説教の要約:2015年8月
 
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第一主日聖餐式礼拝:2015年8月2日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「あなたはまた香をたく祭壇を造らなければならない。・・・・アロンはその上で香ばしい薫香をたかなければならない。朝ごとに、ともしびを整える時、これをたかなければならない。」(出エジプト30:1,7)
 
題「香壇を造り 香ばしい薫香を焚く」(出エジプト30:1−10,22−33)
香を焚く祭壇
1)香の壇は幕屋の中の聖所と至聖所とを隔てる垂れ幕の手前に置かれ、この上で香ばしい香を焚いた。祭司は朝夕のともしびを整える時、煙を立ち上らせた。立ち上る煙は、主の前に捧げる祈りの象徴であった。(詩篇141:2,ヨハネ黙8:4) この香は定められた材料と量の割合で調合されなければならなかった。アロンの息子のナダブとアビフは、異なったものを用いたため神罰を受けた。(レビ10:1,2,民数3:4)
2)この壇には角が造られており(30:2) アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、この角の上で贖いをした。それは、香の煙が象徴するわれわれの祈りも、まずキリストの血による贖いがあって初めて有効になることを意味する。(米田豊「旧約聖書講解」)
聖なる注ぎ油
斎場の香料(液体の没薬、香りの強い肉桂、におい菖蒲、桂皮)とオリーブ油とを混ぜ合わせて作られ、この油によって祭司と幕屋と幕屋の中の用具が聖別された。特定の人物に対する油注ぎは、聖霊の賦与の象徴で、祭司ばかりでなく、預言者、王にもなされた。(この3職は、メシヤ、油注がれた者であるイエス・キリストの内に見出されるもの)。この聖なる油は、祭司以外の誰にも注ぐことが禁じられており、またこれとにた油を作ることも禁じられた。(小山田格師、出エジプト記P295)
 幕屋は神の臨在を持ち運ぶものであり、イエス・キリストを顕している。使徒パウロは、「愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ5:2)と語った。また、ピリピ教会から献げものを受けて、「わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。」(ピリピ4:18)と言った。またキリスト者について、「キリストを知る知識の香りを漂わせ、キリストによって神に捧げられる良い香り」(2コリント2:14−16)だと言っている。
 
 
 
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第二主日礼拝:2015年8月9日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「見よ、わたしは・・・・ベザレルを名ざして召し、これに神の霊を満たして、知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ、工夫を凝らして金、銀、青銅の細工をさせ、また宝石を切りはめ、木を彫刻するなど、諸種の工作をさせるであろう。」(出エジプト31:2-5)
 
題「霊と賜物を与えて用いる神」(出エジプト31:1-11)
1)主はベザレルを召して、神の霊を満たし、知恵と悟り、知識と諸種の工作に優れた働きをさせることをモーセに言われた。またアホリアブを助手に立て、心に知恵あるすべての者の心に知恵を授けて、会見の幕屋の様々な聖具、あかしの箱と贖罪所、机、燭台、香の祭壇、燔祭の祭壇、洗盤、それぞれの器、祭司の服、注ぎ油、香などを造ることを言われた。(31:1-11)
2)35章から実際に造り始めた記事。モーセはすべての働きに先立ち、安息日厳守を言い渡された。
3)モーセがイスラエルの人々に主が命じられた言葉を伝え(35:1-20)、心に感じた者、心から喜んでする者たちは金の飾り、定められた様々な糸、動物の皮を携えてきた。また心に知恵ある女たちは糸を紡いで持ってきた。かしらたちは縞めのう、宝石、香ばしい香料を携えてきた(35:25-29)。そしてついに献げ物が多くて余るほどになり、止められた。(36:5)
4)ベザレルとアホリアブおよび心に知恵ある者、すなわち主が知恵と悟りとを授けて、聖所の組立ての諸種の工事をいかになすかを知らせられた者たちが力を合わせ、知恵を出し合って、造っていった。
5)幕屋はイエス・キリストを顕す。新約においては、神の民の共同体は教会に引き継がれる。聖霊が賜物を与えて、キリストのからだを建て上げる。肢体は多いが身体は一つである。(ローマ12:3-8、1コリント12:12-31、エペソ4:1-16、ガラテヤ5:16-26)
 
 
 
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第三主日礼拝:2015年8月16日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」(出エジプト32:8)
 
