説教の要約:2012年12月
 
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第一主日礼拝:2012年12月2日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして・・・・」(ルカ9:1,2)
 
題「力と権威を与えて宣教に遣わす」(ルカ9:1-6,10:1-11,17-20)
教会は7つの本質を持つ
@関係(愛の関係)
主イエスは弟子たちに近づき、声を掛け、食事をし招き、生活を共にした。主イエスの働きを見せた。病人を癒し、悪霊を追い出し、福音を説いた。選んだ者について来なさいと言われ、弟子とされた。主イエスは人々と関係を持たれた。人々を愛と御業によって引きつけた。愛の関係を作られた。
A参加(主イエスの働きに参加)
弟子たちを主イエスの働きに参加させた。主イエスについていくことに喜び、使命、命があり、弟子として召された。この方が神の御子であると信じることができた。
B能力付与(主イエスの権能を弟子たちに賦与)
主イエスは病気を癒し悪霊を追い出す力と権威を12弟子たちに与えて遣わされ、また72弟子たちが与えられた権限に応じて主イエスの働きを担った。
Cイエス中心
神は主イエスを通して救いの御業を行われた。主イエスにすべての権限を与えた。主イエス・キリストの御名によって人々が救われた。
D伝道・増殖
人々が救いに導かれた。教会が増殖した。
Eネットワーク
他の教会がエルサレムの教会を助けた。他の教会に宣教協力を行った。
F適応可能な構造
使徒たちは御言葉と祈りに専念し、7人の選ばれた人が人々の食事や生活の必要の管理に当たった。神の言葉がないがしろにされないように、ルールや共同体の体制作りをした。
 
 
 
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第二主日礼拝:2012年12月9日
 
説教者 加藤篤子師
 
今週の聖句
「マタイという人が収税所にすわっているのを見て、『わたしに従ってきなさい』と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。」(マタイ9:9)
 
題「取税人マタイの書いたイエス・キリストのご降誕」(マタイ2:1-12,9:9,10:3)
◇マタイの福音書の特色は、@「これは預言者によって言われた言葉が成就するためです」Aまず系図が出てきます。これはイエスがダビデ王の子孫で王としての身分を示しているものです。
◇東方より博士がきてユダヤの王ヘロデに、ユダヤ人の王はどこに生まれますかと尋ねた。ここに3種類の人の心情が現れています。 @ヘロデ王の反応:憎悪と敵意です。 A祭司長:律法学者の反応、徹底的無関心です。 B博士達の反応:真心込めた礼拝です。
◇博士達の真心からの贈り物は、@黄金:王様への贈り物 マタイはイエスの王としての誕生を強調しています。A乳香:イエスは祭司として神に通う道を開かれた。B没薬:イエスは人々に生命と死を与える為に来られた救い主になる事の予告でした。
◇上記でマタイ福音書の大切な目的は、王として生まれたイエスを示す事と申しましたが、この使徒名マタイは、10:3の所に取税人と肩書きを付けています。ローマの属国の取税人ですから売国奴と言われ、町のきらわれ者でした。
  その取税所にいる彼に「イエスは彼がすわっているのを見て(9:9)、『わたしに従ってきなさい』と。」憐れみと慈しみの温目で見られたマタイは立ち上がってイエスに従った。彼は心の王としてイエスを迎えたのです。彼は生涯いや聖書の続く限り、彼の頭の上に取税人を冠せていました。彼はすべてを捨て従ったのですが、ただ一つ捨てなかったものそれはペンです。彼はこの文章の才能を用いて、イエスの教えを収録する最初の人となりました。私たちもご降誕節を迎えて主を王として迎えよう。そして主に用いられよう。
 
 
 
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第三主日礼拝:2012年12月16日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:12)
 
題「言(ことば)の神が、神の子とするために来られた」(ヨハネ1:1-13)
 私たちは真の神を知らず、神の戒めも知らず、この世の法や道徳、常識、習慣に照らし合わせて、自分の正しいと思うことをして、実は滅びに向かっていた者だった。しかし神は私たちを愛し、この救い主を女から生まれさせ、神と私たちを断絶させている罪を取り除き、永遠の命を受けることができる救いの道を拓いて下さった。
1)天に属する富を与えるために来られた
@キリストは地上に降誕される以前にもおられ、言(コトバ)として天地が創造される前から神と共におられた。神としての栄光を持っておられた。万物はこの言によって創造された。神が光あれと言われると光があった。言が働かれるとその通りになった。言に力と権威がある。 Aこの言に命がある。言が命を与える。天に属する言であり、命である。言は人が神の前に何者であり、どう生きるべきかを教え、その人を生かす。言によって命に与ることができる。 Bこの命は世(人)を照らす光である。すべての人に闇が働いている。人の生命を奪い、愛を冷えさせ、争いを起こさせる、信頼を奪い、望みを消す、闇が働いてくる。闇は光を憎む。しかし光には勝てない。光は世を照らすために来られた。
2)私たちを神の子とするために来られた
 言、命、光である方がイエス・キリストとして世に来られた。闇が世を支配する。光は世を照らす。闇は光を理解しない。闇にある者は自分がどこに行くか知らない。世は言を受け入れなかった。しかし、この名を信じた者は神の子となる特権を与えられた。イエスとは、神はわが救い。ご自分の民を罪から救う者。キリストとは、油注がれた者、王、祭司、預言者の三職を兼ね備え、選民が待ち望む預言された神の子である。
 
