12月16日(日)「救い主誕生の秘密」説教要旨

           聖句
旧約
 「さて主はサムエルに言われた、『私がすでにサウルを捨てて、イスラエルの王位から退けたのに、あなたはいつまで彼のために悲しむのか。角に油を満たし、それをもって行きなさい。あなたをベツレヘムびとエッサイのもとに遣わします』。」(サムエル上16:1)

新約
 「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときに行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼い葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余裕がなかったからである。」  (ルカ2:1-7)

  これは救い主キリストの誕生の記録でありますが、特に注目したいのは、そこが馬小屋であったことです。ただ馬小屋がイエスの生家であったのではありません。馬小屋で生まれたのは、ある歴史的な偶然の出来事があったのです。それは「そのころ全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。それはクレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった」という歴史的事実であります。そのころ人口調査と言えば、今の国勢調査に近いものでしょう。しかし、当時の皇帝から出る人口調査は、二つの大きな目的のためになされました。一つは、民衆から税金を徴収するためであります。もう一つは徴兵、軍隊のための兵隊を募るためでありました。日本でも、戦前は「富国強兵」という合言葉がありました。国を富ませる経済と、軍事力の増強です。当時もこの二つが大変大事なことでありました。このように皇帝が自分の力を誇示するための政策の一つの前提、道具がこの人口調査であります。この皇帝の政治的野心の動機が、実は,何と救い主がベツレヘムで生まれ、しかも馬小屋で生まれる端緒となったとは、実に驚くべきことです。「スイスは人間の混乱と神の摂理によって今日ある」ということわざがあるそうですが、まさに皇帝の恣意、野心が、実は神の摂理の道具となったのです。

  ベツレヘムで救い主が生まれることは、旧約聖書からその神の約束の中にあったことです。マタイ福音書によると、王様が律法学者に「キリストはどこに生まれるか」と問うたところ、その答えは、「ユダの地ベツレヘムです」とミカ書5:2を示されました。

  次に「馬小屋」です。馬小屋は旧約聖書にはありません。それこそ神の偉大なはかりごと御摂理です。もし救い主が王の宮殿で生まれたらどうでしょうか。それは地上の王様にはふさわしかったでしょうが、それでは羊飼いは、入って拝むことすらできません。それが馬小屋であったからこそ、だれでも自由にお会いに行けたのです。救い主は低いところにお生まれになり、どんな人も分け隔てなく入れる所で生まれたのであります。全能の神が、馬小屋の無一物に生まれた、これこそ奇跡であり、恵みであります。なぜなら、Ⅱコリント8:9に「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなた方が、彼の貧しさによって富むものになるためである」とあるとおりです。この逆転、それは恵にほかなりません。

  私たちはここに、皇帝アウグストという、当時の地上の政治的権力者、世界の王と、そしてもうひとり地上にお生まれになったのですが、権力者としてではなく、愛の奉仕者として、しかもいとも低く馬小屋でお生まれになった、真の霊的偉大な王とが対照されます。この何も持たない無一物の王は、自分の身をもって人類を愛し、十字架で人々の罪を身に負います。ここに民衆から簒奪するために来た地上の権力者と、自分をささげるために来た愛の王の対比を見ます。クリスマスとは、このことを悟る日です。
   


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