シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
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2025年2月2日 |
「神の愛」加藤豊子牧師 ヨハネの手紙一 4章7−12節 |
◇ 「神の愛」という小見出しがついていますが、4章7節以下「愛」と言う言葉は29回出てきます。こんなにも「愛」という言葉に溢れている聖書箇所は、他にはないように思います。この手紙は「互いに愛し合いなさい」というテーマを語り続けていますが、決してただ単に同じことを繰り返しているのではなく、読み進めていく内にこのテーマがさらに深められ、読み手に迫ってくるのを覚えます。特に7−10節は、クライマックスの部分と言えます。「…神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(10節)「ここに愛があります。」とはっきりと、高らかに宣言されています。 ◇ 「愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」(7節) わたしたちは皆神から生まれた者、創世記1章にあるように神にかたどって、神に似たものとしてつくられたものです。「神は愛だからです。」(8節)とありますが、わたしたちはこの愛である神様に似たものとしてつくられています。それは、わたしたち人間はお互いに交わり、心を通わせる、愛し合うことのできる存在としてつくられているということです。 ◇ わたしたちお互いの愛がすべてうるわしいものであったら良いのですが、そうでないことをわたしたちは知っています。旧約聖書に登場する様々な人々、人間関係が示しているのは、いかに人は憎しみや妬みの思いに心が支配され、罪を犯すものであるかということです。愛が失われている、愛が働いていない…とのようなわたしたちの罪の現実を救うために、御子イエス・キリストはこの世に来られたのです。 ◇ 教会は、「ここに愛があります。」と語り、示す存在としてたてられています。わたしたちも互いに愛し合う者とされ、神の愛を証する者へ導いてくださいと祈りたいと思います。 |