シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2025年1月 | 5日 | 12日 | 19日 | 26日 | 目次に戻る |
2025年1月26日 |
「愛を知る」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 3章11−18節 |
◇ わたしたちに与えられた神様の愛、その愛がどれほど大きなものであるかよく考えてみなさい、と呼びかけられていました。 「あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子は罪がありません。」(5節) わたしたちは、自分の犯した罪の汚れを自分の力で取り除くことができないわけです。罪のない神の御子イエス・キリストが、わたしたちの代わりに十字架で死んでくださった。そこに神様の計り知れない大きな愛が示されています。 ◇ 「なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。」(11節) 「互いに愛し合いなさい。」という戒めが繰り返し語られています。それは、わたしたちが福音を聞いて主イエスを信じ救われた、その最初のときから与えられている教えであると語られています。 ◇ 「世の富を持ちながら、兄弟が必要なものに事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者のうちにとどまるでしょう。子たちよ言葉や口先だけではなく行いをもって誠実に愛し合おう。」(17節) 世界の各地で分断と対立が深まっていることを思わされます。遠い外国の話ではなく、わたしたちの身近な交わりの中にも分断や対立というものがあります。主イエスは互いに愛し合うこと、隣人を愛することを求めておられます。わたしたちにとっての隣人…それは自分にとって愛すべき対象、愛してくれる人、応援してくれる人、そのような人に限定されていると、聖書は語っていません。「良い木は良い実を結ぶ」主イエスにとどまる、つながり続けることによって、わたしたちも互いに愛し合うという実を結ぶようにと招かれています。 |
2025年1月19日 |
「キリストの内に」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 2章28−3章3節 |
◇ 「さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。」(28節) 27節に続いて、キリストの内にとどまるようにと繰り返し呼びかけられています。ヨハネよる福音書15章は、有名なぶどうの木のたとえ話が語られています。「わたしにつながっていなさい。」「つながって」という言葉も「とどまる」と同じ言葉が使われています。英語聖書は「remain」残る、とどまるという単語が用いられています。一時的な滞在はなく、残り続ける、とどまり続けるいう意味合いが含まれていうように思います。 ◇ 3章1節の聖句を口語訳聖書で見てみると「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったとか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」とあります。罪深い、神の子と呼ばれるには全く相応しくない、そのような者が、神の子と呼ばれるのものとされている。そこに示されている神様の大きな愛。わたしたちはこの神様の愛の大きさをしっかりと受けとめているでしょうか。長く教会に通う中でどこか当たり前のことのように受けとめてしまっているかもしれません。ここでヨハネは神の愛の大きさを示し、教会の人々にそのことを自覚するようにと促しています。 ◇ 「御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。」(3節) わたしたちは皆、自力で自分自身を清くすることはできないわけです。しかし、イエス・キリストにとどまり続ける中で、キリストの清さに与ることを願う、求めるものに変えられていくのではないでしょうか。主の日を目指して歩むこの地上の生涯、日々わたしたちは新たにされつくりかえられ、キリストに似た者へと導かれていくのです。 |
2025年1月12日 |
「真理を知る」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 2章18−25節 |
◇ 「反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。」(18節) 多くの反キリストが現れている。…教会が誕生してまだ100年が過ぎていない頃のことです。反キリストとは、キリストと対立する者、またはキリストの代わりだと主張する偽キリストのことです。そうした者たちの登場は、現代においてもみられることです。 ◇ ヨハネの教会の中に起こった問題…それは教会の中に偽りの教えが入り込んできたということです。その教えは、人の子として生まれこの世に来てくださった、神の子イエス・キリストを否定するというものでした。「彼らはわたしたちから去って行った…」とありますので、偽りの教えを信じる人たちが教会から去って行ったのだとわかります。かつては仲間、神の家族として共に礼拝をささげ聖餐に与っていた人たちの一部が去って行ったということは、大きな痛みを覚える出来事だったのではないでしょうか。 ◇ 教会が正しい伝統を受けついているかどうか、それは基本信条、毎週礼拝で告白する使徒信条を信じ、大切にしているかどうかにかかっています。 ◇ 「…だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。」(27節) ヨハネの手紙には「とどまる」という言葉が11回も出てきます。偽りの教えに惑わされ、教会の混乱、分裂に動揺する信徒たちに「キリストにとどまるように」と呼びかけられています。キリストにとどまる…それはまた教会にとどまることでもあります。礼拝を通して聖書の言葉を聞き、聖霊の導きの中でそのみ言葉を正しく受け止めていくときに、わたしたちはキリストの弟子として育てられていくのです。 |
2025年1月5日 |
「光の中に」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一2章7−17節 |
◇ 「愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。」(7節) 「新しい掟」については、ヨハネによる福音書の中で主イエス・キリストご自身が次のように語っておられます。 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 愛についての戒めは、旧約聖書にすでに示されています。「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(レビ記19:18) しかし主イエスは新しい掟として「互いに愛し合いなさい」ということを言われました。 ◇ どこが新しいのか…それは「わたしがあなたがたを愛したように」という言葉が付け加えられているところにあります。主イエスが人々を愛されたようにということが、求められているのです。主イエスはすべての人々を愛されました。取税人、罪人と呼ばれ、当時のユダヤの社会の中では神に受け入れられるに値しないと思われていた人々をも愛されたのです。十字架の上では「父よ彼らをおゆるしください。」ととりなしの祈りをささげられました。 ◇ イエス様のように他者を愛し、赦すこと、これはわたしたちには大変難しいことであります。わたしたちは愛するよりも、傷つけることの方がはるかに多いのです。 ◇ 12節においては「子たちよ」とすべてのキリスト者に対して「イエスの名によって あなたがたの罪が赦されているからである。」と呼びかけられています。「闇が去って、すでにまことの光が輝いているからです。」(8節)わたしたちは主イエスと共に、光の中を歩むようにと招かれています。 |