7月8日(日)「自然と恩寵」説教要旨

           聖句
旧約
 「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。話すことなく、語ることなく、その声も聞こえないのに、その響は全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた」  (詩編19:1-4)


新約
 「律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互いにあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明かにされるであろう」  (ローマ2:14-16)


   恩寵とは、キリストの十字架による恵み(福音)のことです。「自然」とは、ふつう野山、川湖など美しい自然を指しますが、教会で「自然と恩寵」という場合、十字架の福音、教会などに関係ない、キリスト者も一般の人も共通に持てるものをひっくるめて「自然」と言います。たとえば「科学研究」はキリスト者でもそうでないものもしますから、今日の題から見れば「自然」に入ります。また結婚はキリスト者だけでなく一般にだれでもしますから、結婚もまた「自然」になります。その他、商売、会社、趣味、スポーツ、国家もすべて「自然」です。なぜ「自然と恵み」と対照して語るのでしょうか。私たちキリスト者は、信仰の世界と共に、月から土曜までは、自然(信仰の通用しない)世界に生きています。私たちがもし「自然と恩寵」について正しい信仰的理解をもっていなければ、この自然の世界の中で生きることができないからです。たとえば修養会の主題に「信仰者として原子力発電をどう考えるか」とありました。「原子力発電」は、今日の題からすれば「自然」に分類されます。そのことは一般の人も考えていることで、何もキリスト者だから考えるわけではありません。そこにどうして「信仰者として」という言葉がつくかということは、神学的、信仰的に考えると難しい問題です。その外にも、「キリスト者として結婚をどう考えるか」。「信仰から商売をどう考えるか」などあります。  

   昔から改革教会神学では、「自然と恩寵」を「一般恩寵と特殊恩寵」、あるいは「一般的恵みと特別な恵み」と言いかえました。つまり自然を「一般恩寵」と言いかえ、キリストの恵みを「特殊恩寵」と言いかえました。一般恩寵とは、たとえば自然科学です。これは神から賜った恵みです。結婚、これも一般恩寵です。なぜなら結婚は神から賜った恵みですが、キリスト者だけに賜る恵みではなく一般的な恵みです。その外、商売でも、生産でも、趣味でもすべて一般恩寵の世界です。しかし、この神学ではもう一つのことを言います。それは一般恩寵の世界は、確かに恵みの世界であるが、同時に人間的な罪にけがされている。だから特殊恩寵キリストの恵みによってきよめられねばならないと考えます。

   具体的に「結婚」というテーマを考えると、これは「一般的恵み」です。結婚は一般にすべての人の問題です。しかし、一般恩寵には、罪が入り込みます。確かに男女がうまく行く時はよいけれども、お互いのエゴイズムが出て破局になることもあります。その時、私たちは「特殊恩寵」、十字架のキリストの恵みに思いを致します。十字架のイエスは、自らを十字架につけ、相手の罪を負い、ゆるしを実現しました。これが一般恩寵の世界が、特殊恩寵によってきよめられる姿です。次に「生産」は一般恩寵の世界です。生産者が自分の利益一点ばりになり、消費者のことを何も考えなければ、その生産物は売れなくなるでしょう。その時、生産者はエゴイズムを反省し、特殊恩寵に頼ります。他者の利益を考えたキリストに学び、人々の利益を中心にし、消費者がもどってきます。

   「自然と恩寵」には、もう一つの問題があります。「おじいちゃんは良い人だったけれども、キリストにふれる機会もなく死んだのですが、救われでしょうか」という問いです。そこでパウロは言います、「律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである」。パウロは「自然の律法」を認めています。そこには形式的にはキリストはいないが、実質的には隠れたキリストがいらっしゃる。そのことはやがて終末においてイエス・キリストが現れる時、「神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明かにされるでしょう」、この「自然の律法」も、決してイエス・キリストなしではなく、終末論的にやがて将来のキリストにおいて判定されるのです。

   これらすべてをまとめて確認しましょう。「恩寵は自然を破壊せず、かえってこれを完成する」(トマス・アクイナス)。
   


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