説教の要約:2014年4月
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第一主日聖餐式礼拝:2014年4月6日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」(マルコ15:15)
 
題「十字架を取り巻く人々」(マルコ15:1-28)
祭司長たち、ユダヤの長老(律法学者、パリサイ人ら):イエスを殺そうとピラトに訴え出た。安息日規定などの律法を守らず、自分を神の子とし、神を冒?した罪が彼らにとってイエスを死罪に定めた理由であったが(マルコ14:63)、しかし、ピラトに対しては、自分をユダヤ人の王とするローマ皇帝に対する反逆罪(マルコ15:2,ヨハネ19:12)で訴えた。
ローマの総督ピラト:祭司長らがイエスを訴えるのは妬みのためであることを見抜き(15:10)、またイエスにはローマに武力を持って反逆する力も意志もないことを知り、何とか赦そうとした(マルコ15:9、ヨハネ18:36)。祭りにおける恩赦の習慣を用いて「ユダヤ人の王を赦すか」と問うたが、祭司長らに扇動された群衆は、極悪人バラバを赦し、イエスを十字架につけよと叫んだ。ローマの総督として法と権威をもって正しく裁く立場にあったが、保身のために群衆の間違った叫びの言いなりになった。
群衆:週の初めの日には、イエスを歓呼して迎えた群衆であったが(マルコ11:9)、イエスが捕らえられ、裁判を受ける立場に立つと、祭司長らの指示に従い、イエスを十字架につけるように叫んだ。
ローマ兵:権力を背景に剣を帯び、暴力や悪意をもってをイエスに心身共に虐待を加えた。
強盗バラバ:バラバは評判の囚人(マタイ27:16)であったが、無実のイエスの身代わりによって釈放された。
クレネ人シモン:イエスの十字架を無理に負わされた人。北アフリカの地から来た人。「アレキサンデルとルポスの父」とあるが、当時この福音書を読むであろう人たちによく知られていた人だと思われる。
 使徒パウロはローマ人への手紙でルポスに挨拶し、「ローマ16:13 主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。」と言っている。同一人物だと考えると、シモンは無理にイエスの十字架を負わされたが、その後ローマに移り住み、信仰を持ち、ローマの教会に仕える者となったと考えられる。
主イエス:イエスは祭司長らに訴えられても、ピラトが驚くほど何も言われなかった。イエスは最も義しく人々を裁く力と権威を持っておられたが、争わず自己弁護をされなかった。「木に架けられる者は呪われる」(ガラテヤ3:13)が、イエス(「主なる神は救い」との意味の名)が十字架刑を受け、呪われる者となって下さったから、どんな罪人もイエスの御名によって救われる道が開かれた。イエスは自分を迫害し殺そうとする者にも愛を顕して下さった。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第二主日礼拝:2014年4月13日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「(もうひとりは、)言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。」(ルカ23:42,43)
 
題「滅びから救い出す方」(ルカ23:39-43)
1)キリストに何を求めるか。
十字架に架けられたイエスを人々は嘲っていた。「もし神の子キリストなら、そこから降りてきて、自分を救え。」癒しや悪霊の追い出し、奇跡、・・・華々しい不思議の中に神の御子である徴を人々は求めた。
2)十字架に架けられたイエスをキリストと崇める。
 イエスと共に二人の犯罪人が十字架に架けられたが、最初二人ともイエスを罵っていた。一人はずっと罵り続けていたが、もう一人は態度を変えて、後に罵る犯罪人をたしなめるようになった。主イエスの「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」の祈りに出会って、神の聖さ、憐れみに打たれ、この方がキリストであると確信したのだろう。
3)キリストに救いを求める。
 この強盗はイエスに救いを求めた。自分の犯した罪のゆえに死刑を免れないが、しかし、あなたが御国の権威を持っていつかおいでになる時、私のことを思い起こして下さい。キリストが死んで終わりではなく、甦って、いのちの支配する王国を建てられる。その時には、私をその神の支配される王国に入れて下さい。強盗は悔い改め、キリストに救いを求めた。この求めに、主イエスは、「今日、あなたは私と共に、パラダイスにいる」と約束された。イエスをキリストと信じ、救いを求める者を地上の命の最後の瞬間であっても、キリストは赦し迎えて下さる。
 初めはこのイエスを罵り、嘲る者であった。しかしイエスに出会い、キリストと認め、神の救いを求め、心に救いと望みを持つ者となった。
4)キリストは十字架の死を通って救いを与えて下さった。十字架上の恥や苦しみを負いつつ、救いを宣言して下さる力と権威を持っておられる方である。十字架のキリストを拒否する思いはないだろうか。華やかな栄光は求めるが、恥や惨めさは負いたくない思いに捕らわれないか。しかし、キリストは、「自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい。自分の命を得ようとする者はそれを失い、イエスのために、福音のために命を失う者は命を見出す」(マルコ8:35)と言われた。そのことを通して神の栄光が顕される。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第三主日礼拝:2014年4月20日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」(ルカ24:32)
 
