説教の要約:2013年10月
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第一主日聖餐式礼拝:2013年10月6日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。」(ルカ17:15,16)
題「神をほめ讃え 主に感謝せよ」(ルカ17:11-19)
10人の重い皮膚病(@)に罹った人たちが主イエスに癒しを求め、「行って祭司に見せなさい」とと言われた主イエスの言葉に従って、癒された。(A) 10人のうちの一人だけは、主イエスのもとに帰ってきてひれ伏し、神を誉め讃え、感謝した。彼はサマリヤ人であった。
@)この病む人たちは遠くから主イエスに叫び求めた。主イエスはこの願い・祈りに応えて下さった。
A)このサマリヤ人だけが帰ってきて、主イエスの足元にひれ伏し、神を誉め讃え主に感謝した。サマリヤ人はかつて同胞であったが、歴史の中で異なる神を造り、いがみ合う関係となってしまった民族である。そのサマリヤ人が癒され、イエスを主と拝し、神を讃美し、救いを受けた。これに対して、おそらく残りの9人はユダヤ人であったと思われるが、彼らは病を癒されたが、イエスを通して神を拝することはなく、主イエスと真の意味で出会いはしなかったと思われる。
B)神を大声で誉め讃える、神が遣わされた方を通して神を拝する。イエスを通して救いが来る。神の支配の中に生きる。神が共におられ、神を拝する。私たちは主イエスの前にひれ伏して感謝し、神を誉め讃えていない時、何か違うものを拝み、心を奪われているのではないか。
@重い皮膚病とは、伝染性の汚れとされ、病気が治り、償いのいけにえを捧げて清めの式にあずかるまで共同体から除外された。(レビ記13,14章)。皮膚病は神が罪人を打つ災厄、罪の徴とも考えられた。〔エジプト人(出エジ9:9),ミリアム(民数12:10)、ウジヤ王(U歴代26:19)〕。
Aイエスは病を負われた方。イザヤ書には病を負う苦難の僕について預言されている。罪がなかったにもかかわらず、神に"打たれ、皮膚病患者のようになって”、人々から顔をそむけられ、人類の罪を背負ったこの僕が受ける傷によって人間が癒されることが預言されている。(マタイ8:16,17、イザヤ53:3-12)
C)主の弟子たちも、重い皮膚病を癒すために遣わされた者である。(マタイ10:7)
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第二主日礼拝:2013年10月13日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。」(出エジプト記25:8、9)
題「主が共に住まれる幕屋とその形」(出エジプト25:1-11、16-22)
1)主はモーセに、選民イスラエルの人々が神に心から喜んで、献げものをするように命じられた。
2)その献げ物を用いて、主のための聖所を、主が共に住まれる幕屋とその用具を、主が示された型に従って造るように命じられた。
@幕屋は、天にある本物の聖所、すなわち、天国の、地上における模型であった。(ヘブル9:23、24)
A幕屋は、神が住まわれる場所であり、神の臨在を示す物であった(出エジプト25:8)。この幕屋がイスラエルの宿営の真ん中に置かれたことは、神がイスラエルの宿営の真ん中に住まわれることを示していた。現代はクリスチャンの心の中に住んでおられる。従って、幕屋は信者の体の予型でもあった。(Uコリント5:1,4、Uペテロ1:13,14)
B幕屋は、神が人にお会いになる場所であった(出エジプト25:22)。それゆえ「会見の天幕」とも呼ばれた。民の代表であるモーセと神とが会見したのであり、全能の神が、罪深い人間と語って下さる場所であった。
C幕屋には神の律法が保管されていた。すなわち、イスラエルの生活の真ん中には、神のいましめがあった(16)。
D幕屋はいけにえが捧げられた場所であった。罪を犯して裁かれなければならない人間に代わって、動物の血が流され、贖いがなされたのである。
E幕屋は神を礼拝する場所であった。
F幕屋は、イエス・キリストご自身の型(タイプ)であった。幕屋の中になる多くの用具は、キリストの型だったが(ヘブル9:23)、また幕屋自体もキリストの型であった。ことば(キリスト)は、人となって、われわれの間に幕屋を張られたのである(ヨハネ1:14。ここで「住まわれた」と訳されている原語の原意は、「幕屋を張った」である)。従って、幕屋の中心テーマは、イエス・キリストであり、それ故、幕屋はキリストによる福音そのものを表しているのである。
幕屋は「型」であり、「影」であった(ヘブル10:1)。「影」はその「実体」を示唆している。神はイスラエルに、幕屋という「型(象徴)」を通して、キリストによる偉大な贖いのみわざを、あらかじめ教えようとされたのであった。この幕屋は、「あかしの天幕」とも呼ばれた(民数9:15)。幕屋はやがて来たるべきお方をあかしする場所だったからである。
