| シロアム教会 礼拝説教要旨集 |
| 2026年7月 | 5日 | 12日 | 19日 | 26日 | 目次に戻る |
| 2026年7月5日 |
| 「神の国はどこに」加藤豊子牧師 ルカによる福音書17章20−37節 |
◇ 加藤豊子 主イエスはその宣教の初めの頃、「神の国の福音を告げ知らせなければならない。」(ルカ4:43)と言われました。ここに登場するファリサイ派の人々、そして弟子たちも、何度も主イエスの口から「神の国」という言葉を聞いたことでしょう。しかし、正しく理解されることはありませんでした。 ◇ 「神の国はいつ来るのか」とファリサイ派の人々が、主イエスに尋ねました。すると主イエスはこう答えられたのです。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 ◇ 「神の国」は、わたしたちの肉眼で確認できるようなかたちでは来ない、「ここにある」「あそこにある」というようなものでもない、ということです。そして「神の国はあなたがたの間にある」口語訳聖書では「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」とあります。神の国、それは神の恵みの支配するところです。救い主イエス・キリストの誕生によって、もたらされたのです。神の国はもう到来している、すでにあなたがたの間にあるということが示されてます。 ◇ 教会はこの世界の厳しい現実のただ中にあって、神の国を示す存在、神の恵みの支配をあらわすところしてたてられています。わたしたちの日々の生活に目を向けるならば、そこにも現実の厳しさというものがあります。様々な困難に直面し、また多くの悩み苦しみがあります。しかし神の国は与えられている、神様の恵みはそこにあるのです。 ◇ 後半では、主が再び来られる日について語られています。その日は思いがけないときに来るのです。マタイによる福音書では「だから目を覚ましていなさい。」とあります。 ◇ 日曜日、教会で礼拝を捧げる…それは、この世の現実のただ中にあって、わたしたちが神の恵みに生かされていることを表しているのではないでしょうか。 |