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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2021年7月 4日 11日 18日 25日 目次に戻る
 2021年7月25日 
「洗礼者ヨハネ」加藤豊子牧師
マタイによる福音書1章1−6節



 マタイによる福音書3章は、イエス・キリストの誕生物語が終わり、公生涯が始まるところです。主イエスの登場前に現れるのが、洗礼者ヨハネであり、4つの福音書すべてに記されています。



 「荒れ野で叫ぶ声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』(3節)

 この言葉は、イザヤ書40章からの引用です。イザヤ書40章3節には「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」とあります。イザヤ書40章は紀元前6Cのバビロン捕囚からの解放を預言しているところです。



 「慰めよ、わが民を慰めよ…」という言葉で始まりますが。それは長く苦しい捕囚の期間が終わり、神が民を慰めてくださるときがきたということを告げ知らせています。しかしこの言葉はそれだけではなく、真の救い主、メシアの到来をも指し示しているのです。私たちを罪と死から解放してくださる、真の救い主イエス・キリストの到来を告げる者、主の道を備える「荒れ野で呼ぶ声」として示されているのが洗礼者ヨハネです。



 ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と人々に呼びかけました。「悔い改める」とは、反省することではありません。向きを変える、生き方を変えることです。自分の思うままに生きてきたその生き方を変えることです。ヨハネは当時のユダヤの人々に、信仰の覚醒を促す呼びかけをしました。そのことは、主イエス・キリストによる救いを先がけて示しているのです。「悔い改めよ」との呼びかけは、今の私たちにも与えられているものです。
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 2021年7月18日 
「長老への勧め」加藤誠牧師
ペトロの手紙一 5章1−4節



 オリンピックの受付奉仕のためにウエスレアン・ホーリネス神学院の二人の神学生が先週から教団事務局の一室に来ている。一人は母教会が一緒であり、もう一人の両親は私の神学校時代の2年後輩である。つまり私は彼らの両親より年上なのである。彼らから見れば私は少なくとも年齢上は「長老」である。



 ホーリネスの群れが教団に残る教職・教会と新しくウエスレアン・ホーリネス教団を形成する教職・教会に分裂したのは1988年のことであった。教理的な相違よりも感情的な人間不信が渦巻いていた。33年前は私たちの世代がリーダーシップを取るようになれば、再び協力して伝道することもあり得ると思っていたが、まさかオリンピックが契機になるとは夢にも思わなかった。面白いのは事務局員の反応である。明らかに普段よりゲストたちに気を遣っている。長老たちは神から「ゆだねられている、神の羊の群れを、献身的に世話する」ことが勧められている。「長老」は「仕える者」であるがゆえに長老である。



 ペトロは言うまでもなく長老よりは「使徒」である。ローマ教皇は代々使徒ペトロの後継者である。もちろんこの時代、今日のように教会の中で「長老」の位置づけが明確にされていたとは思えない。恐らくは年長者で長年忠実に教会を支えてきた人格者が「長老」と呼ばれていたのである。ペトロは1節で「わたしは長老の一人として」と自らを定義する。彼が具体的にどの教会を牧していたのかは分からない。「使徒」としての働きがどのようなものであったのかも聖書は詳しく記さない。しかし彼は現実の教会生活を送る中で、長老の一人として他の長老たちと力を合わせながらゆだねられた人たちに仕えることを喜びとしていたのではないだろうか。
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 2021年7月4日 
「心の中でキリストを」加藤誠牧師
ペトロの手紙一 3章13−17節



 オリンピックの事があるのでカトリックの方と話をする機会が増えた。先週お会いした方から、カトリックの長崎教区の話を聞いた。カトリックは全国に16教区あるそうであるが、やはり長崎教区は特別なのだそうである。長崎には将来の神父を養成する中学がある。そしてその中学にはほぼ100パーセントカトリックの家庭から入学する。



 教団内にはいわゆる神学校が6つある。入学する学生の両親がキリスト者とは限らない。私の出身神学校は基本全寮制であったが、上級生と下級生には勘当同然で入学した人たちがいた。



 その方との会話の途中で「よくぞ踏み絵を踏んでくださった。よくぞ主は踏み絵ではあるが踏まれてくださった。」と言われたことが非常に強く印象に残った。勿論長崎のキリシタン弾圧の事であり、隠れキリシタンのことである。「心の中でキリストを主とあがめる」より他に生きる術がなかった人たちがいて、しかしそれから数百年経っても信仰が継承され神父が生み出されている。そのような教会は長崎の教会だけであろう。



 使徒ペトロは当時のキリスト者たちが厳しい迫害の中を生き抜かなくてはならないことを知っている。「心の中でキリストを主とあがめなさい」と語られて、どんなにか励まされたことであろうか。生き抜くために、家族を守るために圧倒的に多い異教徒たちと共に仕事をし、社会生活を営まねばならないキリスト者が多くいたはずである。キリスト者と名乗ることも困難な状況をペトロは知っていたのではないだろうか。そして説明が求められたなら、「穏やかに、敬意をもって・・弁明するようにしなさい。」と勧める。私たちにもその用意が必要であろう。
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