シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2024年12月 | 1日 | 8日 | 15日 | 22日 | 29日 | 目次に戻る |
2024年12月29日 |
「幼子への贈り物」加藤豊子牧師 マタイによる福音書2章1−12節 |
◇ クリスマスは1月6日まで続きます。この日は世界の多くの教会では「公現日」(エピファニー)と呼び、西方教会では紀元4世紀頃から星に導かれた東方の博士の来訪を記念する日、とされてきました。 ◇ 「占星術の学者たち」とはどのような人たちだったのでしょうか。旧約聖書に於いて「占い」とは、神様が最も嫌われることの一つでした。「占いや呪術を行ってはならない。」(レビ記19:26)とあります。占いは神に信頼せず、否定することにつながります。ここに登場する占星術の学者たちは、当時の天文学のみならず文学や薬学にまで長けたペルシア人であり、ユダヤの人たちが信じる神様と結びつくとは到底思えない、神様からはるか遠くにいると思われた人々でした。先週登場した羊飼いたちも、律法を重んじるユダヤ人たちからは、神様の救いから遠いところにいるとみなされていました。救い主の誕生を知らされ、最初に幼子イエスを礼拝したのは、そのような人々であったことが降誕物語を通して示されています。 ◇ 「ところが「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げたあったので別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」(12節) 「黄金」「乳香」「没薬」という、彼らの占いの仕事にも使われたという高価な贈り物を献げ、別の道を通って帰って行ったというのは、イエス・キリストに出会った者は、生き方が変わるということを示しているのではないでしょうか。神様以外のものを頼りにしていた生き方から、神により頼み、キリストと共に生きる者とされるのです。 ◇ 新しい年を迎えようとしています。わたしたちはどのような道を歩もうとしているでしょうか。何を大切に、何を頼りに生きていこうとしているでしょうか。クリスマスの出来事から教えられたいと思います。 |
2024年12月22日 |
「クリスマスの喜び」加藤豊子牧師 ルカによる福音書2章8−20節 |
◇ 「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」(8節) 羊飼いたちは、決して人から尊敬されるような仕事をしていたわけではありません。自分のたちの持っている土地はわずかで、それだけでは家族の生活を支え、税金を支払うことはできなかったので、彼らは人に雇われて収入を得ていたとも言われています。社会の底辺に、片隅に追いやられていたような、権力、特権とは無縁の人々でした。そのような、神様から遠いところにいると思われていた羊飼いたちの元に、真っ先に、救い主誕生の知らせが告げられたのです。 ◇ 「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(12節) 「布にくるまって、飼い葉桶の中に寝ている」これが救い主であることのしるしであることが、告げられています。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」とあるように、安心して休む場所もなく、家畜が餌を食べるようなところに、何かしらの布に包まれて寝かされた。これ以上の貧しい環境はない、というような中で誕生されました。この救い主は、高いところに立って下を見下ろすように君臨する王ではなく、これ以上低いところはないという所にまで降られました。世の中で片隅に追いやられているような人々の側にいて友となられ、またわたしたちの罪の罰を代わりに担って十字架に架かられました。 ◇ クリスマスの季節、世の中は明るく楽しい雰囲気にあふれています。けれどもこのとき、貧しさの中に生まれてくださった主イエスの姿を覚えたいと思います。 |
2024年12月15日 |
「マリアの賛歌」加藤豊子牧師 ルカによる福音書1章46−56節 |