題「金の子牛」(出エジプト32:1-35)
1)モーセがシナイ山に登って長い間消息がなく、民はアロンにエジプトに導き帰る神を要求した。アロンは金の子牛を造り、祭りを催し、食い飲みし淫らな騒ぎを楽しんだと思われる。
2)モーセは神に示され、山を下り、民の有様を見て怒り、十誡の石版を砕いた。金の子牛を火で焼き、砕いて民に飲ませた。
3)偶像を造ることも拝むことも、これに仕えることも禁じられていたことを民は知っており、契約していた(24:3-8)。モーセがアロンに原因を問うたところ、民がほしいままに振るまい、アロンもそれに任せ、それが敵の物笑いになっていた。敵とはこの地に出没していたアマレク人であったかもしれない。
3)モーセは主につく者を自分の下に募り、集まったレビの者たちに宿営を巡って、この祭りに興じている人々を、兄弟、友、隣人構わず殺すように命じたところ、3千人が討たれた。レビ人はモーセの同族であり、同調したと思われるが、神につくか偶像崇拝につくかが分けられた。
4)モーセは民の償い(新改訳、新共同訳は贖いと訳されている)のために主の下に帰った。民の罪が赦されるために、自分の名が神のふみから消し去られることを厭わずに神に熱心に求めた(32:33)。モーセの執り成しはキリストの型である。
5)神はモーセの執り成しを受け入れ、約束の地に民を行かせることを受け入れたが、一緒に行くことを当初拒まれた(33:5)。しかしモーセと民の願いによって主ご自身も共に行かれる約束を得た(33:14)。
 
 
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第四主日礼拝:2015年8月23日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
「まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。」(詩篇84:11)
 
題「従順の幸福」(創世記3:1ー13)
悪魔の誘惑部分から、私たちの取るべき態度や神さまに信頼する事が、私たちの幸福である事を学んで行きたい。
1)蛇の誘惑(1〜5節)「蛇」のヘブル語には、「輝いている」という意味がある。悪魔がこの獣に入っていた。参照黙示録12章9節「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」
@誘惑ー「神の言葉に対する疑い」(1節)
はアダムから園の木の実について、神の言葉を聞いていた。同書2章16〜17節の言葉。 間接聞きで神の言葉を正確に理解していなかったことに悪魔が付けこんだと思われる。悪魔は、聖書を読んでも信じても何にもならないと思わせる。そして、聖書から離れ、信仰からも離れる。もしくは、聖書が単なる書物となり、聖書を読んではいるが、神が私に語られるとは思えなくなる。女は蛇とその誘惑から立ち去るべきだったがそうしなかった。
ヤコブ書4章7、8節に、「神に従いなさい。そして悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。そして神に近づきなさい。」とある。私たちも、神に不信感を持ったり、その思いが浮かんだらそのままにしないで、悪魔よ去れと言って主を仰ぐ事だ。
A蛇の嘘「神の言葉を全面否定」
B蛇の誘惑ー「神の愛と真実を疑わせる」
これが私たちへの攻撃で大半をしめる。悪魔の「神は知っているのです」という言葉から、神は意地悪だから、あなたがたにあえてそれを食べさせようとしないのだと思わせている。神は善なる方であり、私たちに最善を願っておられる。けれども、そのイメージを悪魔が歪めて、神への信頼を失わせる。決して忘れないでほしい、神は私たちに良いことしか考えておられないのだ。
2)神の守りから自ら離れた人間
禁断の実を食べた二人は、蛇が言ったように確かに「二人の目は開け」たが、神のような存在になるというのでは全くなく、無防備な裸である事に気がついた。木の葉で身を覆う事により、神にも人にも自分にも恥を隠す者となった。私たちは罪を素直に認めて、告白しよう。神は、正しい者に良きものを拒まれない。
 
 
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第五主日礼拝:2015年8月30日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
また主はモーセに言われた、『これらの言葉を書きしるしなさい。わたしはこれらの言葉に基いて、あなたおよびイスラエルと契約を結んだからである』。モーセは主と共に、四十日四十夜、そこにいたが、パンも食べず、水も飲まなかった。そして彼は契約の言葉、十誡を板の上に書いた。」(出エジプト34:27,28)
 
題「契約の更新」(出エジプト34:1ー35)
1)モーセは神の栄光の顕現を求め(33:18)、神の後ろを見る許可を得た(33:19-23)。
2)モーセは山に登れと言う命令を受け(34:1-4)、二枚の石の板を再び持ってシナイ山に登った。
3)主の栄光の通過(34:5-9)。
1)神は憐れみ深く、情け深い。2)怒るのに遅い。
3)恵みとまことに富んでいる。4)恵みを千代に保ち、咎とそむきの罪を赦す。5)罰すべき者は必ず罰して報いる。罪を裁かれる神の義や、その罪人に対する神の愛と、その愛の実現を可能にする神の恵みが描かれる。
4)契約の更新(34:10-28)。
@偶像崇拝してはならない。(第一戒) A鋳物の像を造ってはならない。(第二戒) B種入れぬパンの祭りを守る。 C初子は神に捧げられる。 D安息日を守る。 E七週の祭りと収穫祭を守る。 F三大祭にすべての男子は神の前に出る。 G初穂の最上のものを主に捧げる。
5)モーセの顔が光を放つ(34:29-35)。民のために命をかけて執り成し、神の栄光の後ろ姿を拝し、神と顔と顔を合わせて語ったモーセの顔は光を放っていた。人々がそれを恐れたため、モーセは人々の前では顔覆いをした。2コリント3:6-18には顔の覆いに関する霊的意味が説明されている。キリストに向き、キリストを信じる時、顔覆いは除かれる。内住の御霊の働きによって、日々栄光から栄光へと主と同じ姿になるように変えられていく。
 
 
 
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