シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2025年5月 | 4日 | 11日 | 18日 | 25*日 | 目次に戻る |
2025年5月4日 |
「誰のために」加藤豊子牧師 ルカによる福音書5章27−32節 |
◇ 徴税人というのは、ローマに収める税金を集めるのが仕事でした。ユダヤ人でありながら、敵国ローマに雇われてお金を集めているということで、彼らは同胞のユダヤ人たちからは裏切者、と思われていました。それだけではなく、異教徒に仕えること、さらにはこの世の富である金銭を扱うような仕事に就くこと、それらは律法上汚らわしいこと、神の祝福を受けられない罪人として見られました。さらには決められた額よりも多く取り立てて自分の懐に入れていたという所もあり、何重の意味でも汚れた、罪深い存在として見られていました。 ◇ 「イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て」とあります。この人が一人座っている姿…それは自分の居場所を見出せないという孤立した、孤独な姿を表しているのではないでしょうか。どんなに裕福で富を蓄えていても、幸せを感じられない。そしてイエス様はそんな彼を「見て」とあります。それはちょっと見てというものではなく、イエス様のその眼差しは、彼の置かれている状況、心の内、その叫びすべてを見通しておられたのだと思います。彼は主イエスの招きに応え、何もかも捨てて立ち上がり、従いました。 ◇ 徴税人や罪人たちと一緒に食事をするイエス様を見て批判するファリサイ派、律法学者たちに対し、主イエスは答えられました。 「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(31節) 自分たちは健康で正しい、そう思い込んでいるファリサイ派、律法学者たちこそ、実は救いを必要としていることを思わされます。そして長い教会生活の中で、わたしたちもいつの間にか自分を正しいとし、他者を裁く側に立っていないかと問われていることも心に留めたいと思います。 |