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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2010年10月31日 
「主の派遣」加藤豊子牧師
マルコによる福音書16章9−20節



 マルコによる福音書の最後、16章9−20節は、後に書き加えられたと考えられている、全体が括弧でくくられているようなところです。「恐ろしかったからである。」(8節)と婦人たちの恐れで突然終わっている福音書に、後の教会が補足として結びの部分を書き加えたと思われます。9節以下は、どこかで読んだことがあるような…という思いにさせられる記述が続いています。「マグダラのマリアに御自身を現された」(9節)という出来事はヨハネによる福音書20章以下に記されていますし、「彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中…」(12節)は、ルカによる福音書24章に記されている、エマオの途上の二人の弟子の姿に重なります。その先には使徒言行録の使徒の姿をを思い起こす記述もあります。



 この結びの部分は主イエスの復活後の出来事についての、寄せ集めの記述のように思われますが、ここに繰り返し強調されているのは「信じなかった」「聞いても信じなかった」という弟子たちの姿です。マリアの言葉を聞いても、二人の弟子たちの言葉を聞いても信じなかった弟子たちが、ついに主イエスご自身からその不信仰とかたくなな心をとがめられています。



 福音を、キリストの言葉を聞くことなしに、信仰は生まれません。聞いたら信じられるのか…「聞いて信じる」ことの難しさを私たちは知っています。聞いても、そう簡単には信じられない、かたくなな心をもっているのが私たち人間の姿です。それでも主イエスは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15節)と私たちを遣わされます。使徒言行録に記されているように、心を合わせて祈るところに神の力は働き、聞いて信じる者とされる、神の恵みが与えられることを覚えたいと思います。
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 2010年10月17日 
「墓を後にして」加藤誠牧師
マルコによる福音書16章1−8節



 死は動かし難い現実である。主イエスの時代も私たちの時代も。3人の女性たちの当面の問題は、主イエスの死ではなく、彼女たちでは動かすことの出来ない、墓の入り口を塞ぐ非常に大きな石であった。 自分たちの手には余る石がすでに転がされていたことに驚き、更に見知らぬ若者の存在に気がついて、彼女たちは驚愕する。しかし、その若者が語った内容は、主イエスを心から愛していた婦人たちをも震え上がらせるものであった。

 「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない・・・」と言われた女性たちは、正気を失い恐怖する。



 「死と太陽を人は直視することは出来ない」と、どこかの国のことわざに言われている通り、たいていの人には「死」は恐怖であろう。婦人たちは主イエスの体に油を塗ろうとしていた。もう一度、十字架の傷跡と主イエスの死に直面し、それを受け入れようとしていたとも言えよう。勇気を振り絞って墓に来たのではないだろうか?あるべきものがあるべき場所にない時、人は当惑する。ましてや動くことのない死体である。さらに若者の言葉によって神の側からの事実が明らかにされ、弟子たちへの伝言まで依頼されてしまう。「墓を出て逃げ去った」婦人たちの気持ちが少し分かるような気がする。



 主イエスの復活を誰も信じなかった。十字架が罪と死に対する勝利であることを誰も信じなかった。本来、不信の徒でしかない我が身である。死に恐怖するしかない我が身である。しかし、死に勝利する復活が示された。震え上がるような福音である。神の前に跪くしかない福音である。
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 2010年10月10日 
「墓に葬られ」加藤豊子牧師
マルコによる福音書15章42−47節



 主イエスが十字架につけられ、そして死にて「葬られた」と言うことは、私たちが毎週礼拝の中で告白する使徒信条の中に記されています。またパウロもTコリント15章3節以下で、伝えたい最も大切なこととして「私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと…」と主イエスの葬りが忘れられることなく記されています。この世に誕生し、それぞれの人生を生きて、やがては墓に葬られる、それは、すべての人がたどる道と言えます。神の子でありながらまことの人となられた主イエスは、人として私たちと同じ歩みを、死んで葬られるという道をたどって下さったことを思います。



 葬り…それは本来家族、親しい人の手によってなされるべきものでしょうが、ここには主イエスの家族も、側にいた弟子たちの姿もありません。遺体を引き取って埋葬したのは「アリマタヤ出身のヨセフ」という人でした。マルコによれば身分の高い議員であり、神の国を待ち望んでいたとあります。彼にとって主イエスの遺体を引き取るということは、自分の身分や地位を危うくすることにもつながり、大変勇気のいることでした。日没まで後数時間、もうすぐ安息日が始まるという限られた時間の中で、ヨセフの手により亜麻布にくるまれて、おそらくゴルゴタの丘からそう遠くはない墓の中に、主イエスの遺体は納められました。



 「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」(41節)どのような思いでその墓を見つめていたのでしょうか。悲しみと絶望、行き詰まりが感じられる光景、行き着くところまで来てしまったという思いが感じられます。しかし、私たちはその墓の向こうに、復活の希望が備えられていることを知っています。たとえ先の見えない、行き詰まるような状況に直面しても、主にあっては希望の光が備えられていることを覚えたいと思います。
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 2010年10月3日 
「最後の叫び」加藤誠牧師
マルコによる福音書15章33−41節



 4つの福音書は主イエスが十字架上で7つの言葉を残したことを伝える。しかしマタイとマルコが言葉として伝えるのは「エロイ(マタイではエリ)、エロイ、レマ、サバクタニ」である。他の6つの言葉が重要でない訳では決してないが、なぜ2つの福音書が1つの言葉のみを伝えるのかは、私には謎である。しかも、マルコはその主イエスの言葉に応答するかのように百人隊長の言葉を伝える。「本当にこの人は神の子だった」という百人隊長の言葉を素直に受け取る人がどれだけいるであろうか?



 十字架とは主イエスの言葉の通り、神に見捨てられることである。神に呪われることである。百人隊長は恐らく彼の職務上、主イエスの死を近くで見届けなくてはならない立場であったろう。そこで見たのは神から見捨てられた男であった。「なぜわたしをお見捨てになったのですか」という主イエスの言葉は十字架の本来の姿を示す。ところがマルコは神に呪われ、神に見捨てられた男に神の子としての姿を見た百人隊長の事を記す。これをどのように考えれば良いのだろうか? 39節では「このように息を引き取られたのを見て」とある。死の直前、大声を出されたとあるが、ルカでは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」とある。百人隊長は見捨てられても「わが神」と呼び、今わの際にても「父よ」と呼ぶ主イエスの姿に「神の子」としての姿を見たとしか考えられない。



 主イエスは神の子である。しかし、聖書は神の独り子が私たちと同じ人になって下さったと語る。それは十字架で死ぬためであった。人として死ぬ姿の中に神の子を見たとすれば、この告白も神の導き以外何ものでもない。
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