説教の要約:2010年9月
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第一主日聖餐式礼拝:2010年9月5日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。」(創世記19:29)
題「神の裁き・執り成し・救い」(創世記18:16-19:29)
1)主は、ロトの住むソドムやゴモラの町の叫びが大きく罪が重いため、アブラハムに良い知らせをもたらした主の使いをそれらの町に遣わされた。
2)主はアブラハムが強く大きな国民となりすべての民が彼によって祝福を受けるようになるがゆえに、アブラハムにソドムとゴモラを滅ぼそうと考えていることを告げられた。
3)アブラハムは、神の主権を畏れ敬いつつも、ある程度の数の正義を行う者があるなら、神の公義のゆえに町を救って欲しいことをひれ伏して願った。アブラハムのその熱心な執り成しを主は受け入れられた。
4)ロトは2人の主の使いを丁重に迎え、家に泊めもてなした。ソドムの人々が神の使いと汚れた関係を持とうとロトに迫ったが、主の使いによって目をくらまされた。主の使いから事情を聞き、一緒に町から逃れ出るように周りの者に勧めたが家族以外に応じる者はなかった。ロトと妻、2人の娘が神の使いに促されて、やっと町を逃れ出て、ゾアルの町に着くと、火と硫黄が天から下って町を滅ぼし尽くした。ロトの妻は禁止されていたにもかかわらず後ろを振り返ったため、塩の柱となって命を失った。
主の使いによって、やっと救い出される程に、ソドムの生活や価値観がロトに入り込んできていた。神はアブラハムの執り成しの祈りを聴かれ、ロトを救い出された。
私たちも滅ぶべき者であった。主イエスが十字架上で、私たちの罪の赦しのために執り成され(ルカ23:34)、永遠の大祭司として天において執り成される(ヘブル8:1)ことが救いの土台である。聖霊も私たちを執り成される(ローマ8:26)。私たちが救われているのは誰かが執り成してくれたからである。私たちも隣人のために執り成さなければならない。
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第二主日礼拝:2010年9月12日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。」(ローマ8:5-7)
題「霊の思いに生きよ」(ローマ8:5-7,27,12:2)
神の声を聞こうとしている場合に、たとえば、聖句を黙想していて主の語りかけを求めている場合、本人の知性レベルでの分析と霊的レベルでの直覚とは相互作用しています。知性は真理の啓示を分析し吟味するためには不可欠な一部分ですが、知性だけでは啓示を受けとめることはできません。あなたの霊の部分の働きがあるからこそ受けとめることができるのです。啓示は知性のレベルを否定するものではありませんが、知性レベルを超越しているのです。心の深い部分に触れられるこのような霊的レベルの体験は素晴しいものです。心を開き、期待感をもって御前で待ち望み、日々神様から語っていただきましょう。
神の声の特色は?
1.神様のみ思いならば、自分の知性からだけではなく、もっと深い部分「内なる人」から来ていることを感じます。
2.聖霊によって与えられる思いは、自分の普段の考え方と違うことがよくあります。
3.聖霊によって与えられる思いは内側から自然と溢れ出てくるもので、しぼり出すものではありません。
4.それはあなた個人への特別なメッセージです。
5.受けとめたその言葉や導きが自分の思いからではないことを、本人がその時に自覚できます。
6.御声を聞く時、同時に神様のご臨在を感じ、また主の力を知るでしょう。そしてあなたはそれらが明らかに主からのものであるとわかるのです。
ヘブル5:14は、絶えず聖霊に聞き続けるならば「良い物と悪い物とを見分ける」ことができるように訓練されると言っています。神様はいつも私たちに語りかけていらっしゃっても、主の御声と自分自身の思いとを見分けられるようになるまでは、せっかくの御声を自分の思いと混同してしまって、主が自分に語られたことに気づかないのです。(人生の山頂を目指してより)
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第三主日礼拝:2010年9月19日
説教者 加藤篤子師
今週の聖句
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)
題「全き信頼の勝利」(歴代志下20:13-22,ローマ8:28)
◇ヨシャパテ王はユダ王国の4代目の王です。彼は善王でしたが、心が高ぶり敵に殺されそうになり、預言者を通し神に叱られ、心を改めました。彼は再び律法にかなった正しい政治を行いました。
◇歴代志下20:1からは悔い改めて神に従う道を歩み始めたヨシャパテ王(信仰者)にも危機がやってきました。敵の大軍が攻めてきたとの情報です。そこで彼は恐れ主に顔を向けて、 @戦う力がないこと、 A主の助けを望むしかない事を民と共に切に訴えました。神の霊がヤハジエルに臨み、「これはあなた方の戦いではなく主の戦いだ。明日彼らの所に攻めて行きなさい。主はあなた方と共におられる。」王も民もひれ伏し礼拝しほめたたえました。まだ現実は勝利したわけではないのですが。それは神を心から信頼し、み言葉を信じたからです。
20節。ヨシャパテ王は、朝早く先ず主をほめたたえる聖歌隊を先頭に、槍も剣も持たない軍隊を前進させました。
◇22節。彼らが歌をうたい賛美し始めた時、神のわざが始まりました。時は大切です。まさに その時です。敵の中にもめ事が起こり、同士討ちで全滅しました。私たちの想像外のことです。
◇なぜ?まだ祈りが聞かれていない時、主をほめたたえ感謝し、賛美できるのでしょう?
◇本日の週報の冒頭の聖句、ローマ8:28を読んで下さい。これは「摂理」のことを教えられた聖書中、最も著名な一節です。神を愛し神に召された者たちのために、主は凡てを働かせて益にして下さっていますとの約束です。私たちは神の摂理に全き信頼をおいて安心し勝利の日々を前進させていただきましょう。
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第四主日礼拝:2010年9月26日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「神は言われた、『あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい』」(創世記22:2)
題「イサクを捧げよ」(創世記22:19)
1)神の試練。1)神はアブラハムの名を呼ばれた。アブラハムはすぐに応答。神との関係が正しい。
2)神の命令。神はアブラハムに愛するひとり子イサクを燔祭として捧げるように命じられた。これは全焼のいけにえであり、罪の贖いと全き明け渡し、献身、忠誠を意味する。 3)アブラハムは神の命令に抗議せず。抗議の理由 @人を殺してはならない。 A子供を愛することは親の人情。 Bイサクは神が与えた契約の子である。 4)抗議しない理由。 神は、「あなたの愛するひとり子イサク」と言われており、アブラハムがどれほどイサクを愛しているかをご存じの上で、神がアブラハムに命じておられる。それをアブラハムは分かっている。神の愛をアブラハムは信じていた。またイサクは生まれるはずのない状況から与えられた子であり、神の計画の子であることを信じていた。
2)アブラハムの信仰。 1)従順。朝早く起き、燔祭のたきぎを割り、イサクと従者を連れて神の示された所に出かけた。 2)確信。「私とわたべとは、・・・帰ってきます」。神は計画を実現して下さる。 3)信頼。「神みずから燔祭の子羊を備えて下さる。」 4)献身。祭壇の上にイサクを縛って載せ、刃物を執って殺そうとした。彼はイサクを捧げることによって、自分自身を全く神に捧げきった。
3)主の備え。 1)御使いがアブラハムを制止。アブラハムの応答。主の承認。 2)目を上げると、雄羊を発見。これを燔祭として捧げた。「主の山に備えあり」。
4)神の祝福。1)神は三つの誓いをアブラムになさった。 @子孫を増し加える A子孫が敵に勝利する Bアブラハムの子孫を通して地のすべての国民が祝福を受ける。 2)それは彼が主の言葉に従ったから。
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