説教の要約:2013年2月
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第一主日聖餐式礼拝:2013年2月3日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、『主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。』」(ルカ2:28-30)
題「主イエスに出会う幸い」(ルカ2:25-38)
主イエスが誕生して、きよめの期間が過ぎて、幼子をささげるために両親がエルサレムに上った。
シメオンという人がイエスを抱き、神を誉め讃え、幼子の正体を見抜き(啓示を受け)、預言し、祝福した。シメオンは正しい信仰深い人、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた人であった。〔神との関係が正しい人、目に見えるものだけによらない、神の約束を信じ、期待する人、自分だけでなく、選民、同胞の上に神の約束、祝福が注がれることを待ち望んでいた人〕。シメオンは聖霊の宿った人、救い主に会うとの聖霊の示しを受け、御霊に導かれて宮に入った。おそらく高齢であったであろうシメオンが幼子主イエスに出会い、神の約束が成就したこと見て神を誉め讃え、喜びに満たされ、自ら安息を得、また両親に良き知らせを伝えた。
アンナという84才の女預言者。10代で結婚し、20代の前半でやもめとなり、60年間、宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって神に仕えていた人。自分の悲しみを深く味わいながら、この世の苦しみを問い、神の救いを祈り待ち望み続けてきた、神の救いの言葉を伝えるために生きてきた。厳しい人生であったであろう。このアンナが幼子に近寄り、感謝をささげ、エルサレムの救いを待ち望んでいるすべての人々に喜びの知らせを語りきかせた。
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第二主日礼拝:2013年2月10日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、『子よ、あなたの罪はゆるされた』と言われた。・・・・すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行った」(マルコ2:5,12)
題「罪を赦す権威を持つ方」(マルコ2:1-12)
1)主イエスは4人の人たちの信仰を見て、「あなたの罪は赦された」と言われた。
@中風の人自身の信仰によったのではなかった。
Aこの人たちはこの友人を主イエスの許に連れて行ったら癒してもらえると信じ期待して連れて行った。主イエスはその信仰を見て、癒しを行われた。ここに中風にかかって苦しんでいる仲間を愛し、イエスの癒しの力を信頼し、期待して主イエスの所に運んだ共同体を見る。その信仰を見て主イエスは癒しを行われた。主イエスはその信仰に応えて下さる方である。
2)「子よ、あなたの罪は赦された」
・「子よ、あなたの罪は赦された<取りのけられた〔すなわち、刑罰は免除され、罪責の意識は除かれ、まっすぐにされて、神の御前での正しい身分の者とされた〕>」(詳訳聖書)
@主イエスは罪があるから病気になっていると指摘されたのではない。
A主イエスは罪を赦す権威のある方である。
律法学者を怒らせた。主イエスは自ら罪を赦す権威を持つことを宣言し、それをこの中風の人を癒すことを通して証明して見せた。
B神の御前に罪のない者はいない。主イエスに、「あなたの罪は赦された」と言われて、自分の罪に気が付く。〔主イエスの前に出る時に自分の罪を知る、知らされる、気が付く。自分を、人を、社会を裁く。そこに目を向けている、注いでいる時には気が付かない。そして自分は正義を行っていると思う。〕
3)自分に不幸があったり、苦しみに遭う、それが続く時、神に責められたり、神に赦されていないと思わないか。そうではなく、主イエス・キリストを通して私を赦し呪いから解放して下さった神を信じる信仰に立ち続けたい。
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第三主日礼拝:2013年2月17日
説教者 加藤篤子師
今週の聖句
「主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のために
わたしを正しい道に導かれる。」(詩篇23:3)
題「主は私の羊飼い」(詩篇23篇)
◇主は良い羊飼い パレスチナの野原は決して豊かな牧草地ではありません。岩だらけのまるで沙漠、水を飲ませることも草を与えることも大変な環境です。昔は野獣に満ちていました。羊は他の獣に対して自己防衛力を持たず地理的弁別がなく、近視眼的であって迷いやすい動物です。またどんな羊飼いに飼われるかが羊にとって天と地の違いをもたらします。主イエスは「良い羊飼い」でいます。
◇3節、4節。主は御名のために私を義(ただ)しい道に導かれる。ダビデは誰よりも波瀾万丈の人生を歩みました。ダビデは何もやましい心も謀反の企てもないのに、サウル王に誤解され嫌われ、中傷され命をつけねらわれました。自国で生きる土地はないと狂人のふりをして敵国へ逃げて行きました。これこそ現実の死の陰の谷を辿りました。人生にはどんなことが起こるか分かりません。振り返って私共の信徒としての道程はどうでしたでしょうか。誘惑に負ける弱さプライドの故に何回つまずいて苦しみ、わがままを通して病んだでしょうか。しかし主は十字架の贖いの血の約束にかけて、どんなことがあっても導いて下さいます。死の深い谷のそばには山があり、惠の高峯があり、谷には水の流れがあり、泉がありいこいの場所があるものです。
◇5節、6節。東方(とうほう)においては強盗や敵に追われた旅人がその天幕に逃げ込んだら、そこの主人は旅人を追跡から保護する習慣があった。その旅人は中にいる限り安心して主人のもてなしを受けられるのです。私たち信徒もいかに悪魔が誘惑してきても、み言葉の糧で恵みと祝福に豊かにあずかっているのです。「私の生きている限り恵みと慈しみが私を追ってきます。やがて私は主の家につき、いつまでもおそばで暮らすことでしょう。」自分だけでなく、みんなと共に主のみもとにまいりたいものです。
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第四主日礼拝:2013年2月24日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」(使徒20:35)
今週の聖句
「消費者から貢献者へ」(使徒20:35、ヨハネ14:6)
イエス・キリストは、父なる神(御国)への道(ビジョン、視点)、真理(原則、価値観)、いのち(文化、雰囲気)である方。この御言葉の恵みの中に生きるとはどういうことだろうか。
どこから来てどこに向かって生きるか、その青写真があるなら、目標に向かって生きることができる。聖書は万物を創造し、永遠から永遠を支配される神の真理を教える。神の真理に立ち、神のいのちに生きる時に神は共におられ、不思議を行われる。
CCMN(世界セル教会宣教ネットワーク)では、7つの原則を提唱する。1.関係、2.参加、3.能力賦与、4.イエス中心、5.伝道・増殖、6.ネットワーク、7.適応可能な構造。
1.関係。教会はイエスを主と告白する人たちの共同体(セル)であり、それはイエスを中心とする愛の共同体である。互いに責任を負い合う関係であり、説明責任を伴う。三位一体の神は、人を愛の関係に共同体に生きるように造られたが、サタンは物質に業績に人や物(者)に価値観を置くように働く。
2.参加。神の御心にかなう生活、生き方、人生に参加。人間は消費的価値観の社会に生きている。より高価なものをより多く消費する者が価値があったり成功しているように教えられていないか。物質主義に囚われている。しかし聖書的な価値観はいかに貢献するかである。神は愛する方、与える方、主イエスは仕えた方であり、弟子たちの足を洗われた。「私たちは受けるより与える方が幸い」と言われた主イエスの価値観に生きる者と共にいて御業を行って下さる。
その人の価値観はその人の言葉にではなく、その人の行動に現れている。行動が変わっていくためには、価値観が変わる必要がある。あるものは時間がかかる。しかし神は成し遂げて下さる。
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