シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2007年10月28日 
「共に恵みにあずかる」船水牧夫牧師
フィリピの信徒への手紙1章1−11節



 今朝の礼拝からフィリピの信徒への手紙をご一緒に学んで参りたいと思います。この手紙は冒頭に記されておりますように、使徒パウロがフィリピの教会に宛てて書き送った手紙です。

 この手紙がいつ書かれたものか学者によって諸説がありまして、確定されているわけではありません。現在、最も有力な説はエフェソの獄中で書かれたものではないか、という説です。

 と致しますとパウロが第三回目の伝道旅行中にエフェソに2年程、滞在していた時に、従って紀元53年から55年の間に記された獄中書簡ということになります。



 パウロの第二回伝道活動によって信仰を持つに至ったフィリピの人たちは、その後、パウロを終生、師と仰ぎ、パウロが獄に囚われていることを伝え聞いてパウロの許に使者を遣わして献金や見舞品を届けたりしてパウロを慰め、励ましたのです。

 この手紙はそのことに対する御礼の手紙と言ってもよいと思います。パウロがフィリピの教会に対する信頼と感謝に溢れ、喜びをもってこの手紙をしたためている様子が行間から察せられます。

 そのことから、このフィリピの信徒への手紙は「喜びの書簡」とも呼ばれております。しかし実際のところは、この手紙は獄中で書かれたものです。

 牢獄という不自由さ、苦しさの中であるにも拘わらず、喜ぶ、感謝する、希望を待つ、そういう明るさがこの手紙にあります。厳しい状況の中にあっても喜び、感謝に溢れているのです。

 驚きと共に何故なのだろうかと思わずにおれないのです。



 この秘密は、5節の「福音にあずかっている」、この一言に尽きると思います。

 どんなに辛く、苦しく、悲しい時にも、思い悩む日々の中にも、神が共にいて下さる、助けて下さる、救って下さる、恵んで下さる、そういう信仰の確信がパウロの内にあったからこそ、彼はどのような時にも喜びと感謝を持って生きることが出来たのだと思います。

 パウロをそのような生き方へと促したのは、神が御子イエス・キリストの贖いの十字架によって、罪の内に滅びる外ない自分を救って下さったという神の恵みに対する感謝の思いからです。

 そしてその感謝は、これまでのことから、これから後、将来に向けての感謝となっております。6節です。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」。

 フィリピ教会は、これからもさまざまな問題、迫害や異端信仰との闘いに直面しなければならないかも知れない。しかし、神はその業をキリスト・イエスの日までに、すなわち終末の時まで、必要なものを全て整えて、完成へと導いて下さるに違いないと確信し、感謝するとパウロは言っているのです。



 私共のシロアム教会も現実を見ますならば悲観的にならざるを得ません。しかし、人間的にはもう駄目だと思える状況にあったとしても、神が働かれてこの教会がここに建てられ、今日まで導いて下さった、その業を途中で投げ出されることはない、そのことを信じて歩む教会でありたいと思います。

 実際、振り返って見ますならば、奇跡としか思えない中で、幾度も危機を乗り越えて、福音宣教の業が進められて来たという感謝の思いを皆さんお持ちの筈です。キリストの恵みに与かって今の教会がある、自分があるということに気付かされます。

 善い業を始められた方、神が、その業を必ず成し遂げて下さる、そのことを信じ、祈り、出来る限りのことをして行く、それが、神が私共に求めておられることだと思うのです。

 苦しみの中に神を見出し、その神が私共の計り知れない恵みを持って配慮して下さっている、そこに喜びと感謝を持って生きる者へと私共を促す、そして善い業を始められた方、神が、その業を必ず成し遂げて下さる、その事を信じ、祈り、自分の属する教会の課題を共に担い、他の人の苦しみをも共に担う者へと変えられて行く、それが信仰者の歩みではないでしょうか。

