (エペソ4:25-27)
  怒るとも罪を犯していない場合があるとすれば、それはどういう場合でしょうか。ふつう私たちは、「間違ったこと」に出会うと怒ります。また自分にとって「嫌なこと」に出会う時も怒ります。そこで日常生活でよくある「怒り」について、信仰的、聖書的に考えてみましょう。
 まず旧約聖書では、二つのことが戒められています。
- 1. 床の上で静かに自分の心に語りなさい。
- 2. 義のいけにえを主にささげて主により頼みなさい。
この二つです。
 まず第一に怒りというのは、感情的に高ぶった心です。怒る人は決して冷静ではありません。よく「頭を冷やしてから来い」と言います。たとえ自分がこれは正義の怒りだ、決して感情的な、一時的怒りではないと思っていても、冷静になってよく考え見て、それでもなお、これは社会的正義、宗教的正義の怒りだと思えるなら、怒りなさい。
 しかし、多くの場合、自分で正義だと思い込んでいても、それは自分の思い込みかも知れません。またそれが正義であっても、あなたのかっかとなった燃え上がる心では、理性的に、丁寧に相手に説明できません。それではせっかくあなたの正義の志も無駄になるほど、理性を失っていますよ。それでは万人を納得させるような言葉でじゅんじゅんと説くことはできませんよ。こう神さまから言われないでしょうか。
 第二は何でしょうか。「義のいけにえを主にささげて主により頼みなさい」 「義のいけにえをささげて」とは、私たちの現実に照らして考えれば、「ななたの正義を全く神さまにの方に差し出して」という意味です。怒る時、あなたの忘れていたものは、冷静さだけではありません。正義は神が判断するのです。あなたの「自家製の正義」をひとまず神さまにささげて、すべてのことを神にゆだねなさいというのです。
 あなたの怒りは、「自分の怒り」になっていて、「神さまが抜けて」いました。怒る時、あなたは自分自身が正義の士であって、破邪の剣をふるう剣士ではないですか。あなたの信仰はどこに行きましたか。怒る時、あなたはこの世の人になって、神とその神への信仰を忘れていませんか。これが詩編から私たちが学ぶ第二のことです。
 次に新約聖書でも二つのことを学びます。
- 1. あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互いに肢体なのであるから。
- 2. 怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れることがあってはならない。また悪魔に機会を与えてはならない。
 第一は、私たちがお互いに隣人であることを思い起こさせています。ここで私たちが怒る時、忘れていたものは、「隣り人」です。怒る時、私たちの話相手は敵になってしまいました。兄弟でも親子でも、夫婦でも、怒りが爆発する時は、敵です。決してイエスさまがおっしゃった「隣り人」ではありません。そこにいるのは、あなたの兄弟姉妹、隣人です。怒っていいから、そこに隣人がいることを忘れるないようにしましょう。
 隣人という時、それは「愛」で結ばれたものです。あなたは怒りに狂う時、「愛」はどこかに置き忘れていませんか。ガラテヤ書に「兄弟たちよ、もしある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心でもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。互いに重荷を負いあいなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう」(ガラテヤ6:1-2) とあります。隣人愛、それは「柔和な心」をもつものです。兄弟が罪を犯した時、それをただすのは、この「柔和な心」です。
 第二は「憤ったままで、日が暮れることがあってはならない」 それは「悪魔に機会を与えて」しまうことになるからです。ルターは言いました、「あなたがたは神さまを見るだけでなく、悪魔をしっかりと見なくてはならない。あなたがたはどんなに強くても、悪魔より強くない、あなたがたは悪魔の誘いに負ける。そのような弱い存在だから、悪魔の強さを知って、ひたすらこの悪魔をさえ支配しておられる生ける神に帰らなくてはならない」。
 主の祈りの中にも、「願わくは試みにあわせず、私たちを悪魔から救い出してください」とあります。怒る時、あなたは冷静さを失い、神を忘れ、隣人を忘れています、それはすでに悪魔の誘惑に陥っているのではないでしょうか。
「憤ったままで、日が暮れることがあってはならない」 いつまでも怒りを続け、明日明後日になっても、まだ怒っているのは、間違いです。その時、あなたは悪魔の餌食になっているのです。ここで言われているのは怒りの一時性という事です。怒ってもよい、しかし、それが正しいかどうか、計る基準がある。それは怒りの一時性ということです。
 以上四つ、旧新約聖書から学びました。
- 1. 冷静さ
- 2. 神にゆだねること
- 3. 隣人に対して柔和であること
- 4.怒りの一時性
ということです。
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ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。 |
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