説教の要約:2014年9月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2014年9月7日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなた がたはキリストの律法を全うするであろう。」(ガラテヤ6:2)
 
題「重荷を負い合う共同体」(ガラテヤ6:1-10)
 イエスを主と告白する教会共同体は、黄泉の力に勝利する。主イエスがそういう共同体として、わたしの教会を建てると言われた(マタイ16:18)。主イエスの新契約により、イエスの血と肉によって罪が贖われる(マタイ26:27)。そして新しいいましめ、主イエスが愛されたように互いに愛し合う共同体を造るように命じられた(ヨハネ13:34)。
 パウロは、この弟子たちの共同体に対し、互いに重荷を負い合いなさいと勧めた(ガラテヤ6:1)。人が罪過に陥るなら、霊の人であるあなたが、柔和な心をもって正しなさい、と勧めた。何が神の御前に裁かれるべき罪か。主イエスは十戒を挙げ、それを行うことが永遠の命だと言われた(マタイ19:17)。十戒(出エジプト20:1)、主イエスの言葉(マルコ7:20-23)、肉の働き(ガラテヤ5:19-21)、他。
 律法によって罪が何かを知る。しかしパウロは、むさぼるなと命じられると、むさぼりを引き起こさせる罪の性質が自分の内にあることを知った。心は善を行いたいという神の律法を喜ぶが、肢体には肉の欲求に従う罪の法則が働き、神の法則に従い得ない惨めさを知った(ローマ7、8章、ガラテヤ2,3章)。その律法ののろいから解放するために、律法を完成された主イエスが、私たちの代わりに律法の裁きを肉において受けて下さった。主イエスを信じる者は主イエスと共に律法に死に、律法の裁きを受けない者とされた(ローマ6章)。さらに主イエスの甦りにより神のいのちに与らせて下さった。だからと言って律法は廃棄されるのではない(マタイ5:17)。愛する者は律法を全うする(ローマ13:8)。キリストが聖霊を通して私たちのうちに生き、愛を行う力を与えて下さる(ガラテヤ5:22)。罪を犯さないようにこれこれをしてはいけないと自分に鞭打つのでなく、御霊に支配されて、人々を愛し善を行っていく者へと変えられ、御霊の実を結ぶ者、キリストにある義の実を結ぶ者として下さる。互に重荷を負い合う者は、モーセの律法に勝る、キリストの律法を全うするとパウロは教えた。
 
 
 
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第二主日特別礼拝:2014年9月14日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」(マタイ9:17)
 
題「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」(マタイ9:14-17)
 新しいぶどう酒は新しい皮袋へとはよく知られた譬えであろう。発酵が進んで泡立っているぶどう酒を古い皮袋に入れたら、破れて皮袋もぶどう酒もむだになってしまう。しかし主イエスはこの譬えを通してさらに命の本質について語っておられる。
1)バプテスマのヨハネの弟子たちが主イエスに、「パリサイ人や私たちが断食しているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのか」を問うた。ヨハネは荒野で生活をし、悔い改めのバプテスマを授けた人であった。断食は罪の自覚を表すもので、畏れを持って神に近づく者の熱心な祈り、悔い改めの行為であった。神の民がローマに辱められ、また師であるヨハネがヘロデ王の罪を指摘して捕らえられていた。その一方でイエスや弟子たちが、取税人たちと食事を共にし楽しむ事に批判的であったかもしれない。
2)主イエスは、今は弟子たちが婚宴の席にある花婿の友人のようなものであり、断食の時ではない」と言われた。〔主イエスご自身は、断食を否定しておられるのではない。宣教の初めにおいて断食され、悪魔の試みに遭われた。山上の説教では断食を認めつつも見せるための断食を戒められた。〕それは主イエスが来られて、重い皮膚病や様々な病が癒され、体の不自由から治り、悪霊から解放され、神の民や家族から切り離されていた人々が礼拝や交わりに回復されて大きな喜びがあったからである。また取税人や罪人と言われる人々が主イエスとの交わりによって新しい歩みに変えられていった。神の民として神の子として一人一人が回復される、新しく造り直されるために、主イエスがおいで下さった。だから今は悲しんでいる時ではないと言われた。
3)「しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。」:しかし、主イエスが十字架に架けられる時が来る。その時には悲しまないではおれない。断食する。人間の罪が、悪の深さ大きさに神が激しい怒りをもって裁かれた。十字架を見る時、人間の罪の深さを思い知らされる。罪が赦され、神の御子が共に居って下さる生活を実現するために、御子が苦しみを受けて下さった。律法の苦しみ、自分の努力でこうあらねばならない束縛から解放して下さった。にもかかわらず、古い皮袋に固執することはないだろうか。
4)パウロはクリスチャンを迫害する熱心なユダヤ教徒であった。しかし、ダマスコ途上で、主イエスに出会い、盲目になった。古い皮袋は破れてしまった。しかし、アナニヤに祈ってもらい、聖霊に満たされる者となった。多くの試練や苦しみを通りながら、失われない喜びを持つ者とされた。古い皮袋が、主イエスに出会い、聖霊が注がれて、新しい皮袋に変えられた。
 
