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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2013年3月31日 
「世の終わりまで」加藤誠牧師
マタイによる福音書28章16−20節



 マタイが伝える主イエスの最後の言葉は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:20)である。これは主イエスがインマヌエルの神であることを示す。同じ内容の言葉をマタイは1章23節で「その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は『神は我々と共におられる』という意味である。」と伝える。つまりマタイによる福音書はインマヌエルに始まりインマヌエルに終わると言っても過言ではないであろう。



 シロアム教会は教団の教会ではあるが、伝統の上ではメソジストの流れの中にある。メソジスト運動を始めたのはジョン・ウエェスレーであるが、彼の晩年の言葉に「自分の人生で最善なことは『神が我々と共におられる』ことだ」とある。マタイで最初にこの言葉を聞いたのはヨセフである。彼は悩みと疑いの中にあった。その彼を信仰に導いた言葉である。マタイの最後の章で、弟子たちは主イエスの復活を聞き、指示通りガリラヤに行きながらも疑いに中にある。彼らを復活の信仰へと導いたのは主イエスの言葉である。



 疑いの中にある弟子たちを信仰へと導き、主イエスは彼らに、そして教会に使命を与える。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」との命令である。この使命にキリストの教会は生きるのである。もとより弟子たち以上に私たちは不完全なものである。しかし主イエスは私たちにも御言葉を通して「主がいつも私たちと共にいてくださる」ことを示し励まして下さる。



 シロアム教会が担任教師の齋藤朗子先生をドイツのケルン・ボン日本語教会に送り出して一年が経つ。齋藤先生ご夫妻の働きを覚えて祈ることも、私たちがこの主の使命に生きていることの証となるのではないだろうか。
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 2013年3月24日 
「憐みを求めて」加藤豊子牧師
マタイによる福音書15章21−28節



 カナンの女と言われる一人の異邦人女性に向かい、主イエスは「あなたの信仰は立派だ。」(28節)と言われました。口語訳聖書では「あなたの信仰は見上げたものである。」と書かれています。英語では「great」と表現されていますが、この「立派だ」という言葉の原意は「大きい」という意味だそうです。主イエスから、立派だ、大きいとほめられたその信仰とは、どのようなものだったのでしょうか。



 親にとって我が子が苦しみ傷ついている姿を見ることほど辛いことはないでしょう。助けを求めて叫んだこの女性は、主イエスのことを「主よ。ダビデの子よ」と呼んでいます。彼女は異邦人でありながら、ユダヤ人の信じる唯一の神を信じ、またダビデの子と呼ばれるメシアが来られることを待ち望んでいたと思われます。



 主イエスは「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」という言葉をもって彼女を退けます。さらに、異邦人は子どもではなく子犬の立場であるということまで言われます。しかし彼女は「主よごもっともです。」とその言葉を受け止めつつ、尚も謙虚に主の助けを求めました。



 彼女の信仰、それはどこまでも神の深い憐みに信頼している信仰ではないでしょうか。主イエスの沈黙、また退けるような言葉に出会ってもひるむことなく、真の神を神として信じ、憐み深い神は、助けを求めるすべての者に豊かに恵みを与えてくださることを信頼し、期待して祈り求めています。 私たちも「わたしを憐れんでください」と心から主に願う者でありたいと思います。
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 2013年3月17日 
「何が人を汚すのか」加藤誠牧師
マタイによる福音書マタイ15章1−20節



 1節にはファリサイ派と律法学者たちがエルサレムから来たことが記されている。つまりここでのやりとり単なる律法の解釈をめぐっての事ではない。初めから彼らは咎め立てするつもりであり、主イエスは怒りを込めて反論される。



 主イエスは舌鋒鋭く彼らを「偽善者」と呼ぶ。それは神を敬うふりをして自分の都合を優先させるからである。説教の準備をする時に、自分の言いたいことが先にあって、それを補助するような聖書の言葉を探すことが駆け出しのころにあった。特に単発的な説教奉仕の時であった。御言葉を御言葉として聞くことの厳しさをこの箇所は私たちに教える。



 ここで問題になっているのは衛生的な面での清さではなく、神の前での清さである。言い換えると何が神の前での「罪」なのかである。主イエスがここで見ているのは行為としての「罪」というよりは、むしろ私たちの心に生じる「罪」である。「人を汚す」という言葉が数回繰り返されている。私たちの心に生じる悪しき思いが、私たちの口から出る時に、それが神の目には人を汚すのである。その意味では「汚れて」いない人はいない。



