5月13日(日)「将来の奇跡」説教要旨

           聖句
旧約
 「あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます」   (詩編143:8)


新約
 「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い艱難は働いて、永遠の重い光栄を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」  (Ⅱコリント4:16-18)


   私たちは、将来に向かっていますが、これから何が起こるか知りません。将来の不安とは、何が起こるか「分からない」点にあります。しかし、詩編の詩人は、朝(あした)に「神いつくしみ」を聞きました。皆さん、朝起きた時、神の恵みの声を聞きますか。詩人は、神に信頼しています。その時、「わが歩むべき道を教えてください」と、祈るのです。賛美歌にあるように、「行く末と遠く見るを願わじ、主よ、わが弱き足を守りて、一足また一足、道をば示したまえ」(賛美歌288)です。信仰者でも、行く末遠くを詳しく知っていません。信仰者だから千里眼で、遠くまで見通せるわけではありません。しかし、この世の人とたった一つ違っている点があります。
「わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます」
「あなた」と呼びかける方がいることです。その方は、わたしの弱き足を守り、一足また一足と、その時、その時で、道を教えてくださるのです。その場合も、決して主は、千里も先を教えてくださる訳ではありません。今の一歩です。そして信仰者は、その今の一歩を、さらにまた一歩と続けてゆくのです。こうしてついに千里の道をゆくでしょう。千里とは今の一歩の連続に過ぎません。信仰とはこの連続させる力です。 

   同じことをコリント書では、
「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくなって行く」
となっています。これは主を信頼しつつ、今一歩、また一歩と導かれて行く姿です。しかし、ここには新しいこと「外なる人」と[内なる人」が書かれています。「外なる人」は、神を離れた外見的な面です。しかし、「内なる人」は、神を信じている自分です。信仰者は、いつもこの二つの面をもっています。もし外見的な面をもっていなければ、地上を生きている人ではないでしょう。それは破れやすい人です。けれども、信仰者は、「内なる人」をもっています。神に生きています。ここで注意してください。信仰者は、「外なる人」について、「このしばらくの軽い艱難は働いて、永遠の重い光栄を、あふれるばかりにわたしたちに得させる」ことを知っています。それは「外なる人」→「内なる人」への道です。その艱難は軽いと言っています。「軽き荷を重き荷物と思いつつ背負い来たりし幾年月ぞ」と歌った人がいます。今、目の前にある艱難は軽いのです。しかし、「わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くのである」。見えないもの、つまり神様がくださるものに目を注ぐのです。

   では今日の題、「将来の奇跡」とは何でしょう。「奇跡」とは、私たちが期待しない「不思議なこと」です。将来に開かれる驚くべきことです。私は苦難の中でしばしば救われた経験があります。奇跡とは「このしばらくの軽い艱難は働いて、永遠の重い光栄を、あふれるばかりにわたしたちに得させる」ことです。だから「わたしたちは落胆しない」、落胆、絶望の中で、「だからわたしたちは落胆しない」といえるのは、
「それは、主イエスをよみがえらせたお方が、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせてくださることを、知っているからである」(Ⅱコリント4:14)
からです。復活節の使信は、今の私にも有効だ、「キリストはよみがえったのだ」と言って復興したドイツの都市があります。私たちはキリストの復活なら何度も聞いて知っています。しかし、知っている知識だけなら役に立ちません。そのイエス・キリストの復活はこの私たちの落胆、絶望している状況の中によみがえったのだこのことを知って信じているでしょうか。私たちはキリストの復活というと、昔、弟子たちに現れた復活とそして自分が死んだ後、神の御国でよみがえること、つまり過去の復活と未来の復活しか考えません。しかし、それはあなたの現在に復活したのです。今の私の絶望的状況の中にイエス・キリストはよみがえられたのだ、このことを信じているでしょうか。それが将来の奇跡なのです。
   


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