シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2007年7月29日 
「熱心な祈りによって」船水牧夫牧師
使徒言行録12章1−17節



 初期のキリスト教会は12弟子を中心に伝道の業が熱心に進められ、多くの人々が主イエスを救い主として受け入れ、教会の群れに加えられて行きました。

 当時、ユダヤを支配していたヘロデ王は、自らの政権を安泰ならしめる為に、キリスト教迫害に乗り出したのです。その手始めとして12弟子の一人「ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」のです。

 ヘロデ王は「それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえ」(3節)たのです。使徒たちへの迫害は、当時のユダヤ人社会の大多数の民衆の共感と支持を得たからです。

 ペトロを牢に入れ、過越の祭に引き出して見世物的裁判を演出しようとしたのです。



 使徒ヤコブが殉教の死を遂げ、更にペトロも捕まり、明日には死刑に処せられるという前の晩、教会では皆が集まり、熱心な祈りが捧げられました。

 ヘロデの決断は既になされておりますし、ペトロは厳重な警備の中、牢におります。それに対してこの世的には全く無力な人々が集まって、ただ祈るしかないのですから、勝負は既についているようなものです。

 しかし、教会では希望を失うことなく、熱心な祈りが捧げられました。そしてその祈りが聞かれ、ペトロが救い出されました。

 祈りが無力なものではなく、祈りこそが信仰者の最も強力な武器であることの実例がここに示されています。



 しかし、私共は罪深く、不信仰な者であります故、祈りは聞かれるだろうか、という不安をもって祈ることが多いのです。

 教会に集まって熱心に祈っていた人たちも、取次ぎに出た女中が、ペトロが門の前に立っていると告げても、「あなたは気が変になっているのだ」(15節)と取り合わなかったと記されております。

 彼らは熱心に祈ってはおりましたが、ペトロが救い出されることを本当には信じていなかったのです。

 これはひとごとではありません。私共の祈りもこれと似たものであることを思います。



 祈りが聞かれ、教会に加えられる仲間が増えていったという喜ばしい体験をする一方で、祈りが空しく思われるような出来事、殉教する仲間も多くあったことでしょう。

 事実、12使徒の一人、ヨハネの兄弟ヤコブは、彼らの祈りも空しく首を刎ねられ、殺されました。

 どうしてペトロは奇跡的に救われ、ヤコブは殺されてしまったのか。私共はその問いに答えることは出来ません。



 ここで私共が、注意しなくてはならない大切なことは、「祈りが聞かれる」というのは私共が祈る様々な願い事が願い通りになることが、祈りが聞かれたということであって、自分の願いが叶えられなかったら、祈りは聞かれなかったということだ、そういう判断は誤りだということです。

 自分の祈りを神が聞いて下さるか、聞いては下さらないか、賭けでもするような積もりで祈るのではなく、神が今、祈ろうとしている祈りにどう答えようとされておられるのか、それを謙虚に聞き受け止める、そういう信仰に生きたいと思うのです。



 ペトロは、「今、初めて本当のことが分かった」と告白しております。

 「本当のこと」、それを一言で言うならば「神の真実」です。神がなそうとすることを神はその通り行うということです。

 この場合、神がペトロを用いて福音宣教の働きをなそうと思われたことです。

 国家権力が、どんな厳重な警備態勢を敷いても、神の救いの業、神の真実を阻止することは出来ないのです。



 教会の祈りは嵐のような現実にあって、全く無力なもの、神を信じない者にとっては、そう思えることでしょう。

 しかし、祈りは無力ではない、祈りこそが困難や試練に打ち勝つ信仰者にとっての最も強力な武器なのです。何が無くても祈りが出来るということは、神の恵みであり、祝福である、そう思います。

 逆に申しますならば、「祈らないことは、神に対する最大の罪」なのです。

 祈り続ける、そこに神の祝福が満ち溢れることを思います。

 私共の教会が何よりも「祈りの家」と呼ばれるにふさわしい教会、祈る教会でありたい、そういう一人一人でありたいと思うのです。

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 2007年7月22日 
「万人の救い」西原明牧師
使徒言行録11章4-18節 ルカによる福音書17章11-19節



 アッシリヤ宗教とイスラエルの信仰とを混合させてしまったサマリヤ人と、純粋のイスラエルの信仰を守るユダヤ人との間には「隔ての壁」が存在した。

 だがイエス様は、10章の「良いサマリヤ人の喩え話」と、今日の「癒された10人のライ病患者」の出来事で、サマリヤ人を真実の信仰生活の代表者として登場させる。

 イエス様は「隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2章)万人を救うお方なのだ。



 17章で、10人のライ病患者が皆癒された。神への感謝も信仰も忘れてしまった9人に対しても、イエス様は、恩知らずめ!としかったり、神の贈り物としての病の癒しを取り上げるような「罰」を与えていない。

