説教の要約:2014年1月
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元旦礼拝:2014年1月1日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」(ローマ12:12)
題「キリスト者生活の規範」(ローマ12:12-16)
1)<11節>が実現する土台として、5章1-5節の御言葉を思い出す。望みを抱いて喜び続ける、患難に耐えるには望みの信仰と祈りが必要。
@律法に違反していると神の前に平安でおれない。イエス・キリストによって罪赦され、義とされ、神の子とされ、御国を嗣ぐ者とされた。イエスキリストを通して、神の前に安息を得、神の栄光の輝きをいただく希望を持っている。そこにクリスチャンの喜びがある。
Aイエス・キリストによって光り輝く者となる希望を持っているから、患難をも喜ぶことができる。患難は忍耐を生み出す。苦しみや悩みに耐えるようになり、それを乗り越え、さらに上手に乗り越える訓練ができて強さを増してくる。忍耐は錬達〔練られた品性(新改訳)〕を生み、錬達は希望を生み出す。
B私たちは何かしら神様から課題を与えられている。弱さや問題、乗り越えるべき課題を与えられており、忍耐して練られた品性が培われ、神の栄光に預かる望みに生きることができる。
C神の愛が注がれており、主イエスとの交わりによって神様が共におって守り支えて下さっている。信じて受け取りつつ、望みを持ち、忍耐し、整えられ、成長させて頂く。〔これを自分の積極思想や頑張りで行う時、初めは良いがやがて行き詰まり、人や自分を非難・批判する。〕
2)人が成長して求めるべき実は何だろうか。人を生かすもの、残るもの。愛、喜び、平和(平安)、寛容(忍耐強さ)、親切、善意、誠実、柔和(謙遜)、自制(節制)。これらは、一般社会のおいても重んじられるもの。しかし、これがいつまでも残るものとして働かせるには、神の霊に支配されて行うことが必要がある。
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第一主日聖餐式礼拝:2014年1月5日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」(マタイ6:33)
題「まず神の国と神の義を求めよ」(マタイ6:19-34)
1)地上の宝は失われる。天に宝を蓄えなさい。世は地上の宝に目を向けさせる。衣食住はなくてはならないものだが、それに富もうとする価値観を植え付けられる。財産、社会的地位、人への影響力、何に富もうとするか。しかし、神と富みに兼ね仕えることはできない。
2)命を守るために飲食する。しかし地上の命を豊かにすることに思い煩っていくのではないか。神は空の鳥さえも養って下さる。神は御子をも惜しまずに与えるほどに、私たち一人一人を愛して下さる神であり、必ず養って下さる。また何を着ようかと思い煩うな。野の花を美しく装われる神は、私たちの体に必要な装いを与えて下さる。
3)主イエスは神の支配を私たちに実現するために来られた。主イエスは、まず神の国と神の義を求めるように命じた。そこに真の命があり、装いがあるからであり、真に富む道があるから。
4)神の国は神様の支配であり、主イエス・キリストは人の病を癒し、体の不自由を治し、人から悪霊を追い出され、罪や死、サタンの支配から神の命に・恵みの支配に移された。人の義は神の律法を文字通り人に適用し、裁きに向かいやすいが、神の義はイエスキリストを通して、赦しや癒し解放を与え、人に新しい神の義の衣をまとわせ、神の作品として、良い行いをもって神を誉め称えつつ生きる力を備えて下さる。
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第二主日礼拝:2014年1月12日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「イエスは答えて言われた、「・・・だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。・・・・『・・・だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。』」(ヨハネ3:3-6)
題「霊によって新しく生まれる」(ヨハネ3:1-16)
1)ニコデモはユダヤ教の年輩の指導者であり、パリサイ人であったが、夜、イエスを訪れ、その不思議な力について問い、神が共におられるからだとの思いを告白した。律法の教えや行いについては人々の模範であり、神に最も近いはずの人であった。
2)イエスはニコデモに、神の国を見るためには新しく生まれなければならないことを教えた。さらにそれは水と霊から生まれることである。水は洗礼を意味する。母の胎から普通に肉によって生まれた者は肉に属している者であるが、御国に入る(受け継ぐ)には、さらに神の霊によって新生しなければならない。(参照 使徒行伝2:38)
3)主イエスは霊の働きを風に例え、見えないが存在し働くものである。神の霊に当たる言葉は息や風とも訳される言葉。霊に属する者となり、霊の働きを察知することが求められる。