この幕屋を通して、神の聖さと荘厳さが表され、またいけにえの血を流すことによる神との交わりの方法と、また仲介者(祭司)の必要性が教えられた。なぜなら、幕屋の中の聖所にはいるためには、いけにえの血によって清められなければならず、そのためには祭司の存在が必要だったからである。従って、幕屋で仕える祭司は、キリストの型(タイプ)であった。
1)契約の箱(25:10以下)
2)贖いのふた(25:17以下)
3)机(25:23以下)
4)燭台(25:31以下)
5)幕(26:1以下)
6)板(26:15以下)
7)垂れ幕(26:31以下)
8)祭壇(27:1以下)
9)庭の掛け幕(27:9以下)
新聖書講解「出エジプト記」25章
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第三主日礼拝:2013年10月20日
講演会 宮谷 泉師 (奈良福音教会牧師)
「クリスチャンが知っておきたい仏教の本質」
(ICF教会インターネット放送より視聴)
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第四主日礼拝:2013年10月27日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「その垂幕はあなたがたのために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう。また至聖所にあるあかしの箱の上に贖罪所を置かなければならない。そしてその垂幕の外に机を置き、幕屋の南側に、机に向かい合わせて燭台を置かなければならない。ただし机は北側に置かなければならない。」(26:33-35)
今週の聖句
「神が共に住まれる幕屋とその形(2)」(出エジプト25:、26:)
あかしの幕屋は、聖所と至聖所に分けられ、至聖所には契約の箱があった。聖所には、机、燭台、香壇があった。
1)契約の箱(25:10-16):幕屋の一番奥の至聖所に置かれた。この箱の中には十戒の2枚の石の板、芽を出したアロンの杖、マナの入った金の壺が入っていた(ヘブル9:4)。神の御心を証しするもの(あかしの箱)。新約の時代において、律法を一人一人の心の中、思いの中に書き付けようとされた。(ヘブル8:10)
2)贖いのふた(25:17-22):あかしの箱のふたの両端に金のケルビムが置かれ、翼を広げてそのふたを覆っていた。このケルビムの間から神はモーセに語られた。一年に一度だけ、大祭司は至聖所に入り、贖いのふたの東側に血を振り掛けて、イスラエルの民の贖いをした(レビ16章)。新約においては、イエスの血を通して、私たちはいつでも大胆に神に近づくことができる(ヘブル10:19)。
3)机(25:23-30):絶えず12個の備えのパンが置かれた。12部族が絶えず神に捧げられることの象徴。荒野で神はマナで民を養われた。キリストは天からの命のパン(ヨハネ6:35、54)。
4)燭台(25:31-40):幕屋の灯りはこの燭台による。キリストは世の光であり(ヨハネ8:12)、クリスチャンにも世の光として照らすように命じた(マタイ5:14)。
5)幕屋(26:1-14):幕屋は、亜麻布、青、紫、緋色の非常に美しい撚り糸で造られ、また巧みな細工でそれにケルビムが織り出された。内側は美しかったが、外側は山羊の毛で覆われていた。この美しい内側は、聖所の中に入る者だけが見ることができた。幕屋に入る事ができたのは祭司で、いけにえを捧げ、その血によって潔められ、罪を赦された者のみがこの美を見ることができた。キリストがこの世に来られて、私たちの間に住まわれた(幕屋を張られた)。新約において、キリストのいけにえの血によって内側が潔められ、キリストの美を持つことができる。
5)垂れ幕(26:31-33):聖所と至聖所を仕切っていたのが、ケルビムの織り出されている美しい垂れ幕であった。この垂れ幕と通ってのみ、至聖所にはいることができた。主イエスが十字架上で息を引き取られた時、神殿の聖所と至聖所を仕切る垂れ幕が上から下に真二つに裂けた(マタイ27:51)。この垂れ幕はイエス・キリストの肉体の予表(ヘブル10:20)。キリストが贖いの死を遂げたことによって、誰もがキリストを通して、天国に入ることができる道が開かれた。
6)天幕の入り口の幕(26:36,37):外の庭から聖所に入るには、入り口に幕があった。祭司はこの幕を通って聖所に入り務めをした。聖所に備えのパン、燭台、香壇があり、祭司は聖所で礼拝した。私たちも、キリストを通して神を礼拝する。
新聖書講解「出エジプト記」25、26章
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