2012年6月24日(日)春の伝道集会説教「明日のことを思いわずらうな」
説教:蓮見和男

   

           聖句
旧約
 「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」  (詩編55:22)


新約
 「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」  (マタイ6:25-34)


   科学技術が発達して便利になっても、思いわずらいが少なくなるどころか、逆に科学技術のため情報が多くなって、心配が増えた面さえあります。しかし、その中でキリストは
「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな」
と言われました。理由は「命は食物にまさり、からだは着物にまさる」からです。私たちは「食物、着物」物質のこと、あるいはお金のことで心配します。けれどもその物質は、私たちの命、からだに劣るものです。命、からだは神の創造によります。それを養うための食物、着物は、人間のこしらえたものです。はるかにまさったものをお与えになった神が、どうして、それより劣っている物をお与えにならないはずがあるでしょう。何億円もっている金持ちが、たった千円の借金を救えないことがあるでしょうか。より勝ったものをお造りになる創造者なる神が、それに必要な物質を与えられないはずがあろうか。心配とは「自分が創造において偉大に造られている」事実を忘れていることから来るのです。

   
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか」
イエスは小さな鳥を示しました。鳥は「まくことも、刈ることもしません」。鳥のすぐれた点ではなく、無能力を見なさい。普通「ない」ことは、心配の種です。けれども、その無能力な鳥さえ養ってくださる、神の恵みの偉大さを見よ。あなたがたは小鳥よりすぐれたものである。この天の御父の偉大なご配慮を信じなさい。「あなたがたのうちだれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか」。「思い煩うことによって、何かができますか」、思い煩いは無力です。まして寿命をわずかでも延ばすことはできません。

   
「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった」
次ぎは野の花です、植物学者も驚くほど、それは大変よくできています。この神の摂理、自然の恵みにお任せしなさい。「ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである」。神があなたがたの必要をご存じだと言うことです。神は決して「そんなものはいらない」と切り捨てるのでなく、あなたの心配していること、神さまはそれが必要であることを、あなた以上にご存じであるということです。 

   
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」
ただあなたの心配していることは、第一にすべきことではありません。心配する前に第一に何よりも先にすべきことがあります。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう」。皆さん、本屋さんに行って、「雑誌の付録だけください」と言ったら、本屋さんは言うでしょう。「本誌を買ってください、そうすれば付録はおまけとしてついてきます」。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、あなたの心配しているものは、おまけとしてついてきます。あなたのなすべきことは、心配でなく、すべての源である神ご自身を求めることです。
   


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