2014年12月21日(日)クリスマス礼拝説教「救い主は生まれた」
説教:蓮見和男

   

           聖句
旧約
 「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって、これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」
  (イサヤ9:6-7)

新約
 「さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために故主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである』。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように』。御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは『さあ、ベツレヘムヘ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞さしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。」
   (ルカ福音書2:8-20)

  「神はどこにいるか」、「私たちのまわりを見てもいないではないか」。こういう問いがあります。このような問いに対して、神さまはお答えになります。「あなたに見える形で、私自身を示そう」と。その時、神は私たち人間の姿で、ご自分をお示しになります。それが一番よい方法です。もし神さまが、私たち人間の形で、ご自身を示し、神のみ旨を表されるならば、それは一番分かりやすい、手っ取り早い方法だからです。神ご自身が、自ら人間の形をとって、人間の言葉でご自身を示されるなら、それが一番よい道ではないでしょうか。

  人間の形をとった神さま、それが今クリスマスで祝う、神のみ子イエス・キリストの誕生なのです。皆さん、聖書を手にとって、特に福音書を読んで見てください。どれでもよいですが、ルカ福音書がよいでしょう。そこにはイエス・キリストの誕生から、少年時代、各地での伝道、宣教活動や、弟子たちのこと、そして最後に十字架にかかられ、三日目に復活されたことが、記されています。そしてこの福音書に記されている、イエス・キリストのご生涯が、まさに神の子としての姿を明かにしていないでしょうか。

  もちろん、聖書を手にしてイエスの生涯を読んだだけで、誰でも信仰に入れるとは限りません。そこに聖霊が必要です。聖霊を受ける時、私たちは誰しもイエスを神の子と信じることができるのです。では聖霊を受けるにはどうしたら良いのでしょうか。それはあのペンテコステ(聖霊降臨)の出来事を身に覚えた弟子たちのように、ひたすら祈りに集中しなければなりません。「主よ、あなたの聖霊をください」と祈る者に必ず、主は聖霊を通して現れたまいます。
   


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