説教の要約:2016年4月
--------------------------------------------------------------------------------
第一主日聖餐式礼拝:2016年4月3日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。」(使徒行伝1:3)
題「神の国を語り続けよ」(使徒行伝1:1ー5、28:23、30、31)
甦られた主イエス・キリストがたびたび弟子たちに現れ、ご自身が生きているとを数々の確かな証拠によって示し、神の国のことを語られた。
生身の肉体を持った方が触れ、言葉を交わし、心を交わす生きた交わりを持つ存在として接した。その時を大事にされた。弟子たちを残して天に上げられ、それからは聖霊を通して、弟子たち一人一人を、あるいは教会共同体を導かれた。
使徒行伝は、聖霊を通して、主の働きが進んでいく記録である。それはヨハネ福音書13-17章で約束された聖霊の働き、あるいは、主イエスが「時は満ちた、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」と宣教を始められて以来進んでいる神の国の事業であり、神の国が拡大し、影響力を持って世に臨んでいる。主イエスは神の国の性質を弟子たちに顕され、神の国を語るように遣わされた。
1)神は栄光に満ちた方。天地創造、万物に現れている。人は神の像(かたち)に似せて造られた。また出エジプトの出来事に表れている。
2)イエス・キリストは神の栄光を顕して下さった。その最も大きな出来事は十字架と復活による罪の贖いと永遠の命を与えて下さったこと。また主イエスは聖霊を送って共同体(教会)を導き、主イエスに繋がり、その言葉にとどまり、互いに愛し合う弟子の交わりや宣教の働きを行わせて下さる。
3)主イエスを通して始められた神の国の働きは、聖霊を通して導かれた弟子たちの共同体を通して進展していった。主イエスが描き、教え、自ら共に働いて顕された御業が、主の弟子たちを通して今も行われ、漸進している。
--------------------------------------------------------------------------------
第二主日礼拝:2016年4月10日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。」(マタイ17:2)
題「主イエスの栄光を拝した弟子たち」(マタイ17:1-9)
16章のペテロの信仰告白、主イエスが十字架と復活を語られたその6日後。モーセが長老たちと共に、山に登り、契約の後、シナイ山で6日後にモーセに語られた。(出エジプト24:15) また6日働いて、7日目に安息を持ち、神を礼拝する、神の前に出る。安息日規定。
主イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人を連れて高い山に登られた。それまで主イエスが一人で父なる神との交わりに山に登られたが、この時は3人をその場に連れて行かれた。主イエスの顔が太陽のように輝き、衣が白く輝いた。天的な輝くお姿を顕され、そのような栄光の内実を持っておられる方であることが表された。日頃人々のためにほこりまみれで仕え回っておられる方の隠れたお姿であった。
そこで弟子たちは旧約、出エジプトに立てられたモーセと、また神に大きく用いられた預言者エリヤが現れ、主イエスと、「イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話して」(ルカ9:31)おられるのを見た。
その光景にペテロは何を言って良いか分からず、その栄光の記憶を留めようと、3つの建物を建てようと言い出すが、輝く雲が覆われ、〔これは神の臨在が現れる時に現れる雲であるが、〕弟子たちは恐れひれ伏す。神の前に、罪人である人間は恐れひれ伏すしかないだろう。
「これはわたしの愛する子」:詩篇2:7、王の即位の時に歌われる歌。「わたしの心にかなう者」:イザヤ42:1。神の民ユダヤの人々を救うために、権威ある王ではなく、人々の罪責とその悲惨を負う苦難の僕を神が遣わされる預言。イエスがメシヤであるというペテロの告白、しかし、それは苦しみを受け、十字架の死と復活を通して勝ち取られる栄光であることを承認するような天からの声であった。この旧約の預言を全うする救い主イエスに聞きなさいと神は言われる。
ペテロは恐れひれ伏す。罪人は神の前に頭を上げられない。主イエスの「起きなさい、恐れることはない」との優しいみ声に弟子たちは顔を上げた。
このキリストが復活・召天され、天から聖霊が注がれ、終末の約束が私たちには与えられている。地上の戦いは厳しいが、2コリント3:17,18のお約束を心に留め、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」望みに生かしていただきたい。
--------------------------------------------------------------------------------
