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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2014年6月29日 
「キリストにある戦友」加藤誠牧師
フィリピの信徒への手紙2章19−30節



 パウロが「戦友」という非常に珍しい表現をしたエパフロディトについては、年齢、職業、家族構成などの個人情報は記されていません。その代わりパウロは「戦友」の他に「兄弟」、「協力者」「使者」、「奉仕者」という表現を用いて、エパフロディトと彼を派遣したフィリピの教会に限りない感謝を表します。

 もう少し読み進めると、エパフロディトが獄中にいるパウロのもとに着いてからの消息が記されています。「ひん死の重病」にかかり、しかもそれをフィリピの教会が知ったことで心苦しさを覚えています。「重病」にかかった理由をパウロは記しませんが、2000年前に他国に旅をするのは、それこそ命がけであったはずです。



 教団は80名ほどの宣教師を受け入れ、20名弱派遣しています。国内の牧師の男女比に比べると、海外へ派遣される宣教師の女性の比率は高いという現実があります。環境適応能力が女性の方が高いのだと思います。



 話をエパフロディトに戻すと、彼はフィリピから派遣された目的を十分に果たす前に病に倒れたのです。それゆえ「心苦しく」思っているのです。それは私たちにも起こり得ることではないでしょうか?皆が皆、目的を果たせるとは限りません。成功することより失敗することのほうが私には多いです。

 パウロは十分な成果を上げられずにフィリピに帰ることになったエパフロディトを「大いに歓迎し」「敬いなさい」と命じます。キリストの教会は成功主義では決してありません。成果主義でもありません。むしろ倒れそうな人を包み、受け入れ、励ますのです。それはキリストの眼差しがそうだからにほかならないのです。
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 2014年6月22日 
「喜びに溢れて」加藤豊子牧師
フィリピの信徒への手紙2章12−18節



 「従順であるように」これは、他人から言われると少々反発を覚える言葉ではないでしょうか。しかしパウロはフィリピの教会の信徒達に従順であるように、と勧めます。ここで示されている従順、それはキリストの従順に倣うようにということであります。6節以下のキリスト賛歌の中で、「十字架の死に至るまで従順でした。」(8節)とキリストの姿が示されています。その全生涯を通して、神のみこころに対して従順であったキリストの姿に倣うことが求められているのです。



 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」(14節)口語訳では「すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。」とあります。不平や理屈を言う、つぶやくという姿勢は、従順と正反対の姿勢であると言えます。神のなさることに対して納得がいかない、自分の考えや願い、理想とする姿が神のなさることと一致しない時、それは不平不満、つぶやきとなって現れるのではないでしょうか。そう考えると、私たちは実につぶやきやすい者であります。



 「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」(15,16節)

 パウロの時代と同じく、現代も曲がった邪悪な時代であります。パウロは、この世にあって、星のように輝きなさい、と命令しているわけではありません。私たちがつぶやく者ではなく、キリストの姿に倣って歩むならば、それは小さくても、星のように輝く存在なのだとパウロはフィリピの信徒達を励ましているのです。そして、どのような時も、与えられている命の言葉が私たちの支えとなることを心に留めたいと思います。
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 2014年6月15日 
「キリストに倣いて」加藤誠牧師
フィリピの信徒への手紙2章1−11節



 「あなたがたに幾らかでも」とパウロは2章1節でフィリピの信徒に語り、問うが、「幾らかでも」とは少々過激な表現に私には思える。次に言われている「励まし」とか「愛の慰め」とかが、本来は人間に属するものではなく、神から与えられるものだからである。人間の罪について、深く考察せざるを得なかったパウロだからこそ、神の与える「励まし」「愛の慰め」を信じ、フィリピの信徒たちにキリストにあって一つになるように勧めるのである。



 6節からは当時の教会で歌われていた賛歌であると言われています。「讃美」は伝道であり、教育であったと思います。先日見た大河ドラマでは、処刑の直前に讃美が歌われていました。戦国時代、わずか数十年でキリスト教人口は当時の人口の約5パーセントを占めるようになったという説を読んだことがあります。当時の民衆がみな字を読めたわけではありません。演劇と讃美が当時の教会の伝道の武器だった思います。



