説教の要約:2010年12月
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第一主日聖餐式礼拝:2010年12月5日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。・・・・ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(イザヤ35:8-10)
題「聖なる道をもたらした救い主」(イザヤ35:1-10)
降誕節。救い主について預言した預言者イザヤ。イザヤは紀元前700年頃に活動。神の裁きを預言し、偶像崇拝を捨てて神に立ち帰るように勧めた。南ユダ王国がバビロンに滅ぼされ、捕囚に遭うことを預言し、その中にも希望を失わず、神を求め続けるように勧め、回復と祝福を予告した。バビロン捕囚は実際に予告から150年後頃に起こり、また200年後にペルシャのクロス王によって解放され、実現した。
@<1,2>。神は敗北と捕囚によって苦しむ民を回復される。荒野と砂漠のように荒れ果てた地が緑豊かな花咲き喜び楽しむ地となる。
A<3,4>。やがて、イスラエルの民の偶像崇拝や不従順のためにバビロンに滅ぼされ、捕囚に喘ぐが希望を失わず、主に仕え祈り求めよ。主は必ずあなた方に報い救われる。
B主が救うために来られる時、人々の目耳口を開き、歩けるようになる。荒野、砂漠が潤った地となる。主はわれらの病を担われた方。(イザヤ53:4)
Cそこに向かう大路、聖なる道を神は備えられる。バビロンの捕囚たちが解放されて、ペルシャのクロス王がバビロンの都からエルサレムの都まで緊急指令を出して道を造らせた。主イエスにおいて罪が赦されて、神の御許に立ち返る道が備えられた。「わたしは道であり真理であり、いのちである。わたしを通してでなければ、誰も父の御許に行くことはできない。」(ヨハネ14:6)
D「・・・・ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。主にあがなわれた者は帰ってきて、・・・・」(イザヤ35:9,10) 主イエスは贖い主。贖いとは、代価を払って買い取ること。主が私たちの罪の代価を苦しみと十字架の死によって払い、甦り、永遠の命を与え、父なる神の御許で、永遠に喜び楽しむことができる者として下さった。
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第二主日礼拝:2010年12月12日
説教者 加藤育代師
今週の聖句
「客間には彼らのいる余地がなかったからである。」(ルカ2:7)
題「心に主イエスを迎えよう」(ルカ2:1-7)
クリスマスは全世界の救い主の誕生を感謝して礼拝を捧げる時である。イエス様の誕生の様子は、神の深い御心をよく表している。
@歴史を支配する神
ローマ皇帝アウグストは、徴税のために人口調査を行い、ヨセフも住居のあるナザレから本籍地であるベツレヘムに、身重のマリヤを伴って向かった。ところがそこに滞在している間にイエスが誕生した。これはミカ書5:2の預言の成就であった。皇帝アウグストはミカの預言についても自ら勅令がもたらす結果についても全く無知だった。しかし歴史を支配しておられる神は、ローマ皇帝をご自身の計画達成のために用いたのだ。それは神の熱心な愛ゆえである。誰も救い主を求めない中で、神の熱心な愛によって実行された。神は本気で私たちを愛していて下さる。私たちはその愛を受け取り喜びたい。
A貧しくなられた神の御子
マリヤはイエスを「飼い葉桶」に寝かせた。神の御子がこのような劣悪な環境の中で誕生したことは信じがたいこと。ここに主イエスは全てを捨ててこの世に来て下さったことを知る。(ピリピ2:6)イエス様がそのような「へりくだり」を経験して下さった理由は、私たち人間の弱さや悲しみを思いやり、負って下さるために他ならない。
また寝かされた「飼い葉桶」は私たちの汚れた心と似ている。罪と汚れた心に主をお迎えするなら、主はその心を清めて造り変えて愛に溢れた心として下さる。今主イエスを心に迎えよう。
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第三主日礼拝:2010年12月19日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」(マタイ2:10,11)
題「心に主イエスを迎えよう」(マタイ2:1-12)
1)東方の博士(新共同訳:占星術の学者)たちは、星に導かれて、「ユダヤ人の王として生まれた方」を拝むためにエルサレムにやってきた。東方の国とは、ユダヤ人(イスラエル人)にとって歴史の中で自国を攻め滅ぼし占領したアッシリヤやバビロン、ペルシャの国であり、異邦異教の地である。また星占いやまじないは聖書で禁じているものである。
2)ヘロデ王や人々は不安を抱いた。神が使わされた救い主(キリスト、王であり、祭司であり、預言者である者)がお生まれになっていたにもかかわらず、誰も知らず拝みに行かず、ヘロデはこの幼子の命を奪うためにこの占星術の学者たちから居場所を聞き出そうとした。救い主はこの世の王宮にはおられなかった。
2)星が導き示した家で母マリヤと共におる幼子を拝した。人に仕える王。そこに神の恵み(慰め、癒し、笑い、喜び)があった。権力、財力、知識、能力による支配ではなく、愛や憐れみ、柔和による支配、御国の雰囲気があった。
3)学者たちは黄金、乳香、没薬を捧げて幼子を拝した。@主イエスに出会って、求めるもの、価値あるものが変わった。主イエスに出会う人は生き方が変わる。最高の捧げ物をした。黄金(王に捧げる)、乳香(祭司が神に捧げる)、没薬(死人の葬りに用いる)。A黄金、乳香、没薬が占星術、呪術(まじない)の道具であったという説がある。救い主の大事な商売道具を捧げて、新しい生き方に変わった。
4)ヘロデの所に戻らないように御告げを受けたので、別の道を通って帰って行った。イエスに出会う時、自分、家族、環境が変わっていく。
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第四主日礼拝:2010年12月26日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」「あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」(マタイ16:16,18)
題「自分の命を得るために」(マタイ16:13-28)
黄泉の力が働いている世である。
主イエスは、『あなたこそ、生ける神の子キリストです』と告白する人たちから、わたしの教会を建てると言われた。黄泉の力、死(罪、サタン、悪、闇)の力もこれに打ち勝つことはできないと言われた。
ペテロは、キリストがイスラエルの王となって世を治める救い主であると考えていた。しかし主イエスは、為政者や神に仕えていると考えられている人々から苦しみを受け、殺され、三日目に甦らされる救い主としての働きを言い表された。
主イエスの弟子は自分の十字架を負うて主イエスに従って行く者であり、この世、一般社会が思っている、自分の自己実現や喜び楽しみの追求ではなかった。
イエスの弟子たちは、葡萄の枝が木に繋がっているがゆえに豊かに実を結ぶように、イエスの言葉に留まっている人たちであり、イエスのいましめを守る。
使徒行伝2章42節以下に、イエスが葡萄の木の譬えで語られた教会共同体の姿が記されている。キリストであるイエスは十字架に架けられて殺されたが甦らされ、50日目に聖霊が降され、イエス・キリストの御名を信じる者に聖霊の賜物が与えられた(使徒2:38)。
人々に霊の賜物(イエスを主と告白すること、知恵・知識の言葉、信仰、癒しの賜物、力ある業、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解く力)が与えられ、教会を建て上げるために様々な働きを通して仕える。
弟子たちは互いに愛し合い(ヨハネ13:35)、互いに足を洗い合い(ヨハネ13:14)、互いに仕え合いつつ(マタイ20:26)、御霊の実を結んでいく(ガラテヤ5:22,23)。
弟子たちは宣教、交わり、育成(マタイ28:19,20)を負うことによって自己を見出し、自分のあるべき姿を見出す。
弟子たちの造る共同体は聖霊に導かれて主イエスに従うことによって黄泉に打ち勝つ。
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