説教の要約:2015年6月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2015年6月7日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」(創世記17:1,2)
 
題「全き者を求める神」(創世記17:1,2)
 神は全能の神である。その御力は信じるすべての人に働く。神がその僕に求めることは、主と全く一つであること。神に全身全霊を捧げ心から信頼すること。神はアブラハムに祝福を与え、また契約を与えられた。その約束を全うされた。だから私たちも神のものでなければならない。
 私たちは、イエス・キリストを通してアブラハムの子孫であり、アブラハムへの約束を受け継ぐ者、契約にある者である(ガラテヤ3:29)。キリストの死と甦りを通して、幕が裂かれ、聖所への道が開かれ、神の臨在にあずかる者、キリストの内にとどまる者とされている。
 アブラハムは行き先を知らずに出て行った。完全に進むように召されている。どこに行くかを知らないで出て行きなさい。神が知らせて下さる。心を神の栄光で満たしなさい。生涯を主の御前で過ごしなさい。主の前を歩みなさい。神の御力、臨在があなたの上にとどまり、あなたを満たす時、心は知らないうちに引き上げられ、強められ、その命令を受け入れ、楽しみ、満たされることになる。
「あなたは、あなたの神、主に対して全き者でなければならない」(申命記18:13)
 神の御前に全き者となることはすべての子の義務である。従順を拒むことはできません。キリスト教の根源をなすもの。神に対する私たちの奉仕が受け入れられるためには、右左に揺れる心ではなく、傷のない完全な心によらなければならない。私たちは神の栄光を顕すために、神に似せて造られた。しかし罪によって堕落してしまった。神は私たちを再創造しようとしておられる。まことの根源である神への全き献身、私たちの神、主に全く一つとなることが求められる。それぞれに、その力に応じて、恵みによって扱い、心の敬虔と願いを受け入れて下さる父としての神である。子どもの手伝いは欠点があるが、子どもの愛と従順は父の喜びと希望を呼び起こす。全き心で父に仕えた。しかし無意識に頭をもたげてくる悪い性質に恥じ嘆く。「それを行っているのは、もはやわたしではなく、私たちの内に住む罪です」(ローマ7:20)。しかし、主イエスは、「心は燃えていても、肉体は弱いのです」と言われる。御霊は私たちの内に住んで生かして下さる。(ローマ8:10)。
「あらゆる恵みに満ちた神が、・・・・あなたがたを完全にして下さる」(1ペテロ5:10)
 
 
 
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第二主日花の日・子供の日礼拝:2015年6月14日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。これは、預言者イザヤによって『彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた』と言われた言葉が成就するためである。」(マタイ8:16、17)
 
題「我らの病を負われる主」(マタイ8:1-17)
1)主イエスは人の病を癒された。重い皮膚病の人、百卒長の僕の中風、ペテロのしゅうとめの熱病を癒され、また悪霊に憑かれた者、多くの病人を癒された。
2)@身体の病、心の病、魂の病。病は平常の生活を止め、苦痛や弱さ、惨めさ、恥意識、不安や恐れ、孤独、疎外感を感じさせるものである。
Aしかしまた一方で、自分の限界を知り、謙虚にし、人の痛みが分かり、共感を与えるものである。人間は死ぬべき存在であり、やがて神の許に帰っていく。神の恵みを知る術ともなる。
3)イザヤ書53章の真実の救いをもたらす僕を示し、それは病を負う苦難の僕(イザヤ53:3-5)である。それはイエス・キリストの姿を現している。
 
 
 
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第三主日父の日礼拝:2015年6月21日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。・・・・ 父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」(エペソ6:1,4)
 
題「神に依り頼む父」(エペソ6:1-4)
1)父の日の由来
2)神の祝福を信じる、祝福の基となる約束を信じる。・・・・自分の知識や能力ではなく、神の使命と力を信じる。
3)神の御心を知る父親・・・・聖書を読み、神に祈る。イエス・キリストは旧約聖書を引用され、よく祈り、父なる神がいつも共におられた。
4)神の御心を行う父親、全能の神の前にひれ伏す父親・・・神に従う、もし信じるなら、神の栄光を見る。
5)信仰者として輝いている・・・・神を喜ぶ、御霊の実〔愛、喜び、平和(平安)、寛容(忍耐強さ)、親切、善意、誠実、柔和、自制〕を結ぶ。
 
 
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第四主日礼拝:2015年6月28日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう」(詩篇20:7)
 
題「主を思う心」(1サムエル記17章)
ダビデは、巨人ゴリアテとの対決で見事に勝利した。
その秘訣において、ダビデは、
1)「恐れ」の正体を知っていた。
ゴリアテの目的は、非常に大きな武器を身に付けたその巨体を見せつけ、脅し文句を口から吐いて(しかも40日間、朝と夕に)、イスラエルを恐れさせるのが目的だった。戦闘において、心の中の恐れが最大の敵だ。聖書には、多く、主が私たちに「恐れるな」と語られている。私たちの恐れの原因は、
@主から目を離す時である。「人を恐れるとわなに陥る」(箴言29:25)から、人を恐れると神を恐れなくなる。その結果、自らの身に滅びを招く。一方、神を恐れる人は人を恐れなくなり、神が義しとされる道を歩むようになる。(マタイ10:28)
A悪魔は私たちの心に恐怖を植え付け、問題を大きく見せておじけさせる。主に信頼し、御言葉の剣(エペソ6:17)によって悪魔の働きを阻止(そし)しよう。
2)「主の戦い」である事を知っていた。
「主の戦い」は、「主に属する戦い」で、ダビデは自分の戦いが、霊の戦いであることが分かっていた。悪魔は、私たちの主への信仰を無くさせ、人間の知恵や力で解決させようと働く。しかし悪魔は、キリストの死と蘇りによって、完全に敗北したものとなっている。積極的に主の御名で祈ろう。
大事なのは問題や試練に対するダビデの見方だ。彼は神と敵を比べていた。どんな敵であろうと、神と比べたら、取るに足らない。私たちが問題に直面する時、問題そのものに気を取られるのではなく、問題を無きものにしてくださる主を見上げよう。大事なのは、ダビデのような主のことを思う、その思いであり、そこから出る信仰と勇気だ。ヘブル書10:39
 
 
 
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第主日礼拝:2015年月日
 
説教者 
 
今週の聖句
 
 
 
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