説教の要約:2011年6月
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第一主日聖餐式礼拝:2011年6月5日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(ルカ14:11)
題「自分を低くする者を高くされる神」(ルカ14:7-11)
主イエスは、客に招かれて上座を選ぶ人たちに、譬えを語られた。
1)主イエスは婚礼に招かれた時に、上座に着かないように教えられた。上座に着いていた時に、さらに身分の高い人が来て、主人に席を替わるように頼まれたら恥をかくから。
日本人は遠慮という文化的慣習がある。しかし、それは先のことを考えて恥をかかないようにする習慣で心から謙遜するのではないだろう。私たちは自分が他の人と比べてどのように取り扱われているかに多くのエネルギーを割いていないか。人よりも自分の方が上に扱われると満足し、そうでないと不満に思い怒りを持ち易い。
2)主イエスは神の国を婚宴に譬えた。神の国に生きる生活は、神に支配され、神と親しく交わる生活であり、神が結婚のような喜びの宴席に私たちを招き、食事を楽しみつつ、深い愛の交わりを持つ生活です。神が私たちを生かし、守り、養って下さることを魂の深い部分で喜び楽しむ歩みです。信仰とは、人生の中でいるいろいろな試練が起こってくるが、神の恵みの支配を信じて生きる、神が私をもてなして下さっていることを信じて生きることです。
自分はもてなされるにふさわしい人間だと思っている人とそれに値しない人間だと思う人の二つのタイプがあります。しかし私たちは神の恵みによって赦された罪人に過ぎない。そういう者が婚宴の席に招かれたことを喜び、神を喜び、誉め称えていきましょう。
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聖霊降臨日・花の日・子供の日礼拝:2011年6月12日
(第二主日)
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」(使徒2:42)
題「聖霊を注がれた共同体」(使徒行伝2:36-47)
五旬節の日に、聖霊が弟子たちに注がれた。一同は聖霊に満たされ、いろいろな国の言葉で語り出した。エルサレムには様々な国から信仰深いユダヤ人たちが来て住んでいたが、使徒たちが自分たちの故郷の国の言葉で、神の大きな働きを述べるのを聞いて、驚き怪しみ、あっけに取られた。
ペテロは11使徒と共に立って説教した。
@ヨエルの預言の成就である。終わりの時に、神は一人一人に聖霊を注がれる約束の成就。Aイエスは神が遣わされた者である。Bそれは神の計画と予知とによるが、不法の人々がイエスを十字架に付けて殺した。C神はイエスを甦らせた。D使徒たちは、主イエスの復活の証人である。Eイエスは神の右にあげられ、父から約束の聖霊を受けて、弟子たちに注がれた結果として、人々が見ていることが起こっている。
人々はこれを聞いて、強く心を刺された。
ペテロは、@悔い改めること、A罪の赦しを受けるために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受ける、B賜物として聖霊を受ける、C神の召しにあずかるすべての者に与えられている、ことを語った。(主イエスご自身が父なる神を表した方、主イエスが招待状、イエスを信じる者が神の召しを受けている者である。) 三千人が仲間に加わった。
この共同体の人々は、「一同ひたすら」、@使徒たちの教えを守り、A信徒の交わりをなし、B共にパンを割き、C祈りをしていた。イエスが使徒たちと共におられた共同体が、聖霊(イエスの御霊)が共におられて再生され、様々な不思議、御業を行われた。この共同体はパンを割く(聖餐に与る、聖なるものを分かち合う、罪の赦しに与る)、同一の御霊の働きを信じて共に祈る、霊の賜物、キリストの体を建て上げる集まりである。(1コリント12章)
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第三主日礼拝:2011年6月19日
説教者 加藤育代師
今週の聖句
「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」(詩篇34:1)
題「喜びの生涯」(創世記29:1-35)
霊的生活の活力は、主を喜ぶことである。私たちはあらゆる時に主を喜び讃えているだろうか?
信仰の停滞、そこから生じる罪の生活、あるいは試練、困難などで、それができなくなっているのではないだろうか。それ故力のない信仰生活となってしまう。ここにレアという女性の、困難の中にも主を讃え、主もそんな彼女に豊かに報われ、喜びの生涯を与えられたことを見る。レアは、
@いつも祝福の源に目を留めていた人だった。
彼女の外見や内向的な性格、また不幸な結婚は、彼女をますます追い詰めたが、彼女はそれらの中で問題の持って行き所を明確に知っており、そこで慰めを受け、安息していた。それ故、神は彼女のために、子を与えるという特別な恵みを与えられた。夫には愛されなかったが、神は彼女を愛し、祝福された。
Aいつも感謝の人であった。
4番目の息子が生まれた時には、主をほめたたえる事は彼女の生き方になっていた。(ユダという名前はほめたたえる、の意)。その後も彼女の女奴隷や彼女自身から生まれた子供全てを神様からの祝福と受け止め、神を喜び感謝した。彼女の心は常に真の神様に向いていて、神様がいつも彼女のうちに働き、祝福しておられることを知っていたからだ。
レアには選択肢があった。彼女は自分の置かれた環境や状況を嘆き、自己憐憫に浸ることもできたであろう。一方で彼女は神様が与えられる祝福に目を留め、喜び、感謝し、賛美して、自分自身を忘れることもできた。確かに彼女は正しい選択をし、それによって多くの祝福を得たのである。
彼女はラケル(ヤコブが愛した妻)より長生きし、先祖の墓に葬られ(創世記49:31)、そこにヤコブ自身も葬られた。また祭司職のレビ族はレアの血筋であり、王位を有するユダ族もまたレアの血筋、そして主イエス・キリストの家系も彼女を通してのもの。主は確かに彼女に栄誉を与えたのである。
私たちも神様から与えられているものに目を留め、それを数え、感謝しよう。神様を一心に見つめ、全ての祝福はここから来ることを信じよう。
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第四主日礼拝:2011年6月26日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「・・・・恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。あなたがたのうちに働きかけて、その願い を起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:12,13)
題「「志を起こさせ実現させる神」(2コリント6:1,2,ピリピ1:6,2:12.13:1-35)
神が私たちのうちに、救いを求め、神を求める働きを始めて下さった。神は、主イエスが再び来られる日までに、救いを完成して下さる。
救いの3つの段階
1.私はすでに十字架で、罪の罰から解放されました。
2.日々私は、罪の力から解放されています
3.やがて私は、罪そのものから全く解放されます。 罪とは、「自分の人生は自分でコントロールしよう」とする「自我」のことです。「罪の行い」は、その「自我」の結果なのです。
イエス・キリストを自分の人生の王座にすでに迎えたあなたが、新生体験前の生活習慣の中でつくり上げられた誤った自分の価値観、癖などのサタンの要塞を、日々主に明け渡していくならば、主の力によって自由にされるでしょう。
そしてさらに素晴しいことには、自分の必要だけを考えてしまうような自己中心的な弱さから解放されます。自分の人生で癒しと解放と勝利を体験すればおのずと周囲で起こっている霊的戦いに効果的に参与できるようになり、また、キリストのいのちと力を世の人たちに流していく管となるのです。
御霊によって主はこう語っておられます。「わたしに頼るべきことを、自分一人で解決しようとしていたために過去の問題に勝利できなかったのです。もう努力は止めて、あなたの人生を生きた供え物としてわたしにささげなさい。わたしは、天においても地においてもすべての力をもっています。わたしにゆだね切るとき、あなたは解放されるのです。」と・・・・。
ラルフ・ネイバー「人生の山頂を目指して」P92より抜粋
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