説教の要約:2015年7月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2015年7月5日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「すると彼女は母にそそのかされて、『バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます』と言った。」(マタイ14:8)
 
題「命を奪う宴会と与える宴会」(マルコ6:14〜44)
1)ヘロデの誕生日の祝いに、妻ヘロデヤの娘が舞をまい、ヘロデを喜ばせ、母にそそのかされて褒美にバプテスマのヨハネの首を求め、与えられた。ヨハネがヘロデとヘロデヤの結婚を姦淫の罪と指摘していたためだった。ヘロデはヨハネを恐れていたが、人々の手前自分の言葉を通して、若い娘の願いに応じてヨハネを殺すように命じた。豪華な料理やもてなしがある、選ばれた地位ある人たちの宴会であったであろうが、命を奪う狂気の宴会であった。
2)主イエスは人々の病気や身体の不自由を癒し、悪霊を追い出し、御国の福音を伝えた。主イエスは助けを求める人々にいつも囲まれていた。寂しい所まで群衆がついてきて、空腹であったため、男だけでも5千人の群衆にパンと魚を振る舞った。パンと魚だけの質素な食事であったが、飢えている人々が誰でも集うことができる、自分の弱さや痛みを抱えたままで集い、癒され、慰めを受け、分け合い、満たされる集いであった。
 この世の権威は、財力や外的力をもって実力行使しようとするが、往々にまた結果的に命を奪うものとならないか。
 主イエスは愛し仕える支配、受けるより与えることによる支配、仕えるリーダーシップをとって下さった。教会の頭はキリストであり、キリストを通して神が働かれ、最終的に勝利を納めて下さる。キリストの宴席にあずかる者、仕える者となりたい。
 
 
 
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第二主日礼拝:2015年7月12日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「イエスは・・・・、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。・・・・みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。食べた者は、・・・・おおよそ五千人であった。」(マタイ14:19-21)
 
題「五つのパンと二ひきの魚」(マタイ14:13〜21)
1)ヨハネがヘロデの暴虐によって悲惨な死を遂げたことを知り、主イエスは寂しい所へ退いておられたが、群衆はイエスを慕って押し寄せた。イエスは彼らを深く憐れみ、病人たちを癒された。ユダヤでも総督ピラトが反乱を恐れガリラヤからの巡礼者を殺す事件があり、行きにくい状況であった。
2)夕方になって、弟子たちは群衆を解散させて、それぞれで食事をとるようにイエスに進言したが、イエスは弟子たちに「あなた方で食物を与えなさい」と言われた。
3)五つのパンと二ひきの魚しかなかったが、主イエスは、神を誉め讃え、感謝し、喜びの声をあげ、それを弟子たちに配るように言われた。 口語訳、新改訳は、そのパンと魚を祝福したと書いているが、原語では「それ」にあたるものがない。新共同訳「天を仰いで賛美の祈りを唱え」、LB「天を見上げて神の祝福を祈り求め」、TEV「gave thanks to God」。神を賛美した、誉め讃えた、感謝した、喜びの言葉を神に向かって語った。状況的にはとても厳しい。人里離れ、多くの群衆を抱え、病人や困窮者がいる。お金も力もない。あるのは五つのパンと二ひきの魚。それで何が出来るか。しかし主イエスは天を見上げ、賛美、祝福の声を挙げておられる。どんな時にも、明るい望みを示された。天の父こそが真実の支配者、命の養い手である。山上の説教でも思い悩まず生きるように励まされた。群衆も神の愛の支配の中にある。主イエスがそこで神の子としての力を用いて、群衆にたくさんのパンと魚を食べさせて下さった。神の御心を顕して下さった。
4)弟子たちに、「あなたがたの手で食物をやりなさい」と言われ、弟子たちに渡して配らせられた。弟子たちは足りるはずがないと思っていただろうが、配っても配ってもなお余った。人々はその御業を喜び言い伝えた。語り継がれ、証しするのを喜びとした。神は御業を行うために私たちを用いて下さる、その喜びに溢れた。私たちを用いて、神の恵み、豊かさを顕される。悲しんでいる人、飢えている人、悩んでいる人々を助けさせて下さる。
 
 
 
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第三主日礼拝:2015年7月19日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28-30)
 
題「魂を休ませ 荷を共に負われる主」(マタイ11:25〜30)
 私たちはこの世の様々な働きや闘いに疲れる。主イエスは「私のもとに来なさい。休ませてあげる」と招かれる。
 主イエスのすばらしい御業を見つつ、御言葉を聞きつつ、ガリラヤの町々は悔い改めなかった。この世の知恵や力を誇り、主イエスに顕された神の言葉に耳を傾けなかった。それは裁きを刈り取るものだった。
 父なる神は、富む者、力ある者、賢い者に神の国の真理を顕されたのではなく、幼子に顕された。主イエスに救いの働きを委ねられた。(「父と主イエスは一つである。」)
 重荷を負うて苦しみ喘いでいる者はわたしのもとに来なさい、と主イエスは招かれる。〔この世と目標が違う。この世のやり方で、魂に安息があるか。この世のやり方や目標を、真剣に追求している人たちもあるだろう。しかしそれは神が造ろうとしているものではない。神の国に向かわない。滅びに向かっている。神の国に向かうものは、律法に表されていた。しかし、律法学者やパリサイ人、祭司長らによって達成されなかった。得られなかった。違うものに向かってしまった。〕
 神の国に向かう救いを歩みを、主イエスが持ってきて下さった。主イエスが与えて下さるくびきを負う者がそれを受けることができる。主イエスは柔和でへりくだった方であるから、共に歩む者をよく知っていて下さる。主イエスに依り頼む。信頼する。御言葉に従う。主イエスに繋がっている。主イエスの御言葉にとどまる。主イエスの荷は軽い。共に負うて下さる。共に歩み、御霊の実を結ばせ、この世のやり方とは違う歩みを与え、父なる神を示し、御国を与えて下さる。
 
 
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第四主日礼拝:2015年7月26日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。
(出エジプト25:8,9)
 
題「主が共に住まれる幕屋とその形」(出エジプト25:1-9)
幕屋とは何か
神の臨在、神が民と共に居られる。
荒野の旅の途中で、シナイ山で型が示され、幕屋が造られ、祭司が仕えた。それは新約における救い主イエス・キリストの型であり、神が人と共に住み歩んで下さる道へと発展していく。主イエスは神殿を壊したら、3日で建てると言われた。主イエスが死んで3日目に甦らされることを表した。
キリストは神の姿を表された。幕屋は、垂れ幕、外庭、会見の幕屋、聖所、至聖所、机、燭台、香壇、契約の箱、贖罪所、贖いのふた、ケルビム、祭壇、洗盤などの聖具があり、大祭司、祭司が仕えた。主イエスの姿、働きがここに示される。
主イエスは、インマヌエルの主、「神、我らと共にいます方」である。教会はキリストの体であり、聖霊の宮である。また私たちの身体は聖霊の宮である。御霊の実を結ばせて下さる。幕屋は一見ありふれた建物だが、しかしその中は様々な聖具が輝き、色とりどりの模様が織りなされ、整然として聖なる儀式が執り行われていた。神がそこに住まれ、人と交わり、輝きを与え、祝福を注いで下さる。それは一見普通の人としてお出で下さったが、しかし、そのうちには、人の罪を清め、新しく造り替え、共に交わり、住み、神の臨在を表し、御国を継がせて下さる神の力が満ちておられる。
 
 
 
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第主日礼拝:2015年月日
 
説教者 
 
今週の聖句
 
 
 
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