◇ 「おめでとう、恵まれた方。」マリアは天使の言葉を聞き、男の子を身ごもり、その子が神の子と呼ばれることを知らされました。戸惑いながらも「お言葉どおり、この身に成りますように。」と委ねて受け留めたマリアは、急いで親類エリサベトに会いに行きました。不妊の女と言われながらも男の子を身ごもり、もう六カ月になっていると聞いたからです。 ◇ 親子ほどの年齢差のある二人の女性、しかし共に人の手によらず、神の力によって子どもが与えられ、神様のご計画の中に巻き込まれているという共通点がありました。マリアの抱えていた不安や恐れ…それは14才位だったという少女にとっては、とても一人では抱えきれないものだったのではないでしょうか。不安や戸惑い、そして喜びを共に分かち合い、祈り合う人が備えられていたことを思わされます。 ◇ 「マリアの賛歌」は「マグニフィカート」という言葉で始まります。「主を崇め」と訳される言葉ですが、「崇める」という言葉には「大きくする」という意味があります。わたしたちはともすると、自分を大きくすること、また大きな評価を得ることに心を傾けてしまうかもしれません。しかしそれは、神様を小さくし、神様の働きの妨げになることもあるのではないでしょうか。 ◇ マリアは歌います。 「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」 神様の前に自分を低くすることができ、主にゆだねる心を持ったマリアの中に、わたしたちは幸いな生き方を見るのではないでしょうか。 |
2024年12月8日 |
「恐れるな」加藤豊子牧師 ルカによる福音書1章26−38節 |
◇ 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」 有名な「受胎告知」の場面です。倉敷の大原美術館にはエルグレコの「受胎告知」の聖画が所蔵されています。右上に大きく天使ガブリエルが描かれ、左下には少し体をねじるようにして、それを見上げるマリアの姿があります。驚きと戸惑いが感じられる表情です。若いというよりは、幼いと言えるような年齢だったマリア。何がおめでとうなのか、恵まれているのか…と戸惑うばかりだったことでしょう。 ◇ 天使は続けて、マリアが身ごもって男の子を生み、その子はいと高き方の子と言われる、と伝えます。「どうして、そのようなことがありえましょうか」というマリアの答えは、当然のことだと思います。誰が聞いても理解できない、納得できないことを言われたのです。しかし天使は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む…」とこのことが聖霊、神の力によってなされることなのだと言い、最後に「神にできないことは何一つない」とはっきり告げました。 ◇ 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」マリアは、神様のご計画がよくわかったからそう言ったのではありません。よくわからないままで神様の前に立ち、み心がこの身になりますように、と委ねています。 ◇ 「神にできないことは何一つない。」アドベントを迎えたこのとき、わたしたちは改めて、この言葉をどう受け止めているか問われているのではないでしょうか。自分自身を見れば、そこには弱さと不安、欠けしかありません。しかし神の言葉を信じてゆだねていくとき、わたしたちも神のご計画の中で用いられるものとされるのです。 |
2024年12月1日 |
「呼びかける声」加藤豊子牧師 イザヤ書 40章6−11節 |
◇ アドベント、待降節第一主日を迎えました。教会の暦では、この日から新しい一年が始まります。「アドベント」という言葉の意味は「到来」です。救い主の到来を待ち望む日の始まりを、この第一主日は告げています。 ◇ イザヤ書40章、1節は「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる」という言葉で始まります。この預言者は、バビロンの地で活動しました。イスラエルの民はバビロンに連れて行かれ、その捕囚の期間は50年にも及びました。30節に「若者も倦み疲れ…」とあるように、50年の月日の流れは、神様の救いを待ち望むことを困難にしていたのではないでしょうか。 ◇ 「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。…草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(6−8節) パレスチナの春は、様々な美しい花が一度に咲き誇るといいます。しかしそれも夏になれば、あっという間に枯れてしまいます。その姿は肉なる者である、わたしたち人間のはかなさを表しています。しかし「神の言葉はとこしえに立つ」と、未来に希望を見出せなくなった人々に、変わることのない神の約束の言葉に目を向けるよう、語られています。この言葉は新約聖書ペトロの手紙一1章12節に引用されており、「これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」と語られています。聖書の言葉の中に約束されている、イエス・キリストを通して与えられる救い、これこそわたしたちにとっての福音、まことに良き知らせなのです。 |