 イエス様は、全ての者が癒され健康な生活を送ることを喜び給うのだ。

 ただイエス様は、人生の次々に襲いかかる苦難に対して、この9人がこのあとどのように立ち向かうのかを悲しみ心配された。



 このサマリヤ人だけが感謝と讃美の信仰生活を歩き始めることができたのは、絶望のどん底から救われた喜びが他の9人にもまして大きかったからだ。他の9人のユダヤ人にとっては、ユダヤの律法に規定してある通り宗教的手続きを守ったら病気が直った−それだけの事かもしれない。

 だが、このサマリヤ人は、ユダヤ宗教の規定に縁がない「よそ者」の自分をイエス様が何の隔てもなく神さまの癒しと救いに招き入れてくださったという喜びを心身一杯に受け容れている。10人が皆癒されたように、たしかに、神の力は人間が作る壁を越えて万人に及ぶ。

 しかし、その福音を具体的に示してくださるイエス様を迎え入れなければ、どんなに聖書の文字を読み、キリスト教についての知識をもっても、それは単なる立派な言葉か人生訓に過ぎない。

 あのイエス様の愛に満たされたサマリヤ人に、イエス様は「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われた。このサマリヤ人は、その救われた喜びを全身全霊をもって語り、キリストの福音を伝える無名の伝道者になったと私は思う。



 讃美歌21−485の第一節は「この世を愛する神は、世の民を用いて愛を示される」と歌う。愛なる神は、キリストの恵みと聖霊の力とを私たちに満たして下さっている。

 その私たちを生かす力に満たされた喜びと感謝を、私たちは日常生活の中でありのまま隣人に語り、見ていただく。

 神さまはそのような私たち一人一人を用いて、万人を救い給う。



 祈り:天の父なる神さま。シロアム教会に、船水牧夫牧師ご夫妻に、教会員一人一人にあなたの聖霊を注ぎ、あなたの救いを全ての人にもたらす器として用いてください。インマヌエルの主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン

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 2007年7月15日 
「成長する教会」船水牧夫牧師
使徒言行録11章19-26節



 この箇所は使徒言行録の中の重要な分岐点だと言われております。この箇所を境に使徒言行録はエルサレムからアンティオキアを中心に展開されて行くからです。

アンティオキアは、迫害によってエルサレムから散らされた人々によって伝道がなされ、聖霊の導きと励ましに支えられて教会が形成され、その群れに異邦人も加えられて、教会は大きく成長して行ったのです。



 当時、各地に出来たキリストの教会を統括していたのは12使徒を中心としたエルサレム教会でした。アンティオキアに新しく出来た教会が正しい福音を宣べ伝えているかどうかを確かめる為に、エルサレム教会からバルナバが派遣されました。

彼はキプロス島で生まれ育ち、地中海沿岸の異邦世界に詳しいユダヤ人で、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちあふれてい」(24節)ましたから、アンティオキア教会を指導するのにぴったりの人であったと言えます。



 アンティオキアに着いたバルナバは、ユダヤ人も異邦人も共にキリストの福音を信じ、一つ群れとなって教会生活を守り、共に神の祝福に与かっている様子を目の当たりにし、喜び、神を賛美しました。



 そしてアンティオキアの教会の人々に、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」のです。

 異教社会の中でキリスト教の信仰を持つということは大変なことですが、しかし、それ以上に信仰を持続するということは、もっと難しいことだからです。



 バルナバの励まし、導きによって益々、教会が大きく成長するにつれてバルナバは自分の力の不足を感じたのでしょう。タルソスにいたパウロを捜し出してアンティオキア教会に連れ帰り、一年の間、共に集会をし、教えたのです。



 パウロは回心してからエルサレムに行きましたが、エルサレム教会は彼を信用しないばかりか、つい最近まで迫害の先頭に立っていたパウロを恐れました。

 しかしバルナバがパウロの回心が本物であること、更には彼の優れた資質を洞察したことによって、パウロがキリスト教の歴史に大きくその足跡を残すことが出来たと言っても過言ではありません。

 パウロがユダヤ人に激しく憎まれ、殺されそうになったので、エルサレム教会は彼をタルソスへ逃がしました。



 アンティオキアで自分の力不足を感じたバルナバは、パウロのことを思い出したのです。

 バルナバがパウロを発見出来なかったら、連れ出さなければキリストの教会は最も優れた伝道者を失っていたということになるのです。その意味でもバルナバの功績は本当に大きいと言えます。