 次週から受難週に入ります。この時期、教会では主イエスの十字架に目をとめて日々を過ごします。主イエスは私たちの罪を全て神の前に許して下さるために十字架におかかり下さいました。その罪とは過去の行為だけではありません。心の生じ、心から出てきて人を汚す「罪」も神の赦しの中にあります。だからこそ「その心はわたしから遠く離れ」ることのないように、御言葉を御言葉として聞きつつ歩んでゆきたく願います。
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 2013年3月10日 
「主の平安」加藤豊子牧師
マタイによる福音書14章22−33節



 五千人の給食のすぐ後の出来事です。主イエスは弟子たちを強いて船に乗せて先に行かせ、また群衆を解散させて、ただ一人祈るために山に登られました。ヨハネによる福音書を見ると、「人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り…」とあります。驚くべき奇跡を目の当たりにした人々が、ローマに対抗するイスラエルの王として主イエスを担ごうとしていたのでしょう。主イエスは一人静かに神の前に祈り、ご自分に与えられたメシアの使命を確認される時を持たれたのではないかと思われます。



 弟子たちはガリラヤ湖の真ん中で、嵐に見舞われていました。恐らく一晩中風に悩まされ、イエスさま、と叫び続けたことでしょう。主イエスは湖の上を歩いて近づいて来られました。しかし弟子たちにはそれが主イエスだとは分かりません。「幽霊だ」と言って恐怖の叫び声をあげる弟子たちに向かい、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と声をかけられました。



 「わたしだ。」ギリシャ語で「エゴーエイミー」。英語では「Iam」という言葉です。この言葉から、出エジプト記に於いてモーセに名前を問われた神が「わたしはある。わたしはあるという者だ。」と答えられたことを思い起こします。嵐の只中にあっても「わたしはあるという者だ」と宣言なさる神がそこにいてくださることを、思わされます。



 教会はその歴史の中で、嵐に漕ぎ悩む小舟の姿を、迫害、困難の嵐に悩まされる教会の姿に譬えてきました。主イエスの復活後、初代教会のキリスト者たちは、激しい迫害の嵐に悩まされる中で、主イエスがそこにいてくださらないことに不安を感じ、絶望や孤独が心を支配するようなこともあったでしょう。2000年の時を経て、今日の教会も嵐の中で漕ぎ悩む小さな船のようかもしれません。私たち一人一人の人生に於いても、様々な嵐を経験します。波の大きさに目を奪われたペトロは沈みそうになりました。しかし、助けてくださいと叫んだペトロの目は、真っすぐに、主イエスを見つめていました。「わたしはある。」と言われる方が、私たちの手もしっかりと握ってくださり、信じて歩むようにと励ましてくださることを覚えたいと思います。
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 2013年3月3日 
「主イエスの祝福」加藤誠牧師
マタイによる福音書14章13−21節



 4つの福音書に共通するこのお話の中で、マタイが強調しているのは、16節「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」であろう。原文では「あなたがた」が強調されている。

 そもそも群衆が勝手に主イエスの後を付いてきたのである。それは13節の記述にあるように主イエスが望んだことではなかった。しかし主イエスは限りなく「深い憐み」により病人をいやされた。更に食べ物の世話までしようというのである。これにはさすがの弟子たちも半ばあきれ気味に「ここにはパン5つと魚二匹しかありません」と答えたのではないだろうか?



 2月24日の午後、2番目に参加した南インド合同教会の教会は開拓途上であった。会衆はダリットと呼ばれる最下層の人たちである。迷信と病と貧困が体の隅々にまで行き渡る所での開拓伝道に、南インド合同教会では2000人の信徒宣教師を派遣している。激しく長い讃美の間に次々と証がなされ、祈りの課題が訴えられ、それに応えて祈りがささげられた。礼拝が終わり、人々が紙袋に包んだものを大事そうに持って帰る。袋の中身は昨年洗礼を受けた13人のメンバーが持ち寄ったカレーであった。勿論私たちもいただいた。日本では絶対に食べることの出来ないカレーである。祝福の詰まったカレーである。この教会にお金はなく、南インド合同教会にもお金がなく、日本基督教団にもお金がなく、私たちの教会にもお金がなく、そして弟子たちにもお金がない。(多分)



 しかしそれでも主イエスは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と命じられる。私たちは圧倒的な主の憐みが自分に向けられたことは信じるが、他者にも向けられていることを認めたがらない。主イエスに促され、弟子たちは持っている物を差し出す。そこに主イエスの祝福さえあれば他に必要なものはない。
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