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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2013年12月22日 
「喜びの到来」加藤誠牧師
ルカによる福音書2章8−20節



 聖書の世界では羊飼いは見慣れた?職業である。アブラハムがそもそも羊や牛をたくさん飼っていたし、モーセにいたっては乱暴な羊飼いから娘を守ったことによって自らも羊飼いとなった。

 主イエスの時代、羊飼いは社会の底辺に属していたと言われている。新鮮な水や草を求めて移動する羊と共に生活をすれば、厳格に律法、特に安息日を守ることが難しかったであろうことは想像に難くない。当時のユダヤの人々の考える「罪人」に一番近いイメージの人が羊飼いであったとも言えると思います。



 救い主の誕生の出来事が、他の誰でもない羊飼いたちに伝えられたことには神様からのメッセージがあります。それは一番神様から遠いと思われていた人にこそ、救い主の誕生が真っ先に知らされた、知らされる必要があったということです。



 羊飼いたちは天使に与えられたヒントを手掛かりに「飼い葉桶」に寝かされている主イエスを探し当てます。時間が記されてはいませんが、通常人を訪問する時間ではなかったと思います。人々が羊飼いの話を「不思議」に思う中、マリアは「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らして」いました。クリスマスの出来事は全ての人にとって不思議です。本来あり得ないような話です。マリアは「思い巡らす」人でした。教会が毎年クリスマスの礼拝を守るのも、「思い巡らす」ためです。主イエスの誕生の出来事を思い巡らし心に納めて新しい年に向かって歩んで行きたく願います。
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 2013年12月15日 
「飼い葉桶に」加藤豊子牧師
ルカによる福音書2章1−7節



 皇帝アウグストゥスの勅令により、住民登録のためヨセフとマリアはナザレの町からベツレヘムへと向かいました。身重のマリアを連れての片道4日はかかる旅は、決して楽なものではなかったはずです。さらに、旅先での出産。どうしてこんな時に、と思わずにはいられないような出来事でした。しかし、「マリアは月が満ちて」(6節)とあるように、それは神の時が満ちた時であり、神の救いのご計画の中での出来事でありました。



 「宿屋には彼らの泊る場所がなかったからである。」(7節)

 クリスマスは一年中で一番華やかな明るさに溢れた季節です。しかしその中で、自分の居場所を見つけることができずに、より一層孤独な思いを深めている人々がおられることを思わされます。主イエスご自身、居場所のない辛さ、拒絶される痛みを知っておられるお方です。救い主は泊る場所、居場所を見つけられないと思う人々のところに生まれてくださったのです。



 幼子イエスは、飼い葉桶に寝かされました。それは石をくりぬいて作られた非常に粗末なもので、生まれたばかりの赤ちゃんを寝かせるのに相応しいとは言えない場所です。飼い葉桶は貧しさの象徴であり、権威を振りかざすようなお方ではなく、自分を低くして仕える者として来てくださった主イエスの姿を示しています。

 また飼い葉桶は、とても人には見せられない、闇に覆われたような私たちの心を表しているのではないでしょうか。そここそ、主イエスがわたしたちと出会ってくださる場所であり、救い主はわたしたちの貧しい心に宿り、命と平和を与えてくださるお方であることを覚えたいと思います。
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 2013年12月8日 
「時が来れば」加藤豊子牧師
ルカによる福音書1章5−25節



 祭司ザカリアとその妻エリサベトにとって、子どもが与えられることは長年の切なる願いだったことでしょう。若い頃は一生懸命、切に願い求めたことでしょうが、すでに二人は年を重ねていました。子どものことについては祈らなくなった、かつて祈りをささげたことも忘れてしまったような、そんな時に「あなたの願いは聞き入れられた」という天使の言葉を聞きます。ザカリア(神は覚えたもう)という名前の意味のごとく、神は、ささげられた祈りを覚えておられます。たとえわたしたちが忘れてしまったとしても、覚えておられるのです。そして神のご計画の中で、それぞれに答えてくださるのではないでしょうか。



 ザカリアは天使に言われた通り、口が利けなくなります。おそらく耳も閉ざされたのではないかと思われます。子どもが生まれるまでのおよそ十カ月の沈黙の期間。それは信じることのできなかったことに対する罰というよりも、ただひたすらに心を神に向ける、幸いな神との交わりの時となったのではないでしょうか。ザカリアは与えられた神の言葉を黙想する中で、我が子の誕生を喜ぶだけではなく、イスラエルの民が長年待ち望んできたメシア、救い主の誕生の良き知らせを確信したのだと思います。



 与えられた子どもの名前を問われた時、ザカリアは「この子の名はヨハネ」と答えました。その途端、彼の口から神への讃美がほとばしり出たのです。ザカリアの讃美はほめたたえよ、という言葉で始まり、神の憐みの心によって光が与えられ、その光が暗闇と死の陰に座している者たちを照らすことがうたわれています。アドベントの時、わたしたちの心にもクリスマスの喜び、讃美が溢れますように。
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