 アンティオキア教会はバルナバ、パウロの指導の下、以前にも増して伝道の熱心に燃えて、聖霊の導きを祈りつつ、キリストの恵みを証ししたのです。

 やがてアンティオキアに於いてキリスト者の生活振り、熱心な伝道が評判となってクリスチャンと呼ばれるようになったと記されております。



 民族、階級、貧富、能力、男女、そうした違いを乗り越えて、キリストに属する者として一つの新しい共同体、キリストの教会が、この世界に打ち立てられたのです。

 アンティオキア教会は、信者、皆が熱心に、機会あるごとにキリストを証しし、急速に成長を遂げて行きました。

 それがキリスト党員と徒名されるようになってキリスト者、クリスチャンと呼ばれるまでになった理由です。



 教会は主イエス・キリストに召された者の集まりです。キリストの体なる教会の枝として召された一人一人です。

 その神の恵みへの感謝とその恵みに応えて生きようとする生活、そしてキリストを証しする生活、それらが共に働いて主の教会は成長し、前進して行くのだと思います。

 アンティオキア教会はよく祈り、学び、伝道する教会であったと言えます。



 私共、この地にあってまことに小さな群れです。しかし主イエスを救い主と信じ、恐れることなく心を込めて宣教の業に励んで参りたいと思います。

 共に祈り、励まし合う中で一人一人の信仰も励まされ、伝道する教会へと成長させられたいと願う者です。

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 2007年7月8日 
「分け隔てなさらない神」船水牧夫牧師
使徒言行録10章34−48節



 コルネリウスは「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈る(10.2)」、ユダヤ教に改宗した、しかし割礼は受けていない人でした。ある日、彼が祈っていると神の天使が現れて、ペトロを招くようにとの命令を受け、彼はヤッファに滞在中のペトロに使いを遣りました。



 一方、ペトロもその頃、幻を見ました。大きな布のような入れ物の中に、あらゆる生き物が入っており、ペトロに「屠って食べなさい」と声をかけました。

 ペトロは、私はユダヤ人として律法の中で育って来た者です。決して汚れた物を口に入れることは出来ません、と抗議しますと、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」との声が聞こえて来ました。そういうやり取りが三度繰り返されました。

 ペトロは今見た幻はいったい何だろうかと一人で思案に暮れていると、コルネリウスによって差し向けられた使いの者が訪ねて来たのです。ペトロは使いの者の言葉を聞いて、直ぐに幻の意味を悟りました。

 神は人間の思いに先立って異邦人伝道を始められている、その神のご意志をペトロははっきりと知ったのです。



 コルネリウスは親族や親しい友人たちを呼び集めて待っていました。ペトロが到着すると、彼はペトロの足元にひれ伏して拝みました。

 「ペトロは彼を起こして言った。『お立ちください。わたしもただの人間です』(26節)。「ただの人間です」、これは神の下にあって私たちは全く平等です、という宣言をしたということです。

 「そこでペトロは口を開きこう言った。『神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです』」(34,35節)。



 ペトロのこの経験を通して、キリスト教は差別と偏見の民族主義的宗教となってしまったユダヤ教と訣別し、ただ十字架の贖いによる罪の赦しを宣べ伝える福音主義に立つ信仰として、世界中に拡がったのです。



 今日は7月第二日曜日です。今日は教団では、部落差別がなくなることを願う日として定めております。

 部落差別は今日、尚、日本社会に大きな蔭を落としております。未だに就職や結婚に際して、部落出身かどうかの興信所の調査が半ば公然となされております。全くいわれのない差別です。

 キリストの教会は食物に清浄、不浄はないこと、神の造られたものは皆清く、人間に優劣はないこと、人種や民族による差別、偏見は神のご意志に背くものであることを知らされております。

 今日、キリストの教会は差別され、偏見の中で苦しむ人々の側に立って、どれだけ祈り、働いているかが、問われています。



 ペトロが示されたのは、全ての被造物を神は良しとされ、聖なるものとされたのであって、この世にあるあらゆる差別や偏見からの解放でもあったのです。

 しかしキリスト教二千年の歴史にも拘わらず未だに、この世には様々な差別や偏見があります。私共自身の中にもあります。

 そのことを覚えながらも、私共は聖書を通して、キリストにあって、一つにされていること、神は一人一人を覚えて愛しておられることを知っております。



 私共はキリストの十字架の贖いによって、神の家族とされているのです。この喜びの音ずれ、平和の福音を教会はもっと大胆に訴え、証しして行くべきだと思います。

 罪の赦しの和解の福音を宣べ伝える者として、私共は神に召し集められているのです。



 教会が外に開かれた教会である時、そこは聖霊の満ち溢れる教会になると思うのです。そして差別と偏見、対立と争いに満ちたこの世にキリストの和解の福音を携えて、神の恵みを共に分かち合う群れとなれるのではないでしょうか。

