説教の要約:2016年11月
 
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第一主日聖徒の日礼拝:2016年11月6日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。」(ヨハネ5:28,29)
 
題「御子がすべてを裁かれる」(ヨハネ5:19-29)
1)主イエスが役人の子供を癒し、ベテスダの池の病人を癒された。しかし、そのわざは自分が行っているのではなく、父なる神が行っておられる。何度も言われる。子は父の御心を行う。
2)父が死人を生き返らされる、旧約、新約において、また神がイエスを生き返らされたように、御子も与えたいと思う者に命を与える。キリストの復活の命を与える。
3)@御子を信じる者は永遠の命を持つ(ヨハネ3:16)。御子を信じない者は既に裁かれている。御子に従わない者は命を持たないばかりか、神の怒りがとどまる(3:36)。 A世は御子イエス・キリストを裁いたが、キリストは死んで甦られ、結果的に、逆に世(裁いた者たち、為政者たち)が裁かれた。御子を信じる者は裁かれることなく、死から命に移っている。Bキリストが裁かれて下さった。御子が苦しみを通して。 Cキリストが持っておられる命を聖霊を通して与えて下さっている。水と霊から生まれなければ神の国に入ることはできない。御霊による交流。御霊の風が自由に吹く(ヨハネ3:5)。枝が木に繋がる(ヨハネ15:)。
4)死んだ者が神の声を聞く時が来る。聞いた者は生きる。御子主イエスが再び来られる。墓から呼び起こされる。善を行った者は命に呼び起こされる、悪を行った者は復活して裁きを受ける。エゼキエル37:1-14。枯骨の谷の預言。捕囚民が約束の地に帰って、神の民の繁栄を再び回復する預言。
5)イエス・キリストを通して、永遠の命に、キリストと共なる復活に、御国に与りたい。その望みに生きよう。
 
 
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第二主日聖餐式礼拝:2016年11月13日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。」(レビ17:11)
 
題「聖潔を守るための戒め」(レビ17:1-13,18:1-5)
1)神が聖であり、神と契約関係に入れられたイスラエルの民は聖とならなければならない。神の掟に従って生き、生活の全域において、異教世界に対して神の聖の証人として生きることが求められる。
2)野外で偶像にいけにえを捧げる習慣があったようだが、主に捧げるいけにえは幕屋の前で定められた方法で捧げなければならない。それ以外の所で動物をほふり殺す者は血を流した者とみなされ、民から断たれる。
3)肉の命は血にある。血を食べてはならない。血は命であるがゆえに贖うことができる。食べてもよい獣や鳥を狩り獲た者は、その血を地に注ぎ出し、土で覆わなければならない。
 新約においては、主イエスが律法を全うし、贖いの子羊となり、また永遠の大祭司として、真の聖所の天に入られたから、イエスをキリストと信じるすべての人が信仰によって義とされる道が開かれた。信仰者はキリストの律法によって生きる。キリストの模範に倣う。
 
 
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第三主日礼拝:2016年11月20日
 
説教者 加藤育代師
 
今週の聖句
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」(マタイ6:11)
 
題「いのちの糧」(マタイ6:11)
1)いのちを保ってください
「日ごとの」(新改訳聖書と新共同訳聖書)の意味は、毎日という意味であるよりも、差し迫った、「この次の時」のことを意味する。つまり、自分がひとときひとときを生かされるとき、それを支える不可欠なものを与えてくださいと祈ることなのだ。それはまた、この次の時、この次の時も私に地上のいのちを与えてください、あなたが養ってくださいと祈るということだ。
そして食事を備えてくださった神さまは、私たちの健康を一番気にして(私たちの食欲ではなく)食事を備えてくださる。私たちは、次の瞬間に自分が生きているかどうか保証できない。自分で確保できないいのちを思いつつ、みこころならば必要なものを与えて、いのちを保ってくださいと祈るということだ。
2)本当の糧
私たちは、飽食の時代と言われる状況の中で、しかし本当の糧を得ることができずにいる。それは魂の糧だ。たとえ食物を摂ることが難しくなっても、魂を養う糧を得ている人は、なおそこで豊かに養われ、力づけられていくことができる。私たちが本当に元気に、力強く生きていくことができるための本当の糧は別のもの。
3)神の言葉
 主イエスが荒野で四十日の試練を終えた後に、サタンが現れてイエスさまに声をかけた。その誘惑の言葉が、「この石をパンに変えて食べてみたらどうか」(マタイ4:3)。その時イエスさまが仰ったのが、「人はパンのみにて生きるにあらず神の口から出る一つ一つの言葉による」と。
荒野の試練の中でわかることがある・・・それは、私はパンだけで生きているのではない。神の言葉で生かされているということ。
詩篇119篇103節には、「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです」 とある。
この「甘い」というのは、「元気づけられる」とうこと。神の言葉の力と、神の言葉のその甘さをいったい、私たちはどういう時に味わうのか?
それは神の力づけが必要な時に味わうのだ。
本当に神の言葉が必要な時に、神の言葉は私たちの所に届くようにできているのだ。
私たちが一旦、様々な問題課題・試練の中に入った時に、普通の食べ物以上に、みことばは私たちを元気にするんだということをきちっと捉えておきたい。そしてみことばを、いつでも神さまは私たちの口元に差し出してくださる。
私たちが口をあけてそれを食するなら、私たちは再び平安を取り戻す、ということをしっかり覚えておきたい。
 
 
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第四主日礼拝:2016年11月27日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
「あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。」(レビ19:18)
 
題「隣人愛を求める主なる神」(レビ19:1-18)
1)イスラエルの神であり主である方が聖であるから、あなたがたも聖でありなさいと宣言される。神の聖性を表すべく神に倣う生活をすべきであり、神が忌み嫌われるカナンの風習に倣ってはならない。すでに契約の言葉として十戒が与えられている。神との契約に入れられたことを覚えて、異教的な風習から分離されて生きるように、十戒の具体的な日常生活への適用が求められる。
2)父母を敬う、安息日を守る。
3)主以外に神はいない、偶像を造ってはならない。
〔しかし、荒野を旅して約束の地に入ったイスラエルの民にとって生活水準の高さと豊かさに関心をそそられ、豊穣神に惹かれ、バアルやアシタロテの神に引かれた。異教的な習慣に捕らわれ、神の裁きや自らの滅びに落ち込んでいった。〕
4)土地の収穫物は取り尽くさず、貧しい者や在留異国人のために残しておく。土地を持たない者が持つ者と共に生きるための神の配慮であり命令である。しかし約束の地に入って、間もなく、多くの者が忘れ去ってしまう。(ルツ2章)
5)盗み、欺き、偽り、偽証(11、12)、虐待、詐取、賃金払いの引き延ばし(13)の禁止。主なる神を恐れて、すべての人、特に弱者と共に生きる責任を自覚しなければならない。弱者にも強者にもおもねらず、正義を行うことが求められる。
 在留異国人が彼自身の生活様式を保ちながら、イスラエルと共に住む時、虐げてはならない(33,34)。異郷的風習に倣うことが厳しく戒められてきたが、そのことから在留異国人に対する差別や虐待が起こってはならず、同胞の一人のように受け入れられるべきと言う。異郷的風習に倣うことと区別されなければならない。
 
 
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第主日礼拝:2016年11月日
 
説教者 加藤信治師
 
今週の聖句
 
 
 
 
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