説教の要約:2015年11月
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第一主日召天者記念礼拝:2015年11月1日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」(ヘブル11:16)
題「天の故郷を望み見て喜ぶ」(ヘブル11:13-16)
アブラハムは信仰の父と言われる。神はアブラハムを祝福され、その子孫を約束通り、空の星、地の塵のように増やし繁栄させられた。しかし、神に従うアブラハムの地上の歩みは寄留者であった。神が約束されたものをまだ受けてはいなかったが、それを望み見て喜んでいた。
アブラハムは、ウルの地を父と共に出て、ハランに住んだ。父を失って、75才にしてそこを立ち、神が示す地に行き先を知らずに旅立った。子孫を増やし繁栄させる約束を得たが、なかなか約束の子供は与えられなかった。人の知識や努力を越えて、100才に約束の子供イサクが与えられた。さらにイサクを献げるように神に試練を受け従い、神は身代わりの羊を備え、アブラハムの献身を誉められた。アブラハムは目に見えるものに望みを置かず、天のふるさとに望みを置いていた。神は天の都を彼や子孫のために用意された。
主イエスは信仰の導き手であり完成者である(12:2)。地上の生活は信仰を妨げるものや試練があり、罪が絡みついてくるが、主イエスの模範に従って御国を受け継ぐ者として頂きたい。
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第二主日聖餐式礼拝:2015年11月8日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「こうして祭司が彼の犯した罪のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。」(レビ4:31b)
題「罪のためのいけにえ」(レビ4:1-12,27-31)
罪の赦しのための贖いのいけにえ
1)人が誤って罪を犯し、主の戒めに背いて、してはいけないことをした時(4:2)。
@故意の罪は赦されない。主を侮り戒めを破ったから、民から断たれなければならない。(民数15:30)
A社会的、経済的な地位にかかわらず、罪を認め、告白し、悔い改めてささげるべきもの。
2)罪のためのいけにえ
1)祭司のためのいけにえ(3-12)、2)全会衆のための(13-21)、3)指導者のための(22-26)、4)一般人のための(27-31)。
奉献者がいけにえの家畜を主の前に連れてきて、その頭に手を置き、本人が屠る。1)と2)の場合は、会見の幕屋の聖所内の垂れ幕の前に血を振りかけ、香の壇の角に血を塗る、血の残りは全焼のいけにえの祭壇に注ぐ。また内臓の脂肪等は祭壇で焼かれるが、皮や肉、内臓等は宿営の外で焼かれる。
3)キリストが永遠の大祭司として、また傷なき小羊の血として捧げられ、天の聖所に入って下さり、贖いを全うして下さった。(ヘブル9:11-15)
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第三主日礼拝:2015年11月15日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。」(マタイ10:12,13)
題「平和の使者」(マタイ10:1-15)
1)主イエスは12弟子を呼び寄せ、悪霊を追い出し、病気を癒し、煩いを癒す権威を授けた。主イエスは町々村々を巡り歩いて、人々を癒し、悪霊を追い出し、御国の福音を語られた。働き人を送って下さるように祈りなさいと言われた。主イエスの働きを担う者に権能を与えて立てられた。(ルカ9:1-6,10:1-20参照)。〔イエスを主と告白する者を召し出し(マタイ16:16,18)、イエスが愛するように愛し合う者たちを弟子とし(ヨハネ13:34)、昇天後、聖霊が注がれ(使徒行伝2章、2:37,42以下)、聖霊の賜物(1コリント12:)を与えて、主イエスの御業を進める者とされた。〕
2)主イエスの権能を頂いて、弟子たちは平和、平安を告げるように遣わされた。ふさわしい家であれば平和がその家にとどまり、ふさわしくなければ、帰ってくる。
3)「天国は近づいた」と宣べ伝えるように遣わされた。イエス・キリストを通して、神の国が来て、その御業が始まった。救いの御業は聖霊の働きである。主イエスがせよという働きをしたい。
3)今日も主イエスは聖霊をもって共におられ、主イエスの御業を行われる。私たちが主イエスの弟子として、清い生活をし、世の光、地の塩として、世を照らすことを求めておられる(マタイ5:16)。
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第四主日礼拝:2015年11月22日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。」(マタイ10:16)
