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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2010年9月 5日 12日 19日 26日 目次に戻る
 2010年9月26日 
「十字架の上で」加藤豊子牧師
マルコによる福音書15章16−32節



 今日の個所には「侮辱」「ののしって」と言う言葉が多く出てくる。暴言、ののしり、嘲りの言葉が、どれだけ主イエスを肉体のみならず精神的にもひどく傷つけたかを思わされます。ゲッセマネの祈りの後捕えらえて深夜、大祭司のもとで裁かれ、夜が明けるとピラトのもとで審判を受け、鞭で打たれた後にローマ兵たちより侮辱と暴力を受けられた…という主イエスの歩みを振り返ってたどる時、とても十字架の横棒を担いでゴルゴタまで歩いて行くことができないほど、弱り果てておられただろう主イエスの姿が想像されます。鞭打ち、十字架刑は大変残酷なものです。しかし聖書はこの主イエスの受けられた十字架の苦しみ、悲惨な状況を生々しく語っていません。ただ、鞭で打たれ、侮辱され、十字架につけられた…とその事実を淡々と語り、主イエスが黙ってそのすべてを受けておられることが示されています。



 「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった」(23節)主イエスは苦しみの杯を、人間のすべての罪の罰を受けるという苦しみの杯を、少しも薄めることなく受けとめておられます。旧約のイザヤの預言の通りに、軽蔑され見捨てられ、しかし口を開かずに黙ってほふり場にひかれる子羊の姿を、イエス・キリストの中に見ることができます。この主イエスの十字架を通して、神の救いの計画が成し遂げられたことを、聖書は私たちに語っています。



 キレネ人シモンは無理やり、意味もわからず主イエスの代わりに十字架を担ぐことになりました。彼の二人の息子の名前がそこに残されていることから、後に家族も共に信仰に導かれただろうと想像されます。また初代教会の信徒たちは、シモンの姿の中に十字架を負ってイエスに従うキリスト者の模範を見出したと言います。私たちも主の御足の後を歩く者へと招かれていることを覚えたいと思います。
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 2010年9月19日 
「十字架につけるために」加藤誠牧師
マルコによる福音書15章1−15節



 当時のユダヤの最高法院は罪人に対して死刑の判決は出すことが出来るが、その執行は出来なかったようである。それゆえ主イエスの裁判も二重構造である。



 マルコが伝えるのは、不正な証言を重ねた訴えに対して、何もお答えにならない主イエスをピラトが不思議に思った、という事である。10節には「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていた」とある。ローマの総督が最も警戒するのがいわゆるテロである。この一言で、ピラトは主イエスに対して独自の調査を行っており、彼自身では無罪の確信を得ていたことが推測できる。明らかな冤罪に対して沈黙を続ける主イエスをピラトが不思議に思っても無理はない。しかもこの法廷は、言わば土壇場の法廷である。クロであっても必死にシロを主張する犯罪者をピラトは数多く見てきたはずである。それ故に主イエスの沈黙は尚更不思議であったろう。



 主イエスの沈黙は「十字架につけろ」と叫ぶ群衆に対しても向けられていた。先週、私たちはペトロの呪いと誓いについて聴く時を持った。ペトロは神に誓い主イエスを呪ったのである。ユダヤ人にとって、神の呪いに相応しい処刑方法が十字架刑であった。「木にかけられた者は皆呪われている」(ガラテヤ3:13)神に呪われて死ぬとなれば、ユダヤ人である以上さすがの弟子たちも主イエスを見捨てるしかなかったのではないだろうか? 



 主イエスが沈黙されたのは、人の呪いの故ではない。十字架と言う神の呪いを受けるご意思の故に沈黙された。それが神の御心と信じて沈黙された。そしてここにこそ私たちの救いがあると、聖書は今日も語るのである。
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 2010年9月12日 
「誓いと号泣」加藤誠牧師
マルコによる福音書14章66−72節



 なぜペトロが主イエスの後に付いて行ったのかは不明である。闇に紛れて安全だと思ったのであろうか?しかし、寒さをしのぐためにあたった火は、彼の風貌を浮かび上がらせることにもなった。女中はしつこくペトロを問い詰め、ついには周囲にいた人たちも巻き込んで騒動になった。ペトロにしたら死地に飛び込んだような気がしたであろう。



 人々から「ガリラヤ出身」とまで言い寄られたペトロは呪いながら否定する。そして呪いの後には誓いを立てる。「呪いの言葉」とは尋常ではない表現である。通常、私たちは呪いとは縁のない生活を送っているのでははいだろうか。ペトロの時代にしても「呪う」という事が日常的に起きていたとは考えにくい。それだけ彼が自分の置かれた危機的状況を理解していたとも考えられるが、問題は誰を呪ったかである。二通りの考えがある。1つは自分を呪ったのである。イエスを主と信じた自分を呪ったのである。もう1つは主イエスを呪ったのである。言わば自ら進んで踏み絵を踏んだのである。主イエスが預言したペトロの言うところの「知らない」には神に誓うまでの「呪い」が込められた「知らない」であることをマルコは私たちに告げる。



 この場面はペトロしか知り得ない場面である。つまりペトロが福音書記者に語ったことが基になっていると考えられる。ペトロは自分の弱さとしてこの出来事を語ったのであろうか?弱さよりは自らの拭えない罪としてこの出来事を恥も外聞もなく語ったのではないだろうか。 鶏の鳴き声でペトロは主イエスの言葉を思い出す。そしてその場に悔い崩おれる。しかしここでペトロの物語は終わらない。十字架こそが彼の新しい出発となる。
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 2010年9月5日 
イエスは黙り続け」加藤豊子牧師
マルコによる福音書14章53−65節



 祭司長、長老、律法学者たち71 人で構成される最高法院に於いて、主イエスは裁判を受けられました。この裁判は、初めに結果ありきの裁きであり、主イエスを死刑にするための証拠を求め、次々と偽証人による発言がなされていました。偽りと、妬み、憎しみの眼差しの中で「イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。」(61節)とあります。それは、「ほふり場にひかれる子羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。」(イザヤ53:7)に示される苦難の僕の姿そのものであると言えます。



 イエスを殺そうとする企みが、人の手によって着々と進められているように見えますが、「これは、聖書の言葉が実現するため」(14:49)とあるように、実は神の救いの計画が神の手によって実現されていることを、この沈黙の主イエスの姿の中に見ることができます。大祭司は「お前は、ほむべき方の子、メシアなのか」と最後に問います。「ほむべき方」とは「神」を表す言葉であり、これは、主イエスに対し「お前は神の子なのか」と問うものでありました。それに対し、主イエスは「そうです」英語では「I am」「わたしがそれである」「わたしはある」とお答えになりました。まさにこれは旧約に於いて神がご自分のことを「わたしはある、わたしはあるという者だ」(出エジプト3:14)と言われた言葉につながります。これによって、自分を神と等しいものとし神を冒涜したとして、主イエスは死刑にすべき、と決議されました。



 私たちは「Iam 私はこういう者です」と自信をもって答えることができません。かつて、自分が何者なのか分からず不安の中をさまよう者でありました。しかし、「I am わたしはある」 と宣言される真の神に出会い、神に造られ、主イエス・キリストの十字架の愛に生かされている自分の存在を見出すことができたことを覚えたいと思います。
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