題「共に歩み心を燃やして下さる方」(ルカ24:13−32)
 キリストは私たちに近づき、語り合い、心を燃やして下さる方である。どのように?
1)主イエスは近づき共に歩み、問いかけ、親しく交わって下さる方
 復活された主イエスが旅人を装い、エマオに向かう二人の弟子たちに近づき、一緒に歩まれた。しかし弟子たちはイエスであることに気が付かなかった。弟子たちは師が捕らえられ、十字架に架けられ殺されてしまったため途方に暮れていた。仲間の女たちが墓に行き、空であることを見、天使が「イエスは生きておられる」と告げたのを聞いたが、戸惑うばかりだった。途方に暮れている者に近づき、語られる方である。
2)信仰を求め、聖書を説き明かされる方
「・・・・すべてのことを信じられない者たちよ。キリストは・・・・その栄光に入るはず・・」。復活のイエスは、旧約聖書全体に渡って説き明かし、メシヤが苦難を受けて、栄光に入る約束を説き明かした。それを聞いて弟子たちの心が静かに燃やされていた。
3)共に宿に入り、パンを割かれる方。ご自身を顕される方。 
 弟子たちは強いて共に宿をとるように勧めた。夕食時に、イエスがパンを割いた時、この方がイエスであることに気が付いた。すると、イエスの姿が見えなくなった。心が燃やされた二人の弟子たちは急いでエルサレムに帰り、その出来事を他の弟子たちに伝えた。
 パンを割く事を主イエスは弟子たちに最後の晩餐で教えた。罪の赦しのために割かれたキリストの体を記念してパンを食し、またぶどう酒(液)をキリストの流された血を記念して飲む。
 復活のキリストがご自身の方から弟子たちに近づき、御言葉を語り、神の約束を告げ、信仰に立たせ、ご自身を顕して心を燃やして下さる。
 主イエスのお姿は見えなくなったが、神の言葉は弟子たちの心に残り、心はなお燃やされていた。聖餐の度に、キリストの肉を食し、血を飲み、キリストの体と命に与りたい。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第四主日礼拝:2014年4月27日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「一度(イエスは)彼に言われた、『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』。彼はイエスに言った、『主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです』。イエスは彼に言われた、『わたしの羊を飼いなさい』」(ヨハネ21:15-19)
 
題「あなたは私を愛するか」(ヨハネ21:15-19)
1)十字架の出来事は、弟子たちに大きなつまづきを与えた。信頼していた師を十字架刑で失い、自分たちもイエスを裏切って逃げ、ペテロは主イエスを激しく否み、自分の弱さを思い知らされた。大きな失望感、敗北感を持ったであろう。復活の主イエスに出会いながらも、ガリラヤ湖で再び漁師に戻ろうとしていた。
2)しかし主イエスはペテロが人間をとる漁師に召された出来事(ルカ5:10)をもう一度たどりながら、朝食を備え、「わたしを愛するか」と問い、「わたしの羊を飼いなさい」と主の働きに遣わされた。3度主イエスを否んだペテロに3度愛の応答を求め、「わたしの羊を飼いなさい」と主の期待と新たな召命を確かにされた。
3)主イエスはペテロにこれから起こることを予告され、たじろぐペテロに「わたしに従ってきなさい」と招かれた。イエスの弟子はイエスに従っていく。人と自分を比べる思いも起こってくるが、主は「あなたはわたしに従って来なさい」と言われる(22)。
4)私たちもいろいろ失敗があったり、致命的とも思われる失敗や過ちを犯し、失望感、敗北感が尾を引くこともあるかもしれない。しかし、主は、私たちに「わたしを愛するか」と問われる。私に従って来なさい、あなたは私に従って来なさいと言われる。
5)イエスを愛する者は、イエスのいましめを行う(ヨハネ14:15、13:34,15:12)。イエスの言葉を守る。イエスは、偉くなりたい人は、誰よりも仕える人になることを教えた(マタイ20:26)。互いに足を洗い合うこと(ヨハネ13:14)。
6)十字架、復活、癒し、再召命、聖霊降臨、派遣。このペテロを用いて福音は世界に拡大された。
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
第主日礼拝:2014年月日
 
説教者 
 
今週の聖句
(:)
 
今週の聖句
(:-)
 
--------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
 
--------------------------------------------------------------------------------