説教の要約:2010年5月
 
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第一主日礼拝:2010年5月2日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。・・・・すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」(1コリント12:7,11)
 
題「賜物を分け与える御霊」(1コリント12:1-13)
 聖霊はイエスを主と告白する者に霊的賜物を与え、霊的エネルギーを注がれる。キリストのからだの益となるために、成長のためである。霊の賜物は、知恵の言葉、知識の言葉、信仰、いやしの賜物、力あるわざ、預言、霊を見分ける力、種々の異言、異言を解く力である。私たちが聖霊の賜物を使うのではなく、聖霊が御心に応じて私たちを満たし、聖霊の力を流される。
 聖霊の働きは、私たちの内に起こり私たちを建て上げるだけではなく、私たちを通して他者へも流れ、他者をも建て上げる。細胞グループは各自が賜物を発揮してお互いを建て上げることに重点を置いている。賜物はすべての人に御霊の思いのままに分け与えられる。
 聖霊の満たしを受けると、あなたも他の人を建て上げるために賜物が与えられ、主に用いられる。従って、私たちは賜物を「受ける者」というよりは、賜物を「分け与える者」であるという方が正しい。
 この賜物をと願い求めて、熱心に祈り続ける必要はありません。リラックスして主との交わりを楽しもう。主のお役に立ちたいという気持ちを持って主と交わっているならば、必ずあなたを通して御業がなされ、ふさわしい賜物が与えられることだろう。 神は教会の中で、賜物を与え、使徒、預言者、教師、力ある業を行う者、いやしの賜物を持つ者、補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。(1コリント28-29)ローマ書では、預言、奉仕、教え、勧め、寄附、指導、慈善の賜物をそれぞれに熱心に用いてキリストのからだを建て上げるべき事を勧めている。
 
 
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母の日礼拝(第二主日):2010年5月9日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。」(詩篇62:8b)
 
題「ハンナの祈り」(1サムエル1:1-18)
 エルカナの二人の妻の中で、ハンナには子供がいませんでした。そのことでペニンナはハンナをひどくいらだたせたのです。
(1)苦境の中に神の深いお心がある。(5節)
神様は私達を導かれる時、時にその道を閉ざされることがあります。それは大いなる神の栄光を見るチャンスなのです。神様の計画は私達の願いと異なることがあります。神様はハンナが子供を産むことを願っているにもかかわらず、しばらくその胎を閉じておられました。それはペニンナと違うすばらしい神の計画をハンナを通して成し遂げようとされていたからです。
◇ハンナは苦境の時、その解決を主の御手にゆだねました。ハンナは心を痛めましたが、ペニンナと戦ったのではなく、神のみ前で涙をもって祈り、助けを求めました。ハンナは、すべての解決は人ではなく、神の御手にあると信じたのです。
(2)約束を受け取るまで祈り続ける。
 ハンナが祝福の約束を受け取るまで、心を注ぎ出して祈っていると、エリ先生は彼女が酔っていると思って注意しました。しかしハンナが自分の心境を明かすとエリ先生はハンナを祝福しました。ハンナは祭司エリを通して神様の祝福の言葉を受けた時、やっと帰って食事を採り、食事を摂り、その顔に平安が戻ったのです。応えられる祈りとは、応えられるまで祈り抜くことを意味します。
◇ヘブル5:7「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられた。」聖霊の執り成しを信じ、まず自らのため、家族のため、友人のために祈り抜きましょう。
 
 
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第三主日礼拝:2010年5月16日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう。ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。あなたは子らと、妻と、子らの妻たちと共に箱舟にはいりなさい。・・・あなたと共にその命を保たせなさい。」(創世記6:17-19)
 
