←ホームへ

シロアム教会 礼拝説教要旨集
2009年4月 5日 12日 19日 26日 目次に戻る
 2009年4月26日 
「神に栄光を帰す」船水牧夫牧師
ローマの信徒への手紙16章25−27節



 私共が、このローマの信徒への手紙3章20節までに、パウロを通して教えられたことは、私共が神の前に徹底的に滅びる外ない罪人として、神の怒りの下に置かれているということです。天地を造り、万物を支配し、歴史を導き給う神に逆らい、神が私共に求めておられる愛と正義を踏みにじり、自分の腹を神とし、罪を重ね、その結果、神の裁きを受け、滅ぶ外ない存在、それが私共人類です。パウロはそのような人間がどのようにして救われるのかを、この手紙で説いているのです。

 3章21節、「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。」ここから人間の罪を赦す神の言葉が記されます。「ところが今や」、神の側から一つの宣言がなされます。それは神の御子イエス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦しの宣言です。それがキリストの福音なのです。私共はこの神の計り知ることのできない神の恵み、救いの御業を知って、ただ神に感謝し、神に栄光を帰する以外ないのです。そういう意味で、このパウロの手紙の最後に讃美の言葉、頌栄が置かれているのは、たとえそれがパウロの手になるものではない(多くの学者がそう考えている)にしても、ふさわしいことと言えます。



 「あなたがたを強めることがおできにな」(25節)る方、とあります。イエス・キリストの福音によってあなたがたは神から力付けられ、強くされ、元気にされ、励まされている、そのようにしてくださる神に栄光を帰そう、讃美しようというのです。私共の信仰が確かなものとされるのは、およそ人間の力によるのではない。神がキリスト・イエスの十字架の贖いによって救いを完成してくださった、それによって私共は神を信じ得る者とされ、力付けられ、強くされて堅く動かされない者となっているのです。ですから、その神に私共は賛美の声をあげ、栄光を神に帰するの外ないということになるのです。

 それがキリストの教会の根本の信仰なのです。キリストの教会が本当の意味で力があり、確固として揺るぎのない教会と言えるのは、教会の中の一人一人が「私の福音」、「私にとっての福音」と言えるものを持っているということにあるのです。一人一人が聖書を通して、教会の信仰を通して、ここに「私の福音」がある、ここに「私にとっての福音」があることを、そして、それによって生かされているという確信を持って生き、尚且つ、その恵み、感謝を証ししているかどうかにかかっているということになるのです。

 自分に栄光を帰するのではなく、神にのみ栄光を帰する、こういう信徒の群れが存在する教会こそ、真に強い、断固として揺るぎのない教会だと言えると思うのです。それが本当の教勢だと思うのです。教会員一人一人が、「私の福音」をもって、「神に栄光を帰す」生活をしているかどうか、そして互いに信仰の交わりをもって励まし合い、助け合い、祈り合っているかどうか、そこに全てがかかっていると思うのです。



 最後に、27節を見てみたいと思います。「この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように。」神は唯一の神であり、その神の独り子イエス・キリストが全き人間としてこの世にお生まれになり、十字架上での死をもって、私共の罪を代わって負ってくださった。その十字架の贖いによって神との和解がなされ、それによって私共は罪赦された者として神との交わりを回復し、永遠の生命を与えられた、これがキリスト教の信仰の確信です。それを信じさえすれば私共は救われるのです。ローマの信徒への手紙でパウロが明らかにしようとしたことは、これに尽きると思うのです。

 私共も又、パウロの手紙に、最後の文章を書き加えた人のように「私の福音」、「私にとっての福音」をしっかり持って、神に栄光を帰する生活を全う致したく願う者です。

目次に戻るページトップ
 2009年4月19日 
「イエス・キリストの福音の初め」船水牧夫牧師
マルコによる福音書1章1−8節



 本日の礼拝からマルコによる福音書をしばらくの間、丁寧に読み進めて参りたく思っております。福音書は新約聖書に4つありまして、これら4つの福音書に共通しているのは、主イエスが言われたこと、なさったことが教会の中で、語り伝えられていたのを編集し、一つの文書にした書物だということです。

 マルコ自身は地上のイエスと共にいたことはなかったでしょうが、イエスがなさった御業、御言葉を耳にして、言い尽くせない喜びに満たされて、「神の子イエス・きリストの福音の初め」と書き出したのだろうと思います。

 このマルコによる福音書の成立の事情について、アレクサンドリアのクレメンスは、次のような文書を残しております。「マルコによる福音書の成立は次のような次第である。ペトロはローマで会衆に言葉を宣べ伝え、聖霊において福音を宣言したのであるが、居合わせた多くの人々は、以前からペトロに従って来ており、ペトロの語ったことを記憶している者であるマルコに語られたことを記録するようにと勧めた。」おそらくそういうことだろうと思います。



