6月3日(日)「誤解」説教要旨

           聖句
旧約
 「主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです」   (詩編130:1-7)


新約
 「しかるに、兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。そもそも、互いに訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされないのか」  (Ⅰコリント6:6-7)


   人生に誤解はつきものです。私たちは言われたことを本人に確かめずに簡単に信じてしまうこと、また人は生まれも育ちも違うので理解しあうのが難しいためです。学生時代、牧師に友達のことで訴えたことがあります。じっと聞いていた先生は最後におもむろに言いました。「君は今私に言ったことを直接本人に言いましたか」。私は、「とんでもない、そんなことをしたらにくまれてしまいます」と答えました。先生は静かに「にくまれたっていいじゃないですか」と。この最後の先生の言葉に参りました。憎まれたってよい、陰で言って、恨みを増幅させるより、直接話し合った方がよい。誤解のもとは、直接ぶつからなかったことだと悟りました。今日の聖書の個所で、パウロは、「なぜ、むしろ騙されないのか」と問うています。よく考えてみてください。「だまされること」、「憎まれること」以上に、互いに誤解のまま過ごす方が悪いに決まっています。

   そこで学ぶのは、今日の詩編の言葉です。
「主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができるでしょうか。しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。」
神がもし人間のすべての罪、間違いに目をとめられるならば,誰が神の前に立つことができるでしょうか。しかし、かみには「ゆるし」がある。これを私たちに当てはめて言えば、「もし私たちが誰か隣人に対して、そのすべての不義、間違いに目をとめるならば、一体、だれがよく立つことができるでしょうか。」神には「ゆるし」があり、多くの日常の罪を見逃してくださいます。このおおらかな神の見逃しのゆえに、わたしたちはこうして立っているのです。それは一言で言って「ゆるし」です。

   「だまされたって良い」、この言葉の背後には、「誤解を恐れない信仰、そして神のゆるしを信じる信仰」があります。礼拝はまず懺悔の祈りをし、神の「ゆるし」の御声を聞いてはじまります。神の「ゆるし」こそが、わたしたちの礼拝の出発点であると共に、すべての生活の出発点だからです。

   そして続いて詩編は素晴らしい言葉で終わります。
「わたしは主を待ち望みます。わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって、主を待ち望みます。イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。」
主のゆるしとあがないを待つ姿勢、この待つことがどれだけ必要か分かりません。ここには、神さまが、すべてをよくしてくださるという信仰があります。私たちの生活の中で、いろいろ案じたり、心配したりしている時、神のみ手にゆだねることが一番良いことだと悟ることがしばしばあります。

   さて誤解を解く鍵は神にあります。そこで私たちは、神のゆだねる余裕がはたしてあるでしょうか。「誤解」と言うと、すぐに「だまされる」、「憎まれる」ことが頭に来ます。しかし、その時、私たちは自分たちだけで、そこに神さまの入る余裕がないのです。ある意味で、私たち相互の誤解の大きな原因は、私たちの間に神が入る余裕がないからなのです。神にまかせるとき、詩編の詩人と共に、
「主よ、私は深い淵からあなたに呼ばわります」
と言います。私は、また私たちは、今深い淵にいます、互いの誤解という淵に神と共にいます。その淵に立って、「主よ、私は深い淵からあなたに呼ばわる」と言うでしょうか。神の答えを待つ時、夜は必ず明けると信じて、夜回りが暁を待つにまさって、主の到来を信じて待つのです。周りの暗さに支配されてはいけません。神がそこでも支配しておられます。それが信仰です。まわりの闇にも関わらず。信仰とは、この「にもかかわらず」です。
   


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