シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
2025年8月 | 3日 | 10日 | 17日 | 24日 | 31日 | 目次に戻る |
2025年8月3日 |
「良い地に落ちた種」加藤豊子牧師 ルカによる福音書8章4−8節 |
◇ 「種を蒔く人のたとえ」は、主イエスのたとえ話の中で大変有名なものです。そしてイエス様ご自身が、「このたとえの意味はこうである。」と言って説明をされ、「種は神の言葉である。」とはっきりと語られています。 ◇ 種が落ちた4つの場所は、神の言葉を受け止めるわたしたちの心の状態を表していると言えるでしょう。道端の落ちた種は、人に踏みつけられます。それは、神の言葉が無用なものとみなされ、捨てられるということです。さらにその言葉は、信じて救われることがないようにと、奪い去られてしまいます。石地には少しは土があったので、芽を出すことができました。しかし、水気がないので枯れてしまった。それは、神の言葉を喜んで受け入れてもそれは一時のことで、しばらくは信じていても試練が襲ってくると身を引いてしまう、離れてしまうことだと言います。茨の地に落ちた種は、せっかく伸びようとしても、茨に遮られて実を結ぶことができません。それは、み言葉を聞いても思い煩いや富、快楽などが邪魔をして、成長できない姿です。そして良い地、すなわちよく耕された心に神の言葉が撒かれると、100倍の実、豊な実を結ぶことができると語られています。 ◇ 自分の心が、この4種類のどれにあてはまるのか、と問われると戸惑います。けれどもわたしたちの信仰の歩みというのは、時に石地であり、また茨の地であり、さらには道端のように神の言葉を受け入れない頑なな固い心の時もあると言えるのではないでしょうか。 ◇ わたしたちは自分の力で心を耕すことは難しいかもしれませんが、神様はわたしたちの心を手入れして頑なところを砕き、神の言葉を聞いて豊かな実を結ぶことのできるように変えてくださるお方です。 |