説教の要約:2011年1月
 
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元旦礼拝:2011年1月1日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)
 
題「交わりの中で解かれる幸い」(マタイ18:15-19)
1)2人または3人の者が主イエスの御名によって集まっている所に、主イエスも共においで下さる。罪を犯して神に背を向けている者が、赦しの光の中で、自分の過ちを認め、悔い改めることができることを父なる神がどれほど喜ばれるだろう。「もし兄弟が罪を犯すなら、行って、・・・・」(15)。
@天国の鍵を預けられた主イエス。
この小さな共同体に天国の鍵の働きを委ねて下さっている。
「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、・・・・」。主イエスは、律法主義の束縛、罪の力から解放する働きを教会に委ねて下さった。心を開いた真実な交わりの中で、愛し合い、支え合い、許し合い、受け入れ合う共同体の中で、罪からの解放において訓練され成長する必要がある。自分が受け、また与えていく交わりが必要。
A死と甦りを通られた主イエス。
2)聖霊による共同体。(使徒2:42-47)。イエスを主と告白する者に、聖霊が注がれる。使徒の教えを守り、信徒の交わりを持ち、パンを割き、共に祈る共同体の中に、神は不思議を行って下さる。救われる者を起こし、共に生きる共同体を成長させて下さる。
 
 
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第一主日聖餐式礼拝:2011年1月2日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。(ピリピ4:6)
 
題「平安への道」(ピリピ4:4-7)
 心配事、不安、思い煩い、恐れは大なり小なりある。
1)神に全く信頼する。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、・・・祈る」。思い煩いは、一つの事柄、思い煩いを起こしていることに思いが募って神から目を離す時に起こっている。気遣いがそこに向けられ、過度になり、心配、苛立ちとなり、悩んで思い煩いとなる。神を礼拝する、ディボーションを重んじ、緊急時にも神を礼拝する。神を神として崇める、神の唯一性、無比性を認め、神の主権と支配を認める。ペテロが波風に心を奪われた時、体が沈み始めた。主イエスは、ゲツセマネで、いつもの所で、いつもの時に祈られた。
2)絶えず祈る。「あらゆる場合に、・・・・願い、・・・・願い事を神に知っていただく」。思い煩いは自分の必要に起因している。自分の必要を率直に認める。神に具体的な願い事を申し上げる。事の大小を問わず、霊的必要、物質的必要の一切を神に祈り求める。あらゆる場合に、神に信頼して祈ることが平安への道である。
3)すべてのことを感謝する。「あらゆる場合に感謝をもって」。パウロは感謝の人でした。獄中で真夜中に賛美と祈りを捧げた。その時、地震が起こり、扉が開いて、・・・看守が救われていった。
 
 
 
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第二主日礼拝:2011年1月9日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:33)
 
題「神の祝福を重んじ求めよ」(創世記27:1-45)
1)イサクが年老いて長男エサウを祝福しようとし、好物の鹿肉の食べ物を求めた。それは自分の願いであり(25:28)、神の祝福を自分の好みで与えようとするものであった。神は、「兄は弟に仕える」(25:23)と御心を示され、また、エサウがカナンの異教の娘を妻にめとったことは父母の心を痛めていた。
2)リベカは次男ヤコブを愛し、ヤコブを引き入れて夫イサクを騙し、ヤコブが祝福を受けるように策略を用いた。すなわち、子ヤギの肉で好物の食べ物を作り食べさせ、毛深いエサウに似せてヤコブに子ヤギの毛皮をまとわせ、目の不自由なイサクにエサウだと思い込ませ、結果、イサクはヤコブを祝福した。ヤコブが祝福を受けることは神のご計画であったであろうが、これはリベカの肉的な願いであり、正しい方法とは言えない。
3)エサウは父による神の祝福を求めているが、25章では、長子の権(神の祝福)を軽んじ、弟に一杯の食と引き替えに売っており(ヘブル12:16)、神の祝福を重んじ、一心に求めているとは思えない。ヤコブはその方法が良くはないが、神の祝福を重んじ熱心に求めた事において、御心を行っていると言えよう。
4)エサウがその後ヤコブの命を狙ったため、リベカは遠方の兄の元にヤコブをしばらく離し、憎しみの熱が冷めるのを待とうとするが、結果的にヤコブは20年間離れることになり、ヤコブと再会できずにこの世を去ったと思われる。
5)ここで示される神の祝福とは、豊かな穀物の収穫、諸々の民が彼に仕えること、彼の兄弟たちの主となることであった。主イエスは、十字架と復活を通して、イエスを信じる者に御国の民とされ、永遠の命を得る祝福を用意して下さった。キリストは仕える事による愛と憐れみの支配を示して下さった。ヤコブが選ばれたことは神の憐れみによる(ローマ9:10-16)。神の国と義をまず求め、自分の努力によらず神の憐れみにすがりたい。
 
 
 
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第三主日礼拝:2011年12月16日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。(1コリント6:19)
 