 「神は人を分け隔てなさらない」お方でありますから、従う私共も、又、この世にある差別、偏見と闘いながら、又、迷信や古いしきたりから自由にされた者として、自由と和解の福音を証しして参りたいと思います。
 
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 2007年7月1日 
「タビタ、起きなさい」船水牧夫牧師
使徒言行録9章36−42節



 キリスト教徒に対する迫害の急先鋒であったパウロが回心したことによって、その迫害の勢いが殺がれたことも背景にあったのでしょうか。

 9章31節を見ますと、ユダヤ全土にキリスト教が拡がり、各地の教会は平安を得て、その基礎が固まり、聖霊に励まされて、次第に信徒の数も増して行ったと記されております。

 使徒ペトロは各地に新しく建てられたキリストの教会を訪問し、励まし、力付けておりました。



 ヤッファの町に数々の良い働きや施しをし、教会の皆から尊敬され、愛されていたタビタという女性がおりました。彼女自身貧しい身でありながら、貧しい人の苦しみや悩みを共に担って生きていた女性であったと思われます。

 その彼女が天に召されました。ヤッファの教会はタビタの死を悲しみ、「遺体を清めて階上の部屋に安置し」、使いの者に使徒ペトロを呼びに遣りました。



 ペトロは皆を外に出し、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がったのです。

 ヤッファの教会の皆はタビタに示された神の力によって悲しみから立ち上がりました。教会員を立ち上がらせた力は町中に満ち、多くの人々が主イエス・キリストを信じる者へと変えられました。



 使徒言行録は当時の教会が言葉と力ある業、多くのしるしによって教勢を伸ばしたことを繰り返し述べております。

 59年の歴史を持つこの教会が、未だに10数名の礼拝出席者にとどまっている現状を思いまして、私共も又、そのようなしるしを見せることが出来たらと思ったりもします。



 私共もペトロのように病の床にある者、死の床にある者に向かって「起きなさい」、「立ち上がりなさい」と呼びかけ、その通りになって欲しい、これは私共の切実な願いです。

 ですから奇跡を信じて神様に祈ります。しかし、最後は神様の御心のままにと祈るほかないのです。



 タビタは生き返りました。それではそういう奇跡の恵みに与からなかったところの世々の教会は、人生の危機の中で、死の悲しみ、病の苦しみ、悩みに立ち上がれないまま、絶望と虚無の中で教会生活を送るほかないのでしょうか。



 しかし実際、私共は主にある交わりを通して、キリストの甦りの力に与かり、現実にある様々な試練、悩み、苦しみを超えて、力強く立ち上がる者とされている恵みの内を生きている、それを私共は信じ、そのことを身をもって体験させられているのではないでしょうか。



 私共は主イエス・キリストの甦りを信じる者です。そして主イエス・キリストの贖いの十字架によって買い取られた教会に私共は招き入れられたのです。

 主イエスが甦り給うたということは、罪の支払う報酬としての死を突き抜けて、暗闇から光の中に入れられたということなのです。

 神がキリストに於いて、私共の罪を根本から解決して下さった、その神の恵みに与かり、その力を頂いて、あらゆる困難の中にあっても、たとえ愛する者の死に直面しても、自らが死の縁に立ったとしても、尚、そこで死に勝利されて甦り給う主イエス・キリストを仰ぎ、立ち上がる者とされた群れ、それが教会という場所なのです。



 病の苦しみ、死の悲しみを突き抜ける光が主イエス・キリストの甦りの中に表わされたのです。そこに教会が誕生したのです。

 ですから私共はたとえ、病が癒されることのない兄弟姉妹を見舞い、死の床にある者を見舞っても、尚、そこで私共は、神を称え、神を仰ぐ者とされているのです。



 ペトロは、この教会に働く神の力、聖霊の力を信じ、祈ったのです。私共も又、諦めないで祈り続ける者でありたいと思います。

 どんな時にも主が共にいて助けて下さる、それを信じ、祈る時、私共は希望を与えられ、どこにあっても立ち上がる力を与えられる、そう思うのです。そのような者として、召し集められた者の群れがキリストの教会なのです。

 教会にキリストのご支配が、聖霊が、満ち溢れるよう、そしてそれが地域へと拡がって行くようにと、それを願い、祈りを集める群れでありたい、そう願います。

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