 共々に主の恵みを頂きながら歩んで参りたいと思います。

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 2007年10月21日 
「神に感謝し、勇み立つ」船水牧夫牧師
使徒言行録28章11−16節



 14節の終わりに、「こうして、わたしたちはローマに着いた」と記されておりますが、この時、実際はプテオリの港に着いたのでありまして、ローマまでは、この港町から徒歩で約5日の道程となります。

 このプテオリでパウロの一行が驚かされたことがありました。それはこの町に既にキリスト者が居て、そこの教会の人たちがパウロ一行を歓迎したということです。

 パウロは、自分がキリストの福音を持ち運んで行かなくてはと思っていたことが傲慢であったということに気付かされました。キリストが先に、何らかの方法で、その地で福音を明らかにしておられることを知らされたのです。

 私共がキリストの福音を伝える前に、既にキリストが愛と憐みをもって寄り添い、魂に呼びかけて、集会に、教会に、近くのキリスト者へと導いて下さっているのです。その方を礼拝へと招き、教会での交わりを共にする、それが伝道だと思います。

 伝道するつもりで来たローマに、既に信仰の仲間が居て、彼を迎え入れてくれたのですから、「パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられ」ました。



 行き詰まりや敵意の中、自然の猛威の中をここまで来ることが出来たのは、ひとえに神の愛と恵み、御子イエス・キリストの導きと励ましがあったからだ、パウロはそのことを心に深く感じ、胸迫る思いで「神に感謝し」たのです。

 私共も又、自分の人生を振り返って見ます時に、同じような経験をして来たことを思うのです。私共、自分一人の力でここまで来れたように思ってしまいがちですが、しかし、そこには神の恵みの御手に導かれて、今の私があるということを思わされるのです。

 一見、不合理に感じられ、不幸せと思える中にも、そこに実は神の見えざる手、神の深いご計画の中に置かれていたことに気付かされるのです。

 パウロは感謝したのみならず、勇気づけられました。念願のローマに到着し、ローマのキリスト者たちの出迎えを受け、心からの神への感謝の思いと同時に、新しい勇気を与えられ、心に湧き立つものを覚えたことでしょう。

 パウロが感謝し、勇み立ったのは、ローマを目前にして、このローマに至るまでの長い道程の中に示された神の深い摂理、ご計画に、胸が一杯になったからですが、同時に遠路はるばると迎えに来てくれたローマのキリスト者たちとの出会いがどんなにか、パウロを勇気づけたことか、喜びに溢れさせたことかと思うのです。



 使徒言行録の学びを終えるに当たり、今一度、使徒言行録全体を振り返って見たいと思います。使徒言行録の原動力が聖霊の力によるものであるが故に、昔から「聖霊行伝」とも言われて参りました。

 生けるキリストの霊である聖霊は、一人一人を生かし、主の器として、福音の前進の為に用い給うのたです。

 シロアム教会の歴史にも同じことが言えると思います。この60年近く、実に多くの無名とも言える方々の奉仕と祈り、分かち合い、献げ物によって支えられて来たことを思い、万感胸に迫るものがあり、深い感謝を覚えるものです。

 雲のようなキリストの証人に囲まれた信仰の歴史、それが使徒言行録であり、又、それが私共の教会の歩みでもあるわけです。

 使徒言行録の結びの言葉は何かの力で突然、打ち切られたような感じが致します。このことは使徒言行録の謎とされております。

 ある人は、この28章で教会の歴史が終わったのではなく、むしろそこを出発点として、教会の働き、聖霊の働きは、私共の歴史の中を進んで行く、そういう思いが著者であるルカにあったのではないかと言うのです。

 私共自身が自らの教会の歴史を紡いで行く、シロアム教会の歴史も、そういう意味で使徒言行録の続きとしてあると思うのです。

 初代教会の歩みを振り返り、そこに現れた神の恵み、救いの御手を感謝しつつ、更に勇み立って前進して行く、そういうシロアム教会でありたいと切に願う者です。

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 2007年10月14日 
ゴスペルコンサートでのメッセージ  船水牧夫牧師