 
 
 
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第四主日礼拝:2012年12月23日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14)
 
今週の聖句
「恵みと真理に満ちた方が来られた」(ヨハネ1:14-18)
 クリスマス、キリストのご降誕をお祝い申し上げます。神の御子、イエス・キリストが私たちの救いのためにおいで下さった。私たちは真の神を知らず、神の戒めも知らず、この世の法や道徳、常識、習慣に照らし合わせて、自分の正しいと思うことをして、実は滅びに向かっていた者だった。闇にいる、命を失っている者だった。神の戒めを与えられた選民であるユダヤ人たちでさえ、律法の重荷に苦しみ、人を裁き、罪の奴隷であり、自由を失っている者であった。しかし神は私たちを愛し、この救い主を女から生まれさせ、神と私たちを断絶させている罪を取り除き、永遠の命を受けることができる救いの道を拓いて下さった。私たちはこの神の御子のご降誕を祝う。この御子は
3)肉体をとり、人となって来られた
 言は有限で不自由さを抱え罪を犯しやすい肉体をとって、人となり私たちの間に住んで下さった。死の恐怖のために罪の奴隷になっている人間をサタンの力から解放するために来られた。憐れみ深い大祭司、私たちの兄弟となって下さった。「貧しき憂い、生くる悩み、つぶさになめしこの人を見よ」(新聖歌99)。天の栄光を捨て、身を低くされ、家畜小屋で生まれ、貧しさを負い、弱い者の友となって下さった。
4)恵みと真理に与らせて下さる
 律法はモーセを通して与えられ、人間が聖く、正しく善く生きるために必要であるが、人がそれを熱心に行おうとすると、人を裁き、責め合い、争いが起こってくる。そういう思いが起こってくる。主イエスは十字架と復活を通して、敵意や憎しみを滅ぼし、愛や喜びなどの天的な徳性を私たちの内に実現して下さる。
 パリサイ人らはユダヤ人社会を律法を熱心に行うことによって秩序正しく治めようとした。神の言葉によってユダヤ人社会を神が支配される国にしようとした。しかし、それは神の律法を人間の知恵で解釈し、人間の熱心で守ろうとするものであり、結果的に人を裁き、殺し、自由を奪うものであった。御子を排除し、抹殺しようとするものであった。主イエスはご自身を世の光として現され、罪人、病人、体の不自由を抱える人、社会から見捨てられている人たちにも神の恵み憐れみ、天国の真理を拓いて下さった。
 キリストをわが心の内にお迎えし、主としてお住みいただき、仕える者とさせていただきたい。
 
 
 
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第五主日礼拝:2012年12月30日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」(1テサロニケ5:16,17,18)
 
今週の聖句
「いつも喜べ、すべてのことを感謝せよ」(1テサロニケ5:16-18)
「喜び」について 福音書、使徒行伝より。
 その中心は福音の喜びである。素晴らしい何にも替え難い宝が与えられた。神の御子がお生まれになった。主イエスが復活された。主神の御心に従う者は迫害を受けるが大きな報いが与えられるから、喜びなさい。
 弟子たちは主イエスが去っていくことを聞いて悲しんだが、主イエスはそれはあなた方の益になると言われた。それはイエスが父の許に行き、助け主、聖霊を送るからである。この真理の御霊が来られると、イエスのことを思い起こさせ(ヨハネ14:25)、あらゆる真理に導き(ヨハネ16:13)、主イエスの持っておられた平安を与え、主イエスの戒めに従うことによって主イエスの喜びが満ち溢れる(ヨハネ15:11)。主イエスの言葉にとどまり、主イエスにつながっているなら、何でも求めることができ、与えられる(ヨハネ15:7)。初代教会時代、弟子たちは様々な迫害を受けたが、聖霊によって強められ、恥を受けるに足る者とされたことを喜んだ。(使徒5:41,13:52)
「感謝」について
1)5千人の給食と呼ばれる箇所において、主イエスは5つのパンと2匹の魚をとり感謝を献げて群衆に分けられた。皆が食べて満腹し、余った残りで12の籠が一杯になった。キリストは天から降ってきた命のパンである。
2)主イエスは最後の晩餐で、感謝してパンを割き、ぶどう酒を注いで弟子たちに与えられ、罪の赦しのために与えるものであると言われた。主イエスの肉を食べ血を飲む者は永遠に生きる、主イエスの十字架による贖いを記念して聖餐を行うように命じられた。
 
 
 
 
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