説教の要約:2010年4月
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イースター礼拝(第一主日):2010年4月4日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。」(ルカ24:5,6)
題「主イエスはよみがえられた」(ルカ23:1-12)
☆主イエスの御復活を最初に知ったのは弟子たちではなく、女たちであった。当時、女・子供は、数に入れられず、女性は真理を語るに足りない存在と考えられていた。しかし、主イエスを愛し、その遺骸に香油を塗ろうと、夜明け前から一心に出かけていくこの女たちに、このすばらしい知らせは伝えられた。弟子たちは主イエスが甦られたという知らせを愚かなことに思った。やがては復活の証人として、世界に出て行く者となったが、最初はその知らせを受け容れられない人たちであった。男性が支配する、力を持つ社会であった。権力、知力、財力を持って支配しようとする世の中であった。しかし、神の真理や命は、力のない者、軽んじられる者に顕され、委託された。謙遜に、単純に信じる者にさせて頂きたい。神様はすばらしい真理を顕して下さる。
☆死が打ち破られた。人は神の戒めを破り、食べてはならないと言われた善悪を知る木の実を食べて、死ぬ者、裁きを恐れて隠れる者となった。罪は、的はずれ、違反、不義、不信心、不法、邪悪、欲望を意味する様々な言葉を含んでいるが、神様から離れたから、本当の正しいことが分からなくなり、命から離れてしまった。自分で勝手に価値あるもの、すばらしいものを造り上げて、口を合わせて神に逆らうようになった。しかし、孤独、不幸、不安、無知、惨めな者となった。神が分からず死ぬ者となった。この流れを変えるために、キリストは甦って、本当の命を現し、私たちがそれを受けることができるようにして下さった。主イエスを通して、山上の説教で語り、また様々な人との関わりで教えられた神の法の正しさ、真実を顕して下さった。そしてここに生きなさいと招いて下さる。
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第二主日礼拝:2010年4月11日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。」 (ガラテヤ5:16)
題 「御霊によって歩きなさい」(ガラテヤ5:16-23)
私たちは自然にまた習慣的に出てしまう神に反する考え方(思いの中にある仕組み)を持ち、それは独自の力を持ちます。それは主イエスを信じるようになる前に出来上がっている思い、習慣、空想、考え方です。幼年期に、自分の「思い」に権威を委ねています。いったん王座に着いた「思い」は、支配力を手放そうとはしません。その習慣的な考え方、思い込みが要塞となります。それはすべての思考においてプログラムされた通りに機能し続け、それを除くには「思い」の死と再生が必要です。「思い」はフィルターの役目をし、何かに集中するのを邪魔する余分なデータや刺激を排除します。ですから都合の悪い聖霊の語りかけをも排除します。御言葉、癒しなどが「思い」の支配を打ち破ります。この思いの要塞を打ち砕かなければなりません。「様々な議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いを虜にしてキリストに服従させ、」(2コリント10:4,5)なければなりません。その為に、@認識する、A告白、悔い改め、赦しを受け取る、B御言葉によって打ち勝つ、過程が必要です。
心の中にある様々な「思い」を滅ぼし、殺し(コロサイ3:5)、除かなければなりません。「肉の働きは、・・・・・・」(5:19-21)とあります。しかし、御霊が入って来られ、支配されると、御霊の実を結びます。これらのどれかではなく、すべての実を結ばせて下さいます。古い思い、肉の働きを十字架に付け、御霊に支配して頂きましょう。
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第三主日礼拝:2010年4月18日
説教者 加藤育代師
今週の聖句
「彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。イエスは彼らに言われた、『今とった魚を少し持ってきなさい』。」(ヨハネ21:9,10)
題 「喜びの食卓」(ヨハネ21:1-14)
甦られた主イエスにお会いすることができた弟子たちだったが、ガリラヤに戻って来てしまっていた。彼らは困惑の中にいた。復活の主から与えられた新しい召命の意味を、十分に理解できていなかったからだ。
◇彼らは、約3年ぶりに漁師となったが、不漁のため疲れ果て、大きな失望感を味わうこととなった。とその時、夜明け頃、主イエスが岸部に立っておられた。我々の人生においても、もう疲れた、何も思うように行かない、さしたる収穫もない、むしろ骨折り損の思いさえあると感じる時がある。しかし、主イエスはそんな私たちを愛といつくしみのまなざしで捕らえていて下さる。そして必ず夜明けを用意して下さっている。
◇弟子たちが「網を舟の右の方へ降ろしてみなさい」の主の言葉通りにすると、大漁となった。ヨハネは皆よりいち早く主イエスに気付く。かつて主の奇跡で大漁となった網の重みを思い出したからだ。私たちもかつて体験した主の恵を思い出して、信仰を新しくされることが大切である。
◇岸には主が朝食を準備して下さっていた。しかし、主はそこに弟子たちがとった魚を持ってくることを要求された。
聖餐は甦りの主が備えて下さるものである。その食卓に私たちは喜んで着くのである。しかし、また主はその食卓に私の全てを捧げるように求められる。それを用いて主イエスは食卓を備えられるのである。私たちの祝福と罪の赦しのために。喜びの食卓に招かれていることに心から感謝しよう。
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第四主日礼拝:2010年4月25日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」(創世記4:6,7)
題「最初の家族に起こった悲惨」(創世4:1-16)
兄カインは地の産物を、弟アベルは羊の群れの初子と肥えたものを、神にささげた。主はアベルの捧げものを顧みられ、カインの捧げものは顧みられなかった。カインは憤って顔を伏せた。神は、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。」(口語訳)と問われた。新改訳は、「正しく行ったのであれば、受け入れられる」。アベルは、初子と肥えたものとを喜びと感謝をもって捧げたであろうが、カインはすべきと思われた捧げものを単に捧げたのではないか。神がアベルの捧げ物を受け入れ、カインの捧げ物を受けられなかったことにカインは怒り、そっぽを向いた。カインの捧げる思いがそこに顕れた。「もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」(口語訳)「お前を滅ぼそうと、罪が待ち構えているぞ」(LB)。土地、環境天候、職業、収穫・・・すべては神のもの、神から与えられるものである。喜びと感謝をもって初めのもの(初物)、最も良い物を捧げるべきであった。(そうすることに神を愛し、神を畏れ重んじる心が顕れる。その姿勢が神の拒絶という不測の事態に顕れてくる。)カインはアベルを野に誘い出し、襲い掛かって殺した。激しい怒りが支配していた。弟に対する妬みか。神に対する怒りと反抗か。自分を義とする者。罪に支配された。「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」愛から遠かったことが明らかになった。
地は呪われてカインのために実を結ばなくなり、カインは放浪者となった。神はカインが殺されないように印を付け、守られた。
神の御言葉は祝福の道であり、またその為の訓練である。(ヘブル12:1-10)
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