 ゴスペルは、アメリカが発祥の地です。奴隷商人によってアメリカに連れて来られたアフリカ人は、彼ら独自の言語、宗教、何よりも人権を一切剥奪され、奴隷として苛酷な労働を強いられました。

 その中で、キリスト教と出会った黒人たちは、それによって救われた喜びをアフリカ人特有の伝統的なリズムと、讃美歌の音楽的、詩的感性が結合されて、二グロ・スピリチャル(黒人霊歌)という現在のゴスペルの元となる音楽が生まれたのです。

 キリストの救いに与かった喜び、感謝を、あるいは現実の苦悩、悲嘆を、音楽という表現をもって率直に神に訴えている、その真実な心からの叫びというものが独特のリズムとあいまって、聞く人々の琴線に触れ、感動を呼び起こすのです。



 今、私共の教会を毎日曜日夕方、在日ミャンマー人の礼拝の場所として提供しております。今、ここで行われているミャンマー人の礼拝の正式名称はTJMM、トリプル・ジョイ・ミュージック・ミニストリーと言いまして、名前からもお分かりのように、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック中心の音楽礼拝です。

 ご存じのように今、ミャンマーは大変深刻な状況にあります。在日の方々は遠い祖国のことを憂いながら、ここで毎週、礼拝を捧げております。

 ミャンマーの人たちが言語、習慣が異なる異郷の地、日本社会の中で生きて働くというのは大変なことだと思います。かつて黒人が苛酷な状況の中でゴスペルソングを通して救いを味わっていたように、ミャンマーの人たちの礼拝に出席していても、そのことを感じさせられます。


 シロアム教会の名前の由来は、エルサレムにある人工池「シロアムの池」からとられました。その池で、生まれながらの盲人が主イエスに癒されるという奇跡が起きました。

 この教会は盲人伝道を志して始められた教会ですから、その池の名前に因んで、シロアム教会と命名されたのです。

 この物語に出て参ります目の見えない人は、親からも社会からも見捨てられ、神からも呪われていると思い込み、惨めさと空しさを抱えたまま、物乞いをして生きておりました。

 しかしイエス様は、目が見えないのは、「神の業がこの人に現れるためである」と言われ、全ての人が生きる価値がある者としてこの世に存在している、どんな人であっても、その人自身として尊ばれる存在だと宣言されたのです。

 傍目にはどんなに惨めで辛いと思われる人生であっても、神様は確かにその人を愛し、その人を通して神の御業をなそうとされているのです。



 先程、岩渕さんが作詞作曲なさった「父の涙」という曲を聴き、本当に心打たれました。岩渕さんは、娘さんが脳腫瘍の為に、1年数か月にわたる苦しい闘病生活の末に、8歳で天に召されるという耐え難い経験をなさいました。

 その苦しみ、悲しみは想像を絶するものがあったと思います。真っ暗闇と思える中にあっても、尚、そこで希望を持って病との闘いの日々を過ごすことが出来たのは、神様が共に居て、慰め、励まして下さったからだとお証し下さいました。



 神の独り子イエス様は、悩み、苦しみ喘ぐ人、病や障がいを持つ人、貧しい人、差別されている人、罪を犯して刑に服している人、全ての人々にまことの救いを得させる為に、この世においで下さった神の子です。

 イエス様は言われました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11.25).私共キリスト者は、罪の内に死ぬべき私共が、キリストの甦りの命に与かって、死んでも再びいつの日か、甦り、永遠の命を与えられることを信じる者です。

 そのことを聖書は私共に明らかにしているのです。

 ぜひ、聖書をお読み下さい。教会の礼拝においで下さって、そこでイエス様と出会って、真実に生きる喜び、勇気、意味を見出し、豊かな人生を送って頂きたいと思います。

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 2007年10月7日 
「闇から光へ」船水牧夫牧師
使徒言行録26章1−29節