 昨年インドを訪れた時、チェンナイの二つの教会で説教をしました。どちらも共通していたのは日本基督教団の教会とは比較にならないくらい(多分)讃美する時間が長い事でした。特に差別の最先端にある教会では、教育の面でも差別がありました。つまり文字の読める人たちが全員ではないという事です。繰り返し繰り返し讃美することで主イエスへの信仰がしみ込んでいくような気がしました。読むことに比重が偏り、聴くこと、讃美することが軽いならば、それはバランスの取れた信仰生活と言えるのでしょうか?



 当時のフィリピの教会でどのように礼拝が守られていたのかは分かりません。讃美を大切にし、人を大切にし、何よりも主イエスの御心を求めて一致する教会を、パウロは目指していたのだと思います。
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 2014年6月8日 
「キリストのために」加藤豊子牧師
フィリピの信徒への手紙1章21−30節



 「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。」(20節)

 パウロという人物は、自分の生きる目的、希望というものが、大変はっきりしていた人であったと思わされます。ただキリストが崇められるように、それがパウロの心を貫いている思いでした。キリストと共にいることを熱望しているパウロにとっては、この世を去ることさえ望ましいことと受けとめられています。



 「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。」(27節)

 これは、パウロのフィリピの信徒達に対する勧めの言葉です。キリストの福音にふさわしく生活するとは、どのような生き方のことでしょうか。手紙の中には「戦う」と言う言葉が何度か出てきます。キリストの福音にふさわしく生活するとは、実は戦うことに向き合う生き方であるとパウロは語っています。

 「反対者たちに脅されてたじろぐことはない」(28節)とあるように、当時も教会に対する外からの圧力がありました。真の福音とは異なる教えが入り込んでくる恐れもありました。また様々な誘惑、試練の中で信徒達一人一人の心の中にも、信仰を保ち続けるための戦いというものがあったはずです。外からのまた内にある戦い、それは今私たちが直面しているものでもあります。



 「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており…。」(27節)

 パウロはさらに、信仰の戦いというものは一人で向き合うものではなく、同じ信仰に生きる者が心を合わせて共に戦うものであることを示しています。聖霊降臨日は教会の誕生を記念する日です。また今日は、シロアム教会創立66周年記念日でもあります。教会がキリストの福音にふさわしく生きるようにと招かれていることを、この日共に覚えたいと思います。
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 2014年6月1日 
「主があがめられるように」加藤誠牧師
フィリピの信徒への手紙1章12−20節



 当時の教会に所属する人すべてがパウロの投獄を悲しんでいたわけではないことが15節を見ると分かります。日本もかつては牧師が(一部ですが)投獄された時代がありました。私の初めての任地である丸の内(和歌山)教会の主任、尾鼻先生がそうでした。取り調べた検事も最後には「キリストも神でいいから天皇も神と言ってくれ」と頼んだそうです。戦後、拘置所から教会に来た人もいたと聞きました。



 パウロへの弾圧は、教会の力を弱めるどころか、却って人々は勇敢に御言葉を語るようになった、とパウロは語ります。それは又どんなにパウロは励ましたことでしょう。当時の教会の中には、不純な動機で伝道する人たちがいたようです。パウロは大変おおらかに「口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから」(18節)と語りますが、教団の世界宣教幹事としては、海外からのいわゆる異端の侵入にも気を使っています。



 パウロの願いは20節にあるように「キリストが公然とあがめられる」事です。そのためにはまず自分が「どんなことにも恥をかかず」と語ります。以前の口語訳聖書では「恥じることなく」と訳されていましたが、こちらのほうがしっくりくる訳だと思います。



 先日、母校の神学校で授業をする機会がありました。舎監が昔牧会していた教会に学生時代に派遣されていましたので、一番辛かった思い出として、駅前での単身の路傍伝道の事を話しました。最後まで恥ずかしさは消えず、苦手でしたが、キリストが「あがめらるためには」何でもやる気概を持つ訓練だったと学生たちに語りました。教会はそのために存在しています。
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