題「心のかせを取り除いて」(1コリント6:12-20)
 「心のかせ」とは、二人の人の不健康な結びつきのこと。記憶とか感情の領域を超えて、霊的なレベルで他の人と結合してしまうこと。性的な行動を含む肉体的感情的な関わり合いによって引き起こされることもある。過去の出来事として本人はもう意識していなくても、サタンの要塞として存続し、それを通してサタンは人生に働きかけてくる。
心のかせが生じる原因
1.神への信頼と礼拝の気持ちを忘れるほどある人に夢中になっている時、心のかせが生じやすい。アブラハムにとってイサクは心のかせになっていた。2.神が配偶者同志のみの間で意図されているような親密な関係を他の人と結んでしまうと、心のかせが生じる。
心のかせから生じること
1.罪
罪悪感を感じるだけでなく、神の御前に罪を犯したことになる。サタンの要塞になり、悩まされる。
2.霊的束縛
ふさわしくない関係にある人に心を許し過ぎると、霊的束縛となり、配偶者と深い絆を持つことができなくなり、内面に混乱が生じ要塞が築かれ易い。それはもっと大きな影響を後に及ぼす。心を一つにして主を求めることを妨げるものは要塞となる。
心のかせを打ち破るために
 罪を認め、告白(悔い改め)する。得ていた快楽もすべて放棄する。イエスの血潮のもとに持って行き、赦しを受け取る。その原因を識別し、その構造を十字架に付け、命を注がれる。「その相手に与えてしまっていた自分の人生に属するべきものを取り戻す。」と宣言する。
自分の力で解決されない場合
 小グループの中で共に祈り執り成し合う。
 
 
 
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第四主日礼拝:2011年1月23日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。(ヨハネ黙示録3:8)
 
題「少しの力」(ヨハネ黙示録3:7-13)
◇ ヨハネ黙示録は、ヨハネ福音書、ヨハネの手紙1,2,3と同じく、使徒ヨハネによって書かれました。一世紀後半キリスト者がローマの迫害を受けていた時代です。囚人の流刑の地エーゲ海の小さなパトモス島で幻を示され、アジアにある七つの教会とすべてのキリスト者にあてて書かれました。
  初代教会は霊的に後退した状態にあり、またキリスト者に対する迫害はいっそう激しくなりました。神様は主の教会が世と妥協せず、信仰の原点に立ち返るよう、これから確かに起こる神の国の勝利の実現のために希望と忍耐を堅く持ち続けてとの願いから書かれました。
◇ 本日は6つめの教会ヒラデルヒヤ教会について学びます。ヒラデルヒヤは兄弟愛を意味します。私たちの湘南教会はどのような教会でしょうか。兄弟姉妹の交わりの共同体でしょうか。
  この教会より2つのことを学びます。
 (1)8節 イエスは門を開いて下さっている
 ・祈りに応えようと門が開かれている。
 ・伝道の門が開かれている。
 ・天国の門が開かれている。
 ・創世記28章に人を押しのけて進むヤコブに現れた場所は「天の門」でした。
  私たちの前にいつでも天の門は開かれている。
 (2)み言葉を守る教会 ヒラデルヒヤ教会に対して、8節「あなたは少ししか力がないのに私のみ言葉を守りわたしの名を否まなかった」
 10節「忍耐についてのわたしの言葉を守ったから・・・・試練の時あなたを防ぎ守ろう」と。守る者は守られる。恵みのお約束であります。
 ・守るという意味は、※み言葉にしがみつく、※み言葉を心に蓄える、2つあります。少しの力!恐れず、今年、開かれた道を進みましょう。
 
 
 
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第五主日礼拝:2011年1月30日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。(ヨハネ15:11)
 
題「主イエスにある喜びの共同体」(ヨハネ15:7-13)
 主イエスは弟子たちの足を洗い、互いに足を洗い合い、互いに愛し合いなさいというに新しい戒めを与えた。イエスの弟子であることの特質は互いに愛し合うことである。弟子たちは、主イエスが自分たちから離れて父の御許に行くことを心配し不安がったが、主イエスは父の許に行って助け主を送ること、この方は真理の御霊で、主イエスが語られたことを思い起こさせ、なすべきことを教え、すべての真理を知らせて下さることを教えた。
 枝が葡萄の木に繋がっておれば樹液が枝に送られ豊かな実を結ぶように、イエスという木から聖霊が枝である弟子たちに送られて、豊かな愛の実、喜びの実、平安の実を結ばせて下さる。
 主イエスが復活後50日目に聖霊が注がれ、ペテロは説教して人々が悔い改め、イエスの御名によるバプテスマを受け、聖霊の賜物を受け、人々が救われ、初代教会が誕生した。弟子たちは集まり、礼拝し、食事し、助け合い、分かち合った。使徒たちが御言葉を語り、奇跡を行い、主イエスがそこにおられるかのように愛し合い喜びを分かち合う共同体ができ、交わりを持っていた。聖霊がそれを導かれた。御霊の実を結ぶ共同体が生まれた。迫害の中にも勝利し、成長する群れであった。聖霊が働かれ、実を結ぶ共同体となることができるように祈り求めたい。