説教の要約:2017年2月
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第一主日聖餐式礼拝:2017年2月5日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、『これは、いったい何事か。権威ある新しい教だ。けがれた霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ』」(マルコ1:17)
題「汚れた霊に取り憑かれた男をいやす」(マルコ1:21ー28)
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第二主日礼拝:2017年2月12日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「イエスは彼らに言われた、『ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから』。」(マルコ1:38)
題「身近な関係から始められた主」(マルコ1:29-39)
1)会堂から出てシモンとアンデレの家に行かれた。4人の弟子たちは、網を捨て、家族を置いて、主イエスに従った。(参照マルコ10:29)。しかし、主イエスは、会堂で教える働きをされた後、すぐに、シモンの家に行かれ、熱病で床にいたしゅうとめを癒された。しゅうとめはイエスらをもてなした。この言葉は、未完了過去の動詞であり、その後ももてなすようになったことを表す。1コリント9:5には、使徒パウロは、ケパ(ペテロ)が妻を連れて伝道していたであろうことを記している。家族のことを主イエスが顧み、救いにあずかる初めとなる訪問や癒しから主イエスが働きを始められた。
2)主イエスが病をいやし、身体の不自由をいやし、悪霊を追い出し、神の国の福音を宣べ伝えに村々町々に出て行かれた。すばらしい救いと癒しのみわざを行われた。マルコの11章から、十字架と復活の記事が書かれ、3分の1以上を占める。多くの部分を主イエスが十字架にかかり、復活される出来事に関する記事として割いている。キリストの福音は、罪が赦され、サタンの力から贖い取られる御業である。そのために朝早くから寂しい所に行き、祈られた。戦うべき闇の力を見据えて、執り成された。出て行って福音を伝え、癒しをなし、悪霊を追い出された。
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第三主日礼拝:2017年2月19日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。 1:42 すると、重い皮膚病が直ちに去って、その人はきよくなった。」(マルコ1:41)
題「汚れを清める主イエスの働き」(マルコ1:40-45)
1)らい病。重い皮膚病。レビ記13章。皮膚病と共に、宗教的な汚れがあると見られていた病である。社会の交わりから断たれ、宿営の外で生活し、一般の人々の所に行く時は、「汚れ者が通ります」と呼ばわらなければならなかった。
2)この人はイエスの所に来た。「御心なら、潔めていただけるのですが。」イエスの主権に委ねつつ、自分の求めを告げた。
3)主イエスがそれを受け入れて下さり、汚れた者、と追い返さず、深く憐れまれた。深く憐れまれた。自分の内臓、はらわたの痛みとして、受け入れて下さった。そして彼に触って下さった。
4)「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた時、重い皮膚病が直ちに去った。
律法によれば、皮膚病は伝染性の汚れとされていた。ミリヤム(民数12:10)やウジヤ(2歴代26:19)が神に打たれて重い皮膚病を発症した。苦難の僕は私たちの代わりに神に打たれ、病を負うて下さった方である。(マタイ8:17,イザヤ53:3,4)。主イエスはバプテスマのヨハネにメシヤとして、ご自身を顕された(イザヤ35:5,6,61:1、マタイ11:5、ルカ7:19)。
5)厳しく戒めて、すぐにそこを去らせ、祭司の所へ行くように言われた。祭司の所へ行くのは、重い皮膚病がいやされたことを診断し、潔めの儀式を行ってもらうため。厳しく戒め、そこを去らせたのは、@人々に知らせないこと Aその重い皮膚病の人々がいる所に留まらないで、自分が元いた共同体に帰るように励ますため。
6)このいやされた者に、口止めをしたが、彼は言い広めてしまい、多くの人々が癒しを求めて集まった。しかし、主イエスは多くの人々を癒し、悪霊を追い出されたが、癒しのための救い主ではなく、贖い、潔め、神に立ち帰らせる救い主としてその働きを進められた。
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第四主日礼拝:2017年2月26日
説教者 加藤信治師
今週の聖句
「2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」(マル2:9,10)
題「病を癒し、罪を赦す方」(マルコ2:1-12)
1)主イエスは、中風の人を運んできて、屋根に穴を開けて吊り降ろした人たちの信仰を見て、中風の人に、「あなたの罪は赦された」と言われた。身体が麻痺して動かず、イエスの元に行くことのできないこの仲間のために、他人の家の屋根を破ってまで、イエスの許に運んできたこの4人の人たちの信仰に心を動かされて、この人の癒しのために動き出された。
2)主イエスは癒しではなく、罪の赦しを宣言された。@この中風の人が特に罪深かったから病に罹ったというのではなく、人は神の前に罪を持ち、裁かれなければならない者であることを指摘された。(ヨハネ9:3、ルカ13:2) Aしかしそれは律法学者たちの怒りを買い、呟きを招いた。イエスは、神が遣わされた者・メシヤであり、どういう働きをもってそれを行われるかが顕れてこなければならず、それは律法学者たちの常識とぶつかった。
3)イエスが、罪を赦す権威を持って働いておられることが、中風の人が癒やされ、床を取り上げ、帰って行ったことを通して明らかになった。しかし、単に癒やしが起こっても、その人の心や魂の在り方が変わらなければ、神の国に生きることは出来ないだろう。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ。」(1:15)。主イエスは、罪を知り悔い改めたから救いや癒しを行われたのでない。まず罪の赦しを告げられ、癒しを受けるところで、自らの罪を知り、神の恵みやイエスを通して行われる救いを知らされた。主イエスは救いや神の国を与えて下さる方である。
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第五主日礼拝:2017年月日
説教者 加藤師
今週の聖句
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