 マルコは母マリアの信仰により若い時から信仰の道に進み、やがてパウロ、ペトロという二人の伝道者の傍らにいつも居て、ペトロからは主イエスの物語を繰り返し聞き、ペトロのためにギリシア語、ラテン語に通訳をし、又、パウロからは福音とは何かという、その真髄についての解き明かしの言葉を聞き続けた恵まれた人であったと言えます。

 マルコは主イエス・キリストの福音を繰り返し聞き、そしてその福音に生かされている喜びを、又、人々に証ししながら、この福音書を書いたのでしょう。主イエスが説かれた福音について記すだけではなく、主イエスこそがまさに福音そのものだという信仰に立って、マルコは主イエスのなさったこと、言われたことを、ペトロや他の弟子たちから直接聞きつつ、キリストの福音を記したのです。



 その喜ばしい音ずれの前触れとして洗礼者ヨハネの出現をマルコは、まず記しております。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」(2節b−3節)。神御自身が、道備えをする使者を遣わすというのです。

 マラキ書には、「見よ、わたしは おおいなる恐るべき主の日の来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす」(3章23節)とあります。エリヤは最後の救いをもたらす神御自身の到来の先駆けだというのです。このエリヤという預言者は、「毛衣を着て、革帯を腰に締めていました」、と列王記下1章8節に記されております。まさに洗礼者ヨハネは、エリヤと同じ格好をして、荒れ野に現われたのです。

 3節は旧約聖書にあるイザヤ書40章3節、第二イザヤと呼ばれる無名の預言者の文書の最初の言葉です。第二イザヤはイスラエルの歴史の中で最も悲劇的な時代であったバビロン捕囚の時代の預言書です。 バビロンに捕らわれた人々は望郷の想いに駆られ、帰国を切望しながら故国への遙かな道のり、そこに横たわる荒れ野を見るのです。その荒れ野に道をつけ、神がイスラエルに帰れる道を整えよう、そう叫ぶ声を聞いたのです。



 捕囚の民イスラエルと同じように、荒れ野のような罪と悲惨に満ちた世界にあって、救いを待ち望みつつ生きる私共全ての者を救うために、神がこの地上にお出でくださったという喜ばしい音ずれを、その先触れとして洗礼者ヨハネが立った、そのことをマルコは記すのです。

 人間の作る時代は、いつの時代も、どんな所でも悲惨で、苦しみと嘆きに満ちた世界です。そういう中で、「神の子イエス・キリストの福音の初め」、喜びの音ずれ、救いの音ずれを私共は聞くのです。

 マルコが私共に告げる福音は真実に喜びの音ずれ、救いの音ずれを告げ知らせる神の言葉です。私共はこれから一年以上かけて、じっくりとマルコによる福音書を学びたいと思っております。そしてマルコによる福音書を通してイエス・キリストによる救いと喜びに与かりたいと願う者です。

目次に戻るページトップ
 2009年4月12日 
「転がされた石」船水牧夫牧師
マルコによる福音書16章1−8節47節



 マルコによる福音書の最後の部分は16章の8節で終わっておりまして、〔 〕にして結び一、二として、9節以下に復活後の記事が記されております。なぜ〔 〕に入れて記してあるのか。それは9節以下は後の時代、第二世紀に書き加えられたものだというのが学者の一致した意見だからです。

 従いまして、「婦人たちは墓を出て、逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(8節)。ここでマルコによる福音書は終わっているのです。福音という最も喜ばしいこと、復活というキリスト教の信仰、その中心となっている事柄が、どうして「恐ろしかったからである」という言葉で終わっているのでしょうか。



 1、2節、「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」ここに登場する婦人たちはペトロをはじめ男の弟子たちが主イエスを見捨てて逃げ去ったのに、ゴルゴタの丘まで主イエスに従って行き、主イエスが十字架上で苦しみの内に死に、アリマタヤのヨセフの墓に、その遺体が葬られ、その墓穴に大きな石で蓋をされたのをしっかり見届けて帰って行きました。

 そして安息日の終わった日曜日の朝、誰が墓の石をどけてくれるだろうかと話し合いながら墓へ行って見ると、石は既に脇へ転がしてありました。「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である』」(5,6節)。墓を塞いでいた大きな石が転がされていたどころではない。主イエスのご遺体、そのものがそこには無かったのです。婦人たちの驚きは如何ばかりであったことでしょうか。



 この世の現実から見るならば、イエスは十字架刑に処せられ、完全に死んで墓に葬られ、墓には石でしっかりと蓋がされたのです。全てが終わったのです。

 しかしイエスの死という、この厳然たる事実に神が介入されて、主イエスは甦らされたのです。そして7節、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」こう婦人たちに言われたのです。しかし、8節「婦人たちは墓を出て、逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」

