シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2014年12月 | 7日 | 14日 | 21日 | 28日 | 目次に戻る |
2014年12月28日 |
「一筋の心」加藤誠牧師 詩編86編1−13節 |
◇ ダビデはこの詩の中で繰り返し「魂」という言葉を用いています。13節では「深い陰府からわたしの魂を救いだしてくださいます」と神を賛美します。ダビデが主イエスによる復活の希望を抱いていたのかどうかは分かりませんが、彼の魂が陰府に捕えられてしまったかのように思える経験したことは、サムエル記などを読むと想像することができます。絶望するしかない状況の中でも神は彼を救い出す力をお持ちであることを知っています。 ◇ そういうダビデだからこそ「一筋の心を私にお与えください」と11節で祈ります。「一筋の心」とは心が分裂していない状態です。心が一つである状態です。新約聖書ではレギオンという悪霊に取りつかれた男が登場します。レギオンとは当時の6000人のローマ軍を表す単位です。つまり自分の心が切れ切れに分裂していると告白しているのです。私たちの心が分裂するとしたら、善と悪の間で分裂することがあり得ます。仕事と情の間で分裂することもあるでしょう。どの道を選びとれば良いのか迷って分裂することもあります。 ◇ ダビデは謙虚に「あなたの道をお教えください」と祈ります。彼は迷いなく主の道を歩みたいのです。なぜならそこに「喜び」があることを知っているからです。「あなたの僕の魂に喜びをお与えください」とダビデは祈ります。彼は自らの魂が陰府に捕えられたかのごとき経験をしました。同時に彼は神こそが彼の魂を生かし、喜びを与える存在であることを知っているのです。 「あなたの慈しみはわたしを超えて大きく」と彼は讃美します。神の「慈しみ」は私たちの存在を超えて大きいのです。私たちの罪、弱さを超えて大きいのです。 |
2014年12月21日 |
「真の王の誕生」加藤誠牧師 マタイによる福音書2章1−12節 |
◇ ヘロデ王はローマ帝国によって立てられた王である。ローマ帝国の後ろ盾がなければ、純粋なユダヤ人ではないヘロデがエルサレムを治める王となることをユダヤ人たちが承認することはあり得ない。それ故に占星術の学者たちの「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」という言葉は、決して聞き逃すわけにはいかないものであった。 ◇ それにしてもヘロデ王はともかくとして、祭司長や律法学者、エルサレムの住人は何故ベツレヘムへ行かなかったのであろうか?ヘロデ王に対する恐怖があったであろうが、一人ぐらい学者たちと行動を共にする人がいても不思議ではないように思える。 「ユダヤ人の王」についてはしばらく前から礼拝で取り上げているサムエル記の主題の一つと考えられる。初代のサウル王が失敗したのは、神の言葉を軽んじたからである。ダビデも大きな失敗をするが、彼は神の言葉を聞く耳を持っていた王として描かれている。「ユダヤ人の王」こそは誰よりも神の言葉に聴き従う存在でなければならない。それが聖書が示す「ユダヤ人の王」である。 ◇ 「ユダの地、ベツレヘム」と聖書の言葉が示されながら、誰一人かの地を訪れようとはしない。それが聖書の描くクリスマスの現実である。そればかりか、ヘロデ王は主イエスの殺害をも計画する。 ◇ 異教の地から来た学者たちは、星の導きの助けもあり大きな犠牲を払ったであろう旅の目的を果たす。贈り物として献げられた黄金、乳香、没薬をどのように彼らが準備したのかは分からない。一つ言えるのは献げることが彼らの喜びであったことである。クリスマスの本質は献げることにある。まず神がその独り子を私たちのために献げてくださった。学者たちの贈り物はその事に呼応している。献げ尽くすために来られたのが真の「ユダヤ人の王」である。 |
2014年12月14日 |
「慰めの言葉」加藤豊子牧師 イザヤ書40章1−8節 |
◇ 「慰めよ、わが民を慰めよ。」(1節)預言者イザヤと通して語られた、神の慰めの言葉です。イエス・キリスト誕生から500年以上も前のこと、イスラエルは南北に分裂し南ユダ王国の多くの民は、捕えられてバビロニアに連れて行かれました。このことは、神に背き続けたことの結果であり、捕囚の期間は50年にも及びました。捕囚の民として異国の地で暮らす苦しみは、体験しなければわからないものでしょう。もう、自分たちは神に忘れられてしまったのではないか、そう嘆き不安に思う人々に、苦しみの時は終わった、民を慰める時がきたのだ、と慰めの言葉がイザヤを通して語られています。 ◇ ヘンデルのメサイアは、イエス・キリスト誕生の預言と到来、受難、復活が歌われた宗教曲ですが、最初の序曲に引き続いて歌われるのが、このイザヤ書40章1節の「慰めよ」という言葉です。テノールが優しく美しく歌い出します。56歳だったヘンデルは、当時健康を害し仕事にも行き詰まり、人生の中で一番暗く苦しい時を過ごしていたといいます。彼は時として、祈りと共に涙を流しながら昼夜を問わず作曲に没頭し、260ページに及ぶ楽譜を僅か24日間で書きあげたと伝えられています。 ◇ 慰め(英語ではcomfort)はドイツ語ではtrost(トロースト)と言い、内的な強さを意味する言葉だそうです。聖書の語る慰めは、ただの優しい言葉、耳に心地良く響き私たちの心情を慰めるだけの言葉ではなく、私たちに内なる強さを与えてくれるもの、どのような苦しみ悲しみの嵐の中でも立つことのできる、揺るぎなき土台を与えてくれるものです。イエス・キリストの到来は私たちにとって真の慰めであり、主イエスご自身が私たちの慰めとなってくださいます。クリスマスは大いなる慰めの日であることを覚えたいと思います。 |