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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2017年10月 1日 8日 15日 22日 29日 目次に戻る
 2017年10月15日 
「少年イエス」加藤豊子牧師
ルカによる福音書2章41−52節



 「幼子はたくましく育ち知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」(40節)

 「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」(52節)

 子育てに関わる者にとっては、子どもたちがこのようにあってほしいと願わされる聖句でもあります。幼稚園、保育園の園の目標に、この聖句が掲げられているところも多いでしょう。また旧約聖書に出てくる少年サムエルも、「すくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。」とその成長の姿が同じような言葉で表現されています。このことは、主イエスが何か特別な子ども時代を過ごされたわけではなく、私たちと同じように人としての成長過程をたどられたのだということを、示しているのではないでしょうか。



 過越祭からの帰り道、いなくなった主イエスを探しながら両親はエルサレムに戻ります。そして三日目に、神殿の境内でラビを囲んで人々が集まっているその輪の中に主イエスを見つけました。そこには神様の話を喜んで聞いている主イエスの姿がありました。ユダヤでは、12歳になると信仰者として大人と一緒に扱われるそうです。喜んで自分から聖書の話を聞きまた聖書を読むようになるということは、信仰者として成長した姿を示していると言えるのではないでしょうか。



 「自分の父の家にいる」(49節)と主イエスは言われました。そこには、マリヤとヨセフを両親とし、人としてお育ちになった主イエスが、また同時に神の子であり、神の救いのご計画の中を歩んでおられることが示されています。
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 2017年10月1日 
「洗礼者ヨハネの誕生」加藤誠牧師
ルカによる福音書1章1−20節



 ルカの謙遜

 1節には「御言葉のために働いた人々」という表現が出てきます。どのようにして働いたのかというと、元々の言葉には「助手」「奴隷」という意味があります。船の下層にいて黙々とオールを漕ぐ奴隷だとの説明もありました。「御言葉のために働いた人々」というと、私はすぐに12使徒やパウロを思い浮かべます。彼らは注目を集める人たちでした。今日でも教会の中で牧師は注目されます。説教を行うからです。ルカの目には彼らはいかに人の目を集めようとも、その本質は「御言葉」のために黙々とオールを漕ぐ奴隷なのです。そしてその奴隷に自分も連なっていることを自覚しています。



 ルカの矜持

 ルカがこの福音書を書いたと思われる紀元80年頃には、主イエスのことを伝える書物が多くあったようです。しかしどうやらそれらはルカの目には適わなかったようです。「初めから詳しく調べ」「順序正しく書いて」あるものがなかったようです。しかも「献呈」とありますので、身分と教養のある人物が読むのに相応しいものをルカは目指しました。そこには目的がありました。「受けた教えが確実なものである」ことをテオフィロに知ってもらうためです。テオフィロについての個人情報はほとんどありません。ひょっとしたらルカは架空の人物に宛てたか、偽名を使用して本人の安全をはかったのかも知れません。ルカの本心はこの福音書を読む人たちに主イエスのことを「よく分かっていただきたい」ということに尽きるのではないかと思います。
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