| シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
| 2026年2月 | 1日 | 8日 | 15日 | 22日 | 目次に戻る |
| 2026年2月8日 |
| 「恐るべき者とは」加藤豊子牧師 ルカによる福音書12章4−7節 |
◇ 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。」(4節) 「友人であるあなたがた」と呼びかけています。「友人」とは弟子たちのことです。主イエスは、教師として教えるというよりも、友として横に並んで親しく弟子たちに語っておられる、励ましておられます。「体を殺しても…」これは、すぐそこまで近づいている主イエスの十字架の出来事を意識されて語られている言葉です。そしてやがてその後、弟子たちも同じように迫害を受け命の危険にさらされることになる、そのことをもわかっておられて語られている言葉です。 ◇ 「だれを恐るべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。」(5節) 「恐れる」という言葉は、「恐怖」と「畏怖」、両方の意味を持っています。ただ一人、裁きの座に着かれるお方、神様こそ、恐るべき方であることが語られています。 ◇ 「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな…」(7節) 1アサリオンとは、一日の賃金の16分のTとのことなので、雀一羽は100円ほどになります。当時雀というのは、ありふれた、価値の低いものだったわけです。そんな一羽の雀のことも覚えられている、わたしたちの髪の毛の数まで数えられている。詩編139篇には「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。…」とあります。自分のことは自分が一番よくわかっていると思いますが、実は自分でも知らない、分かっていない部分というものをわたしたちは抱えています。そうした部分も含めて、誰よりもわたしたち一人一人のことをご存知の上で、愛してくださる神様がおられる、だから恐れるな、と呼びかけられています。 |
| 2026年2月1日 |
| 「隠されているもの」加藤豊子牧師 ルカによる福音書12章1−3節 |
◇ 「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。」(2節) 覆われていたもの、隠されていたものがあって、それがあらわにされる…そのようなことは、わたしたちの周りでも様々起こっています。主イエスはどのような意味で、また誰に向かってこのことを話されているのでしょうか。 ◇ 主イエスの周りには大勢の人々が集まってきて、足を踏み合うほどでした。そのような中で主イエスは先ず、弟子たちに向かって話されたのです。 「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。」 ここでのパン種は、良い意味で使われていません。ファリサイ派の人々の偽善がパン種だと言われているのです。ファリサイ派の人から食事に招待されたとき、主イエスが食事の前に身を清めることをしなかったために不審に思われました。ファリサイ派というのは、律法を徹底して守ることを重んじる人々であり、自らを「ファリサイ」「分離した者」と呼び、自分たちは特別だという傲慢な思いがそこには見られました。「実にあなたたちファリサイ派の人々は、器や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。」と、主イエスは大変厳しい批判をされました。 ◇ 彼らは激しい敵意を主イエスに抱き、やがてそれは殺意となります。主イエスは決してファリサイ派の人々が裁かれることを願っておられませんでした。食事に招かれれば断らずに、食を共にされたのです。厳しいことを言っておられますが、そこには何とか自分たちの偽りの姿に気づいてほしいと願う、主イエスの姿があります。 |