題「賢く素直であれ」(マタイ10:16-23)
主イエスは12弟子を選び、権能を授け、伝道に遣わすために教えた。あなた方を遣わすのは、狼の群れに羊を送り込むようなものだと言われた。だから蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさいと切実な忠告を与えた。この世は食うか食われるかとという厳しさがあるとは一般的な通念であり、また心構えであろう。神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する、十戒を重んじ、戒めを大切にする、その価値観を持ち、「平和があるように」、「神の国近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と説くなら、厳しい逆風に遭い、相手にされないだろう。主イエス、その弟子たち、パウロの伝道を見る時、神の言葉を実践し、御言葉に生きようとする時、その働きに神が働かれ、御業が起こる、病が癒され、悪霊が追い出されている。様々な捕らわれている社会の風習から解放されていく。為政者や監督者、団体から迫害や苦しみを受けることが起こってくる。しかし、その中でも神の福音に対して、真実に取り組み、神の御言葉に対して素直に応答し生き抜く時、神が守られる。
賢く生きるとは、やたら対立をせず、神の目的や勝利を信じ、対処していくことと考えられる。主イエスも為政者、指導者らとの対立が厳しくなり、寂しい所に逃れる事もしておられる。パウロヤ弟子たちの伝道も、迫害が起こって、隣の町へ逃げて、追いかけられて、また次の町へ移動してというようなところを何度も通っている。敢えて危険を冒す必要はない、神から与えられた命を守り神から与えられた使命を全うしていく。神が勝利して下さる。しかし語るべき福音を曲げてはならない。蛇のような賢さがいる。
悪魔が対立を煽り、言わなくてもいいことを言わせて、分裂を誘ってくることがある。知恵が必要だ。この世の知恵や知識、豊かさ、繁栄を誇ってくる。そこに集中させ、議論し、責めてくる。しかしそれはやがて色あせ、衰え、倒れ、崩れ、過ぎ去るものである。いつまでも残るもの、見えないけれども永遠に続くもの、人の心や魂を建て上げるもの、そこに目を向けていくことが求められる。
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第五主日礼拝:2015年11月29日
説教者 加藤育代師
今週の聖句
「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる』」(ルカ1:28)
「恵まれた人」(ルカ1:26-38)
救い主の母となるマリヤは、神の恵みを受けた人だった。その恵みとは、神が共にいてくださることと、神の選びだ。私たちもその恵みに生かされている。
1)神の臨在
私たちが神の奇跡を体験したり、霊感を受けて聖書のメッセージを深く理解したり、霊的な特別な体験をすることも恵みだ。また、私たちが毎日を守られて生きていることも恵みだ。そして、もっとも大きな恵みは、主が共におられることだ。
主は罪人と共にいることはできない。主は私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかられ、私たちの罪を全て赦して、きよめてくださっている。ここまでして、主は私たちと共にいると約束してくださった。主が共にいて下さる時、私たちはどのような苦難の中でも守られて進むことができる。神の慰め、平安、助けが与えられる。
聖霊に願って、主の声が聞こえるように心を静めていただこう。そして聖書を読み、信仰の目を開いていただき、共におられる神に心を向けよう。
2)神の選び
マリヤは神に選ばれた人だった。それは、彼女に選ばれる特別な何かがあったからではない。むしろ、神の一方的な選びだ。選ばれるはずがないのに選ばれている。これが恵みだ。
しかし、マリヤは結婚前に子どもを身ごもるという、不道徳な女性という悪評や中傷を受けなければいけなかった。人間的に考えるなら、どこが恵みだろうかと思われる。ところが、聖書は「神の栄光のために選ばれ、用いられることは、それ以上の恵みである」と教えている。自分の不利益よりも、神のご計画のために用いられることを感謝できる心こそ、実に恵まれた心だ。
私たちが救われているということは、神に選ばれた動かすことができない証拠だ。 私たちはクリスチャンだからこそ受ける悩みや困難に出会うことがある。その時、キリストの十字架の愛と恵みを思い起こして、神の恵みで満たしていただこう。
今の時代も、マリヤのように「お言葉どおり、この身になりますように」と告白するクリスチャンや教会を、主は捜し求めておられる。
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