題「神の裁きと神の家族の救い」(創世記6:5-22)
@人の罪。神の義。神の怒り。裁き。ノアの時代、世の人々に悪や暴虐が満ちた。自己中心(神や人に勝った者となろうとする。自分やこの世のものを神とする偶像崇拝)。また人を裁き易い(自分の考えや判断を義しいとし、人を裁こうとする。裁く権利や権威があるという考えに陥り易い。)。
A神の初めの計画。裁きの計画。神は人を神に似せて造られ、神を愛し人同志が互いに愛し合い、交わりの中に与えられ任されたものを喜び感謝しつつ生きるように備えられた。しかし人は自己中心と人を裁く性質から起こってくる孤独や関係の破壊によって、暴虐が地に満ちた。神は地上の生き物を大雨・洪水によって滅ぼすこととされた。
B神の民、神の家族。救い。ノアは正しく神に聴き従い、神を畏れへりくだる人であった。神はノアとその家族、およびすべての動物鳥類の雄雌のつがいを箱舟によって救い、新しい子孫の基とされる計画をノアに告げた。ノアは神の命に従って箱舟を造り、動物鳥類を入れ、神が戸を閉められた。
C神の裁き。祝福。神の予告通り大雨・洪水により山々に至るまで水没し、すべての生き物が滅んだ。しかしノアと家族、すべての生き物動物鳥類の雄雌つがいは箱舟に逃れ、命を保った。洪水の後、彼らは舟から出て地に出て行き増え広がった。
☆☆今の時代においても、人々が自分を神とする偶像崇拝に陥り、人を裁いて自分を裁き司とする罪の洪水によって自らを滅びに、死に定めている。これから逃れる道は神が送って下さった救い主イエス・キリストによる以外にない。義人はいない(ローマ3:10)。一人もいない。イエスを信じ受け入れる、彼の十字架と復活の力によってのみ、偶像崇拝や裁き合う習慣、それに伴う罪の連鎖から脱出し癒されうる。
 
 
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第四主日礼拝:2010年5月23日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」(使徒行伝2:38)
 
題「聖霊が造る共同体の新しい関係」(使徒2:29-42)
 ペテロは使徒たちと共に立って、聖霊が注がれている経緯(イキサツ)、理由を人々に証した。イエスは神が遣わされた救い主である、十字架において殺されたが甦られた、これは神の計画である、天に昇り、父なる神の右に座し、約束の聖霊を注がれた。終わりの時が来ている。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」と勧めた。その日に三千人の人が救われ、仲間に加わった。聖霊が注がれた。
 ペテロは「この曲がった時代から救われよ」と勧めた。神の御子を殺す世。行いの義を主張し、自分の正しさで救われようとする世、御子によって顕された神の義を無視しようとする世である。しかし、自分の行いの義によって救われる者はいない。いかに人は神の愛から遠いことか。(1コリント13章に照らして) 自分の罪を悔い改め、罪の赦しのを得るために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受ける時、救いが起こり、賜物として聖霊を受ける。一人一人が罪と死に打ち勝たれたイエスの御霊を受ける時、罪に打ち勝つ力が与えられる。
 弟子たちは共に生活しつつイエスから受けた愛の交わりを思い起こしつつ、共同体を造っていった。この方は決して私を見捨てない。私が神の命を受けるために、命を捨てて下さった。神の御心がこの方を通して示されている。主イエスの教え、信徒の交わり、パンを割く、祈りをする、そこに主イエスが共におられ、不思議が起こり、癒しが起こる。主を礼拝し、喜びを分かち合う共同体が成長していった。
 
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第五主日礼拝:2010年5月30日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。」(1コリント13:3)
 
題「最高の道 愛を追い求めよ(1コリント12:31-14:1)
 主イエスは聖霊を送って弟子たちを助け、教会を誕生させ、教会を牧し、建て上げられる(ヨハネ14-16,使徒2,1コリント13)。聖霊によって信仰告白をし、霊の賜物(知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒し、力あるわざ、預言、霊を見分ける力、種々の異言、異言を解く力、1コリント12:4-11)がそれぞれに与えられ、賜物(使徒、預言者、教師、・・・)が与えられて、キリストのからだを建て上げる(12:24-28、ローマ12:5-8、エペソ4:11-13)。聖霊は一人一人に聖霊の実(愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)を与えて、実を結ぶように導かれる(ガラテヤ5:22,23)。 霊の賜物、賜物が素晴らしく、用いられることがあるが、愛を欠く時に、あるいは動機がずれている時に一切は無、無益と言う。(1-3節)〔確かに、助けたり癒したり素晴らしい働きをしながら、人を躓かせたり、違う方向に行ってしまう場合もある。〕
@霊の賜物は、聖霊(イエスの御霊)が神の民を形成し、キリストのからだを建て上げ、聖霊の宮を造るために与えるものである。
A預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれる。完全なものが来たら不完全(部分的)なものはすたれる。その時に残るものは永遠的なものだけである。神の愛(アガペー)は神の御性質であり、いつまでも残るものであり、大いなるものである。
 愛は、寛容、情け深い。ねたまない、高ぶらない。誇らない。・・・。神が私たちを愛する者たち、子供たち、掛け替えのない者として見て下さっている。神に似て造られた者、神の子供とされている者、神に似るように霊を注がれている者としてその幸いに生かせていただきたい。
 
 
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