 パウロは、たとえ囚人という身であってもローマに行って、キリストの福音を宣べ伝えたいと願い、ローマ皇帝への上訴の道を選びました。当時、ローマの法律によれば皇帝に上訴した人をローマに護送する場合、事件の報告書と告訴の理由を書き送る必要がありました。

 ユダヤ総督に就任したばかりのフェストゥスに、先ずこの仕事が待っていたのです。彼はこの問題に着手したものの書き送るべき確かな理由も、内容も分からず困惑しておりました。

 「丁度その時、自分が総督に就任した、そのお祝いにやって来たユダヤの王アグリッパの訪問を受けたのです。彼ならユダヤ教の信仰や慣例について詳しいだろう、そう思ったフェストゥスはアグリッパ王にパウロを引き合わせ、彼との遣り取りを聞いて、送付すべき添付書類を作ろうとしたのです。


 今朝の聖書の箇所にあるパウロの弁明は、こうした事情を背景にしてなされたものです。実際は弁明という名を借りた伝道説教だというべきでしょう。

 パウロが殉教を覚悟してまで証ししようとした、ただ一つの願い、それは全ての人がイエス・キリストに繋がれること、全ての人が「イエスは主なり」と告白することでした。

 パウロは、総督や王の前で、自分はこの世の権力によって鎖に繋がれることは望まないが、神の言葉に繋がれること、神の言葉が出来事となったイエス・キリストに繋がれること、それこそが人間をあらゆる桎梏、鎖から解き放つものであることを訴え、そして全ての人がそのように生きることを勧めました。



 パウロは、かつてはイエスの名を、この世の権力機構の力を借りて圧殺しようと暴力を振るっていた人物でした。それはイエスの名に恐れを抱き、不安にかられたからなのです。

 そのイエスにパウロは捉えられたのです。それは罪の赦しの力でした。悔い改めを呼び求める力でした。

 人間の罪の為に苦しみ、死んで、甦られたイエス・キリストは今も尚、かつてのパウロのような者の迫害に身を晒しながら、神の許へ帰れと全ての人を招いておられるのです。このような招きに応えるのが悔い改めるということ、神に繋がれるということなのです。

 パウロは、この悔い改めを呼びかける者としてキリストによって捉えられ、召されたのです。

 フェストゥスに、「お前は頭がおかしい」と言われたパウロは、暴力に生きていた時代の自分の方がおかしかったのであって、この世の権威、権力を利用して人間を非人間的に扱う、鎖に繋ぐ、そういう生き方こそ、狂気そのものではないか、そのことに目を開かれ、人間が本当に人間らしい生き方がなされるのはキリストに繋がれることを措いて外はないと、宣言しました。



 今、私共が生きている世界も依然としてこの世の権威、軍事力、経済力をバックに他国を圧迫し、あるいは権威、暴力を自国の民を抑圧する道具として用いております。国際間の紛争を一切武力によって解決しないという崇高な理想を掲げた日本国憲法も歪められ、変えられようとしております。

 この世の力、権威、暴力をもって支配する、これに類したことは私共の周囲でも日常的に経験している所です。

 この狂気と混迷の時代から解放される道、闇から光への道、サタンの支配から解放される道、それは「神に立ち帰る」、その一点にかかっていると思います。

 自己を神格化し、驕り高ぶりを捨て、神の前に謙遜になる時、悔い改める時に、私共の進むべき道がさやかに示される、そう思うのです。



 たとえ圧倒的なこの世の権力、権威の前であっても「真実で理にかなった言葉」をもって、キリストの福音を大胆に語る者でありたいと願う者です。

 たとえ説くことが少しであろうと、拙くとも私共を「闇から光へ」と移して下さったキリストの恵みを全ての人に知って頂き、キリストを信じ、キリストに従う者となって頂きたい、そういう願いを持って神と人との前に立ち続ける者でありたいと思います。

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