 
 
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第三主日礼拝:2014年9月21日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
バラムは、・・・・イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。・・・・だから、悔い改めなさい。・・・・勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。(ヨハネ黙示録2:14,17)
 
題「偶像の糧を捨て 天の糧で生きる」(ヨハネ黙2:12-17) ― ペルガモにある教会へ ―
☆13節。住むというギリシャ語はカトイケイズが用いられ、住み込む、住み着く、を意味する。「住む」もディアスポラ(離散)のユダヤ人に用いられたのは、居留や寄留を意味する言葉であった。ペルガモのクリスチャンはこの迫害の地に根を下ろして、信仰生活を送っていた。
☆13節。殉教したアンテパスは忠実な証人と主イエスから言われた。忠実な証人という言葉はイエスに使われる言葉(1:5、3:14)であるが、主イエスはアンテパスをそのように呼ばれた。
☆バラムやニコラオの教えに注意し、悔い改めるように勧めている。ヘブル語で「バラ・アム」、バラとは「勝つ」、「アム」とは「民」という意味。ニコライとは、ギリシャ語で「ニカオー・ラオス」。どちらも、「民が勝つ」の意。人民の勝利、人本主義、人間中心で神をどこかに押しやってしまうもの。民数記22:〜25:、31:。バラムは神の霊によって預言しており、イスラエルを呪うことはできなかった。しかし金銀や名誉地位欲しさに、イスラエルに不品行を行わせるように謀ったため、殺された。世俗主義が入ってくる。世の中の豊かさや華やかさ、喜びや楽しみに流されてはいけない。神中心、イエス中心で行く。
〔ヒューマニズムや民主主義が時代の中であるレベルの道徳や秩序ある環境を作るのに必要であったが、人間中心、自分中心を出られない。〕
☆「白い石」。神殿辺りで売られていたお守りの白い石。しかし、イエス・キリストこそ、真の守りを与えて下さる方である。
☆「隠されたマナ」とは。マナは、出エジプトにおいて40年間荒野を旅するイスラエルの民を養った天からのパンであった。イエス・キリストは、わたしは天からの命のパンであり、わたしを食べる者は永遠に生きると言われた。隠されたマナとは、みことばと祈りによる主イエスとの個人的な関係である。
 
 
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第四主日礼拝:2014年9月28日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。」(ヨハネ黙示録2:21,22)
 
題「偶像崇拝の生活から離れ 悔い改めよ」(ヨハネ黙示録2:18-28)
1)テアテラの教会は、「愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている」「後のわざが、初めのよりも勝っている」と主に誉められている。信仰と愛に根差した教会。神の愛、赦し、キリストによる贖いに立った信仰。強い信仰、力ある信仰、神への決意を持って従う信仰。またどれ程信仰があっても、愛がなければ無に等しい。(1コリント13:1)。奉仕は神を愛する愛と神を信じる信仰から生じてくるが、同時に忍耐が必要である。
2)テアテラの教会に、イゼベルに象徴される教えや惑わし、不品行を持ち込む者がいた。イゼベルは北イスラエルの王アハブの妃であったが、異邦の偶像バアルやアシュタロテを持ち込み拝ませた。イゼベルはその不品行を悔い改めようとしなかったため、病の床に投げ込まれ、またこの女の仕業から離れない者も患難に投げ込むと主イエスから言われた。
3)信仰生活において悔い改めが必要。神の御言葉に照らされて、神の前に真実なお詫びをする。人との関係ではなく、神の前に悔い改める。神からの赦しを確信する。方向転換した新しい行動、生活を身に付けていく。ペテロは悔い改め、主イエスに立ち帰り、赦しを受け、新たに派遣された。ユダは悔い改めず、自分を裁き、自殺した。固い強情な心を捨てて、謙遜な心になる、砕かれる。神の前に無条件降伏する。赦され、きよめられ続けていきたい。
4)「勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける」。古代中近東の王たちは戦勝記念に、征服した国や王の名を焼き物に書いて、これを自分の鉄の杖で粉々に砕いた。主イエスの言葉に従う者に勝利を与えて下さる。明けの明星は夜明けにひときわ明るく輝く金星。悔い改めるべきものを捨てて、主イエスの御言葉に従い、キリストにある勝利と輝きにあずかる者とさせていただきたい。
 
 
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第主日礼拝:2014年月日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
 
今週の聖句
 
 
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