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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2019年7月 7日 14日 21日 28日 目次に戻る
 2019年7月28日 
「救いのしるし」加藤豊子牧師
出エジプト記12章1−14節



 エジプトにもたらされた10もの災い。それは、ファラオの心のかたくなさによるものであり、さらにはわたしたち人間の、神の前でのかたくなな姿をも表しています。しかしそれだけではなく、神の忍耐をも示しているのではないでしょうか。神は実に10回も待ってくださった、チャンスを与えてくださったとも言えます。わたしたちは対人関係において、忍耐深く待つことができるでしょうか。いともたやすく切り捨ててしまうところがあるのではないでしょうか。神はわたしたちがいかにかたくなな者であるかをご存知の上で、忍耐をもって待ち続けてくださるお方であります。



 しかしついに、最後の災いがもたらされることになりました。エジプト中の初子が撃たれるということは、このままでは国が滅びてしまうと思わせる出来事であり、ついにファラオはイスラエルの民を去らせることになりました。

 この最後の災いの中で、エジプトのすべての初子を撃たれた主が、イスラエルの民の家だけは、過ぎ越した、通り過ぎて一つの害も与えなかったという救いの出来事が行われました。その目印として、羊が犠牲として屠られ、その血が家の鴨居と入り口の二本の柱に塗られました。この出来事を記念して行われているのが、過越しの祭りです。



 「聖書の読み方」(北森嘉蔵著)の中で、『旧約聖書における新約的なメッセージは、すかし模様である。旧約聖書はことごとく新約的メッセージとしてのイエス・キリストの真理を指し示している。』とあります。犠牲として屠られた羊、それはわたしたちを滅びと死から救うために、ご自身を十字架の上で犠牲としてささげてくださった、主イエス・キリストを指し示しています。
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 2019年7月14日 
「かたくなな心」加藤豊子牧師
出エジプト記7章1−6節



 「見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。」(1節)

 ここで再び、モーセとアロンそれぞれの役割が語られています。ファラオはイスラエルの民の代表者、モーセという人物と対決していると思っているかもしれませんが、モーセは神の代わりとして立てられています。この対決は、主など知らないと神を否定するファラオと主なる神ご自身との対決であることが示されています。



 「しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。」(3.4節)

 ファラオはモーセの言葉を受け入れず、イスラエルの人々をエジプトから去らせてくれません。そのため、次々と災いがもたらされることになります。12章までに、10もの災いが記されていますが、その中で「心を頑迷にして」「心はかたくなになり」という言葉が何度も繰り返されます。神の前でのかたくなな姿、それはファラオだけではなく、私たち人間すべてが内に抱えている問題を示しているのではないでしょうか。



 「…イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」(5節)

 「わたしが主であることを知るようになる。」ここに、神の意志が示されていいます。
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 2019年7月7日 
「わたしは主」加藤誠牧師
出エジプト記6章2−13節



 「わたしは主である。」と今日のわずか11節の間に3度繰り返される。「わたしは主である。」とはこの出エジプト記6章の主題であるだけでなく、出エジプト記のそして旧約聖書の主題である。



 モーセは神に出会い、促されてエジプト王と面会した。しかしその要求は受け入れられるどころか、イスラエルの民に苦役を増やす形で返ってきた。民のリーダーからも文句を言われ立場を失う。失意のモーセに神は語る「わたしは主である」と。



 一週間の間英国のバーミンガムで開催された英国メソジスト教会の年会(総会)に日本からは私一人招待され出席した。議長と副議長の任期は一年で再選はない。議長は昨年に引き続いて女性であった。ちなみに副議長は代々信徒が務める。本会議は4日間で実に様々な議案が上程される。白熱したのは予算関係の議案であった。少子高齢化は英国でも避けて通れず、年々集まる献金額は縮小傾向にある。ウィークデイに使用されていない会堂を貸し出すことなども話し合われた。みんなの意識がお金を増やすことに向きかけたその時議長が静かにしかし力強く言った「教会の使命は伝道にあります」。一瞬で議場は静まった。



 私たちの現実は厳しい。何も変わらないように思えてしまう。モーセの現実は厳しい。神に出会い神を信じて従い、命を懸けてエジプト王に面会したにも関わらず事態は悪化し同胞の信頼を失う。

 そのような状況の中で私たちは聴かねばならない。「わたしは主である。」との神の言葉を宣言を。主イエスキリストの父なる神に信頼して歩む民ならば。
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