第三主日礼拝:2016年4月17日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。」(マタイ18:14)
題「小さい者に目を注がれる天の父」(マタイ18:1-14)
天国で一番偉いのは誰かという弟子たちの問い。
主イエスは幼子を真ん中に立たせて、「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない」と言われた。弟子たちの心が、幼子のようではなかった。誰が偉いか。偉い者が利を受ける。支配する。上に立つ。しかし主イエスは、幼子は、自分を低くする、自分を低くする者が天国では一番偉いと言われた。
「・・・・幼子のように、〔信頼の心を持ち、謙遜で、愛の心を持ち、赦す心を持つ者〕にならなければ、天の国には決して入れない。」(マタイ18:3、詳訳聖書)。
〔小さい子供は素直に受け入れる、大人のように損得を考えない、子供は自分に悪を働く人も、受け入れざるを得ない、約束したけれど破った、でも許してくれる、・・・〕。
幼子のように天国を受け入れる、神を受け入れる、言うことに従う、主イエスに従う、大人は従いにくい、自分の考え、経験、価値観に従う、が、子供は素直にイエスの言葉に従う。
幼子のように自分を低くする者、神の国を受け入れる者が神の国に入る。神の愛がなければ生きられない、幼子である。イエスによって贖われ、赦されている者。自分を低くせざるを得ない者。
一人の幼子をイエスの名のゆえに受け入れる者は、イエスを受け入れることである。自分を低くし、天国を幼子のように受け入れる者をイエスの名のゆえに受け入れる者は、イエスを受け入れていることだ。
--------------------------------------------------------------------------------
第四主日礼拝:2016年4月24日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。」(マタイ18:15)
題「主が共におられる共同体を造る」(マタイ18:15-20)
主イエスは弟子たちに向かって、自分に罪を犯している兄弟の所に行って二人だけのところで、その罪を示し、罪を認め神の光りの中に立つように、忠告するよう命じられた。公にしないで、その人が恥をかかないように、しかし、滅びに向かっている、悔い改めるように促す。もし悔い改めるなら、赦されて、神の家族の関係が回復される。悔い改めない時、本当にそれが罪なのか第三者に証人になってもらい、その人がその罪を犯していてはいけないことを、理解してもらわなければならない。それでも、認めない、受け入れない時、教会に申し出る。
キリストはペテロに、天国の鍵を授けた(マタイ16:19)。主イエスは弟子たちの共同体、教会に、地上で解いたりつないだりする権威を委ねられた(18:18)。教会の頭はキリストであり、キリストの御心を行うように召し出され、遣わされている。永遠の滅び、黄泉の力に打ち勝つ、罪の支配から解き放つ、救い出す働きのために、御子イエス・キリストが御子の血をもって贖い出された。そのイエスを信じるその一人一人が神の教会である。またその弟子たちの共同体に解きつなぐ働きが委ねられている。教会とは、個々の教会や団体において様々な形態をとっているが、役員会、長老会のことであり、主の導きを問い、主の御心と示される働きを行う。
異邦人は神を信じない神の選びの中にない民であり、また取税人はユダヤ人であってもユダヤ人らしい生活せず、ユダヤ人を抑圧するローマの国のために税金を集め、利益を得ていた人であり、共に神の選びにはないあるいは救いから遠い人だと考えられていた人たちであった。律法学者やパリサイ人、当時の為政者らは、そういう人は神の救いに選ばれていない人たちだと軽んじたが、主イエスは罪人や取税人と言われる人々の所へ行き、共に食事をとり、交わり、神の愛と憐れみを顕された。(マタイ9:13,14)。小さい者の一人も滅びることを望まない神の愛とその働きを顕された。だから「異邦人や取税人と同様に扱いなさい」とは、主の食卓に与る共同体からははみ出しているが、そこに招くべく主イエスが憐れみの眼差しを注ぎ労し仕えられた人々である。
罪を犯している者があるなら、その間違いを指摘し、主の下に立ち帰るように諭しなさい。そういう流れの中で、二人の者が、地上で、心を合わせて、祈る、魂が悔い改めて、あるいは強情なのではなく、悔い改めて、主に立ち帰るように祈り執り成す働きを教会は与えられている。それを求める2人、3人の共同体の中に主イエスは共におられて、祈りを聴き、救いのみわざを行って下さる。
--------------------------------------------------------------------------------
第主日礼拝:2016年月日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「
「
--------------------------------------------------------------------------------