 婦人たちは、この主イエスが復活されたという事実を前にして、墓から逃げ去り、恐れおののき、震え上がり、正気を失って沈黙していたのです。これは何を意味しているのかという冒頭の問いかけに戻って行くのです。



 私共にとって死は厳然たる事実で、ただそれを受け入れることしかできません。墓に石で蓋がしてある、これは生きている者と死んだ者とを分ける断絶の徴です。しかしその石が転がされたのです。神が主イエス・キリストを甦らされたことによって、罪の故に死すべき人間がキリストの十字架の贖いによって罪赦され、死の絶対的な力、死の力である悪魔に勝利する者とされたのです。

 やがてガリラヤの地で復活された主イエスとの出会いを経験した弟子たち、そして婦人たちも、恐れから喜び、絶望から希望へと変えられ、今一度力強く立ち上がらされて、主イエス・キリストの福音は世界に広がり、今の時代へと受け継がれて来たのです。

 私共が主の名によって集まり、神を誉め称えて、日曜日ごとに礼拝を捧げ、祈りを合わせている所に、生ける復活のキリストが親しく臨んでくださるのです。私共のシロアム教会も又、生ける主と出会うことのできる今日のガリラヤなのです。ハレルヤ! 

目次に戻るページトップ
 2009年4月5日 
「死からの解放を待ち望んで」船水牧夫牧師
マルコによる福音書15章42−47節



 主イエスがゴルゴタの丘で十字架につけられたのは朝9時のことでした。昼の12時ころになりますと全地が暗くなり、午後3時に主イエスは声高く叫んでついに息を引き取られました。

 42節に、「既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であった」と記されております。ユダヤの安息日は土曜日です。安息日には労働が厳しく制限されておりました。ですから安息日になる前に、つまり日没までに、主イエスの遺体を引き取り、葬らねばならなかったのです。

 そこに現れたのがアリマタヤのヨセフという人です。43節、「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を引き渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。」主イエスの裁判から死に至るまでの一部始終を見届ける中で、神の国を待ち望んでいたヨセフは、主イエスの振る舞いに自らの信仰を突き動かされる深い感動を味わい、自分の身の危険も顧みず、主イエスの遺体の引き取りと埋葬を決意したのだと思います。

 44、45節、「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。そして百人隊長に確かめた上、遺体をヨセフに下げ渡した。」日没までわずかな時間しかありませんでしたから、まことに慌ただしい葬りであったと思います。



 ヨセフは、三日目にイエスの死体が墓から無くなるなどということは全く考えていませんでした。なぜならイエスは確かに遺体、死んだ体で引き取り、間違いなく布にくるんで、この自分の手で墓に埋葬し、墓穴に石を転がして蓋をしたからです。福音書記者も、主イエスの死は決して仮死ではない、本当に死んだのであることを、ピラトと百人隊長との問答や、葬ったという事実をもって明らかにしております。パウロも大切なこととして受け継ぎ、伝え、使徒信条でもはっきりと<「死にて葬られ、陰府に降り」と告白しております。ハイデルベルク信仰問答の問い41では、「なにゆえに主は葬られたのですか」との問いに、「まことに死んでしまった、ということを証しするためです」と答えております。

 ヘブライ人への手紙は、主イエスの死についてこのように記しております。「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあったたちを解放なさるためでした」(2章14、15節)。主イエスは全き人間として死の恐怖を味わって完全に死なれて、三日目に甦り給うたことによって、死の恐怖から私共を完全に解放してくださったのです。死を味わい、死より甦り給うた主イエス・キリストが私共と共にいてくださるのです。私共は主の甦りの命に与かって、共に甦らされるのでありますから何も恐れるものはないのです。死さえも恐れることはない、これが私共キリスト者の信仰の確信です。



 私共はこの主イエスの死と葬りの記事を通しまして、主イエスが紛れもなく私共と同じように死なれ、そして死の世界を滅ぼされて、三日目に死より甦り給うたという喜びの音ずれを、ヨセフと同じように、感謝をもって受け入れる者とされているのです。

 私共は孤独の内に死ぬのではないのです。主イエスと共に死ぬことのできる幸いに与かっているのです。生きるにも死ぬにも復活の主が伴ってくださっているのです。そのために主イエスは十字架の死を遂げられたのです。それによって私共は死の恐れから解放され、永遠の命に入る確かな望みを主イエス・キリストの死と復活によって確かなものとされたのです。そのことを畏れと感謝をもって、この受難週を過ごして参りたい、そして共々に主のご復活を祝う礼拝をここで捧げたいと思います。

目次に戻るページトップ