聖書の言葉をあなたに~教会レター連動メッセージ~

教会とは、キリスト教会とは、どういうところなのでしょうか。いろいろな言い方ができるのですけれども、一つには、健康であること、健全であることを求める集まりだということができます。「求める」という部分が大事です。健康な人の集まり、健全な人の集まりとなりますと、教会ではなくなります。病んでいる人は来てはいけない、不健全な人は来てはいけないところになるからです。そして、聖書からすると「私たちは、健全な人の集まりです」と謳う集団があったら、胡散臭いと言わなくてはなりません。教会には、実に様々な人が集まります。聖書の中心人物であるイエスという方の周りも実に様々な人が集まっていました。健全な教会は、このイエスのあり方を映し出しますので、様々な人が集まってくることになるのです。

「健康を求める」と言っても、健康マニアの集まりとはもちろん違います。身体の健康は大切です。キリスト教の神さまは病気には役に立たないなどということはありません。現代医療では治癒できないものが、祈りの結果、奇跡的に癒されるということは起こります。また現代医療で治癒できるものだとしても、私たちは祈ります。神さまの手は、超自然的な方法でも、自然の方法でも、どちらでも働くからです。けれども、時として神さまは、敢えて身体の病をそのままにされることがあります。それは身体よりも大切なことがあると気付かせ、もう一つの問題、もう一つの健康、「心の健康」のことを取り扱われたいと考えられるときです。心の健康といっても、精神保健の話とは違います。聖書が心という場合、心療内科や、精神科といった人間が扱うことができる部分を含みつつ、それよりももっと深い部分、人間存在の根幹、人としてのあり方に関わる部分を指すのです。ですから、少し正確ではないのですが、心の健康というのは、人間としての健全さに関わること、と捉えてくださればと思います。身体と心は切っても切り離せないものですし、どちらも大切なものです。しかし、どちらかを優先させなくてはいけないという時、心のことが優先事項になります。なぜなら、心が健全であれば、身体に病苦があっても、それでも笑顔で、それでも幸せに生きることができるからです。反対に、どんなに身体が健康でも、心が不健全であれば、大きな問題が起こるからです。そういうわけで、「心のヘルスチェック」が、テーマになります。

ところで、身体のほうの健康診断を皆さんは受けておられるでしょうか。牧師である私も毎年、診察を受けます。しかし、私の心の中では結構葛藤があるのです。頭では、健康診断は大事だとわかっています。病気があるなら早く見つかった方がいいからです。自分のことは自分が一番よくわかっているなんて考えは高ぶりだともわかっています。でも、日常生活に特に支障がない、自覚症状がないとき、健康診断は時間とお金の無駄のように思えてしまうのです。しかも、もし病気が見つかったら、予定が狂います。面倒なことになるのです。それで、見ないことにしたい、そんな気持ちに駆られます。大丈夫、自分は健康だ。そんな根拠のない自信で、自分をごまかそうとしたくなる、そんな私です。そういう私の葛藤をふまえると、「心のヘルスチェック」というタイトルを前にしたとき、同じような葛藤が生まれる方もあるのではと想像します。…(続きは音声でお聞きください。こちらをクリック→「心のヘルスチェック」