4)生まれながらの者(地に属する者、肉に属する者)は、霊に属する者〔天から来る者(イエス・キリスト)、天に属する者(キリスト者)〕を受け入れない(理解しない)。(11-13節,参照 3:31-33)。しかし、神の国に入るために、霊の人となることが求められる。
5)天から下ってきた者を信じることによって永遠の命を持つことができる。人の子(キリスト)は、モーセが荒野で蛇を上げ病や癒されたように、十字架に架けられ殺され、復活されることにより、人々の死の病が癒され、滅びから救われる道を開かれた。(13-15節)
6)天から聖霊を送って導いて下さる方に従って、実を結ぶ者とさせていただこう。
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第三主日礼拝:2014年1月19日
説教者 加藤育代師
今週の聖句
「どのような時にも霊≠ノ助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エペソ6:18・新共同訳)
題「祈りの戦い」(エペソ6:10-20)
1、どんな時にも御霊によって祈る。
私たちが祈り続けるには、御霊の助けがいる。御霊によって祈るとはどういうことか。
@御霊に導かれて祈る(ローマ8:26)
祈り≠ニいうことが心に浮かんだとき、御霊はすでに私たちを祈りに導いておられる。私たちの祈りは神が導かれ、神が働かれる。「祈りは、神より出て神に帰るもの」
A御霊の考えにそって祈る。
リビングバイブルでは、「どんなことでも、聖霊様の考えにそって神様に求めなさい」とある。
私たちは、祈りの中で主のお考えやご計画を教えていただくことができる。それを祈る。この祈りこそが「御霊による祈り」である。最初は難しくとも、祈る中で御心を求めていくならば、知る事ができる。 私たちの教会が祈りのパートナー(教会だけのパートナーではなく)で、個人の事のみならず、礼拝や伝道や交わりのために祈り続けるなら、教会は聖霊によって燃やされ、主の祝福が豊かに注がれるであろう。
2,すべての聖徒たちのために。
とりなしの祈りは神のみこころであり、この事によって主のお働きが前進する。私たちが祈ることで、聖徒たちの信仰が強められ、力が与えられ、サタンの攻撃の火の矢を消すことができる。また神が必要を満たされ、道を開いて下さる。
キリストの教会は、クリスチャンの祈りによって進展する。祈っている信徒の多い教会は成長し、祈りの手が下がった時、教勢も衰えてくる。私たちは、自分の所属する教会のために祈ろう。教会を批判することは容易であろう。しかし、それはサタンの働きである。
私たちの教会には、祝福の祈りの門が既に開かれている。心を合わせ、熱心に、聖霊に助けられて主の御名によって祈るなら、素晴らしい主の御業を拝することができる。新しい年、祈りのパートナーで心新たに祈ろう。また、ぜひ祈祷会にも参加してほしい。
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第四主日礼拝:2014年1月26日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。」(ヨハネ黙示録3:7-13)
今週の聖句
「天の門が開かれる主の約束に生きる」(ヨハネ黙3:7-13)
1)ヨハネ黙示録はイエス・キリストが使徒ヨハネに見せられた幻による黙示を、ヨハネが書き記し、アジアにある7つの教会に書き送ったものである。
2)「聖なる者」:聖い方、汚れた者は神に近づくことはできない、この方が私たちを清めて、神に近づくことを赦しできるようにして下さった、神の聖さを持ってきて下さった。 「まことなる者」:真実である方。約束されたことを行われる、いつも変わらない方。主イエスは人々を救うために来られた。病や体の不自由を癒し、サタンの束縛から解放して下さった。罪、サタン、死の力から解放して下さった。 「ダビデの鍵を持つ者」:ダビデの町、エルサレムにある、天のエルサレムの鍵を持つ方。 「開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者」:神の国に入るために開かれている門。この方だけが、門を開いたり閉じたりする権威を持っておられる。
3) 主イエスが、「わたしがあなたの前に、誰も閉じることのできない門を開いておいた」と約束して下さる。それはなぜか、「あなたは少ししか力がなかったが、イエスの言葉を守り、イエスの名を否まなかったから」。
4)自称ユダヤ人は恥を見る。キリストの姿が、その人から顕れているか。キリストの品性、香りがその思いや物の考え方に現れ、生活に滲み出してきているだろうか。
5)「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、・・・・試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう」:苦しみや迫害が起こってくるが忍耐する時、主はその試練を防ぎ守って下さる。(マタイ10:22,24:13,ルカ8:15,21:19)。
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